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番外編 MMM

 第二部の勤務が終わり、三部との引継ぎが済むと、基地全体の連絡事項の伝達がある。


 今日のファッジ中尉からのお言葉はこれだった。「再来月にネルガル・ディフェンス・サービス謹製カレンダーの撮影があるので、体を仕上げてくるように」

「うーす」

「以上。解散」


 三部の兵士たちは活動服を着てぞろぞろと外へ向かい、二部の人間は疲れた顔をしながらのそのそと会議室を出ようとした。

「今ので納得したのか?」マクルーダは同僚たちを問い詰めた。「『うーす』でいいのか? きみたちは?」


 フィギーがあくびする。「おれたち軍人だから、命令を聞く以外の行動ができないんだよね」

「そんなわけないだろ。まずなんなんだ、カレンダーって」

「前勤めてたところでは作ってないか?」ネッドが助け船を出す。「会社名入りのカレンダー。年末に配るだろ」

「無難な風景写真とかだったよ。作るのか? 写るのか? 自分たちで?」

「消防署が作ってるマッチョな消防士カレンダーとかあるだろ」とクリス。「うちは民間軍事会社だから、マッチョな傭兵カレンダー」

「なんだかわたし、話が頭に入って来ないようだ。少し休ませてもらおう」

「軍人じゃなかった人は大変だなあ」

「ごちゃごちゃ考える方がダルくないです?」

「頭の出来がいいとかえってつらいんだよ」

「なんにも考えずに筋トレしとけばいいのに」

「マクルーダはなにで写る? ダブルバイセップス?」

「もっと大腿四頭筋を目立たせるポーズの方がいいだろ」

「待て待て、たたみかけないでくれ」


「マジでちゃんとやってくれないと困るんだぞ!」集団の一番後ろに追いついたファッジが発破をかけた。「このカレンダーの売り上げに今後の装備の如何がかかってんだから! ただでさえ火星課は金食い虫だから、火星の例月マッチョマーズ・マンスリー・マッチョで少しでも話題性を上げて会社に貢献しないと、予算減らされるぞ」

「世知辛いなあ」

「とりあえず朝メシ食いましょうよ」ロスが提案した。「腹減りません?」

「そうそう、この件は炊事班にも伝達済みだ」

「つまり?」

「より一層高タンパクメニューになる」

「やったぜ」

「ますます仕上がってしまうな」

「お野菜が食べたいなあ」マクルーダはこぼした。

「大丈夫、ブロッコリーがあるって」とファッジが励ました。事実その通りだった。





 撮影日が近づくにつれ、地下のトレーニングルームにはピリピリとした緊張感が高まっていくようだった。マシンを巡って二、三トラブルが起きた。プロテインの成分の話から小競り合いに発展した。シャワールームからぶつぶつとひとりごとが聞こえ、どうやら自分の筋肉に話しかけている声のようだった。声の主はひとりやふたりではなかった。


「意味がわからないよ」ランニングマシンの上でマクルーダは疑問を呈した。「なんでそこまで必死になるんだ」

「考えたこともなかった」隣のマシンの羽生が言った。「鍛えるのに理由が必要か?」

「いや?」とその隣のクリス。「そこに筋肉があるから、じゃないか?」


 宇宙空間では骨粗鬆症のリスクが高まるので、運動でそれを防ぐよう全宇宙滞在者たちに指導されているはずだ。


「最初のきっかけは『モテたい』だった気もする」とさらに隣のフィギー。「でも今は、この子の最高値を見たいって気持ちの方が強いかな」


 この子とはどうやら大胸筋のことらしいのをマクルーダは察した。


「マクルーダだって毎日トレーニングルーム(ここ)に来てるじゃん」

「わたしはしがない市民ランナーで、走るのが日課になってるだけだよ」

「おれらだって筋トレはほぼ日課だよな」

「まあ、長距離ランナーの身体は、この中じゃ『新しい』かもしれないぜ」

 傭兵どもがマクルーダの全身をじっくり観察する。

「たしかに、他とかぶらない個性だよな。デカいだけじゃなくって」

「ハムストリングスがいいよな」

「表紙も狙える」

「こう、足の長さを生かすように撮ってほしい」

「いや、いい、わたしは」家族に見られたら恥ずかしくて死んでしまうかもしれないし、子供たちの方が笑い死んでしまうかもしれない。同僚の目がなんだか怖いので、すみやかに話題を変えるべくマクルーダは頭を回転させた。「そうだ、撮影はどんなふうなんだい? カレンダー全ページ分撮るわけじゃないだろう?」





 撮られた写真はネルガル・ディフェンス・サービス本社に送られ、幹部などから選ばれた選定委員が審査するらしい。人数も多いので当然、NDSの地球の部門からの出品が多くを占めるだろう。さらには、火星第三基地もNDSで管理しているので、火星での写真はそこの連中との競合になる。NDS全社から、表紙と各月のたった十三枚しか採用されないのだ。

 週頭の第七基地内幹部会議ではそこが焦点になったらしい。


「ただ背景が火星というだけでは、アドバンテージは取れないわ。下手したら『グランドキャニオンで撮ったのか?』などと言われかねない」

「第七基地の建物を活かしていきましょう。うちの基地は最新の建築科学の結晶です」

「あんまり細かいところを写すと機密に差し障る。くれぐれも適度にな」


 他部署(主に第三基地)を出し抜くべく、ロケハンが計画された。計画の段階でマクルーダも呼ばれた。

「なぜわたしが?」

 ホワイトボードの前でファッジ指令が振り向く。「このあいだ、第五基地に出張に行ってくれただろ? 道中に筋肉が映えるいい背景なかった?」

「す、すみません、あいにく景色をそんなふうに見たことがありません」


 ファッジはアンドロイドのMS-T4400にまで訊ねた。「マスタードちゃんも、なんかいい場所知らない? 火星中うろうろしてるんだから、何か所か知ってるだろ」

「オリュンポス山の頂上などどうでしょう。中尉にぴったりだと思います」

「うん、まずたどり着けないね」

「なにを言ってるんだこのカーボンプラスチックがよぉ」ロスがかみつく。「オリュンポス山での撮影は2029年版カレンダーの十二月のページでとっくにやってるんだよ!」

「ふもとのほうだけど――」羽生がMSに耳打ちした。「たしか、五人くらい重めの高山病になって、カレンダー存続の危機になったらしい。この話題やめたほうがいい」

「人間は脆弱で大変ですね」MSもボリュームを絞った声で返した。

 羽生の腕周りを見ながら、マクルーダは脆弱という言葉の意味について考えた。





「というわけで、カメラマンと、モデルをひとりロケハンに連れていく」とファッジがお触れを出していたので、だれが連れていかれるのか知りたい兵士たちがガレージまで見送りに来た。


 フィギーは、活動服をしっかり着用したヘンリーを二度見した。「ヘンリーどうした!? そんなに着込んで」

「あたりまえだろ!? 外だもん。おまえら最近脱ぎすぎて感覚おかしくなってない?」

「ヘンリー、ロケハンのモデルやるの?」

「あのねェ」ヘンリーは虫でも払うように手を振った。「ぼくはきみたちと違って頭脳労働職なの。脳筋どもといっしょにしないでくれるゥ?」

 マクルーダは思わず口にした。「わたしときみ、体型に大差ないだろ」

 援護射撃が来る。「前線に出てる時点でなにを言ってんだか」

「いつ頭を使ったんだー」

「マクルーダを見習えー」

「いいプロテイン知ってるぞー」

「黙れ黙れ、ぼかぁカメラマンだもんね」

「え? カメラマンはネッドさんじゃないの?」

 ネッド・クランブル整備班長が進み出る。タンクトップ姿だった。

「え? ネッドさんモデルの方なの?」

「整備班長は今年のピンナップボーイだぞ」


 七月のページに、半裸で車両整備中のところが写っていた。カレンダー購入者からは「腕めっちゃたくましい」「最高」「今すぐ抱かれたいのだがいったい彼はどこのだれか」という問い合わせが十件か二十件あったらしい。


「機能的なものこそ、美しい」整備班長はキレまくった上腕を体の前に掲げて持論を述べた。「機械も――筋肉もな」

「料理もだぞ!」荷物を持ったコック長が現れた。コック長は筋骨隆々、スキンヘッド、趣味は筋トレだ。たいていの人類に対しては姿を見せただけで圧倒できる。

「なんでうちの基地、非戦闘員もマッチョなんだ?」

「後方支援も体力が命!」コック長は巨大なバスケットを荷台に積み込んだ。「これお弁当。低カロリー、高タンパク!」

「低カロリー、高タンパク」とその場の全員が急に唱和したので、マクルーダは若干の恐怖を感じた。





 そんな中、ノア種苗の研究員が食堂で座り込みの抗議を行ったという情報が飛び込んできた。NDSとはまったく別の企業だが、業務提携しており、第七基地を共有して生活している。無論食堂もだ。彼らは最近の食事内容に対し、「カロリーが恋しい」「シカゴピザが食いたい」「スイーツバイキングを開催しろ」などと主張したらしい(一時ファッジ中尉が扇動罪の疑いをかけられたが、彼は一貫して無実を訴えた)。無理もないとマクルーダは思ったが、筋トレに目覚めたノア種苗社員の別派閥と衝突を起こし、対消滅したとのことだった。


 とはいえ真面目なコック長は反省の色を見せた。栄養管理表を見せてカレンダーの件が持ち上がる前からの総摂取カロリーに実はあまり変化はないことを説明し、脂質はたしかに控えめになったと認め、さらに本日をチートデイとする宣言を発出することで反対派のガス抜きを図った。


「というわけで今日はピザらしいよ」医務室に立ち寄ったマクルーダはドクターにニュースを伝え終えた。「なんかみんな筋肉にとりつかれているようで」

「カレンダーは一大イベントだからねえ」ドクター・ウェンは深くうなずいた。「かくいうわたしも毎年楽しみでさ」

「え?」

「このカレンダー作りはNDS創業二周年記念の事業だったんだけど思いのほか好評だったものだから関係者だけに配っていたものを自社ホームページで販売するに至ったという経緯があってね、わたしは2031年以降のものしか持ってなかったんだけど総務の子にダメもとで訊いてみたら倉庫に残ってた28から30年の分をくれたんだよ、天哪てぃえんな! 特に2029年は珠玉の筋肉ぞろいでね、見てよ九月のこの人、ポーズは地味ながらも医学的にたいへんよろしい体つきなんだよ、トレーニーって追い込みすぎたり増強剤に頼りすぎちゃったりして筋肉はすごいけど健康的かなあ? って人いて見てると悲しくなっちゃうけどこの人は違う、ちゃんと健全なトレーニングをしてきちんとおいしく食事を取っていることが写真からでもしっかりわかるね、すばらしい! お医者さんが選ぶベスト筋肉って感じなんだ、わかるかなジャファル……あれ、ジャファル?」





 撮影は長丁場になった。「なにかに使えるかも」「なにかってなに?」「社員募集のポスターとか……」という指令と基地長の何気ない会話の末に、かなりの数の写真が撮られた。カメラマンのヘンリーは、「目線こっち!」「いいよ、いいよォ!」などと叫びすぎて喉を痛めた。基地長、ファッジ、ドクターが厳選した珠玉の画像だけが本社に送られたはずだが、火星通信衛星の管理者から「この重いデータなんですか?」と問い合わせが来たらしい。


 結果として、第七基地からの採用は、基地と火星の月をバックに撮った半裸の集合写真と、栄えある基地長の肉体美写真の二枚となった。ネッドのピン写真は掲載を見送られたが、どうにもヤバめのファンレターが本社に届いたことが影響しているようだ。「きみを守るためだよ」と真剣な顔で社長直々に言われたネッドは、心なしか青ざめた顔で通信室を後にした。第七基地では基地長掲載おめでとうパーティーが開かれ、筋トレ強化月間は終わりを告げたのであった。





 第二部の勤務が終わり、三部との引継ぎが済むと、基地全体の連絡事項の伝達がある。


 今日のファッジ中尉からのお言葉はこれだった。「来年のカレンダーの見本が来たぞ。名簿を回すから、欲しい奴は希望の部数を書いてくれ」


 カレンダーの見本データに、当直明けの兵士たちがわらわらと群がる。

「基地長やっぱり写りいいな」

「筋肉も大黒柱って感じだよな」

「見てよ第三のこいつ、すげえ」

「見事なまでの肩メロン。巨大農作物品評会か?」

「花丸満点の笑顔。おれたちに足りないのはこっちだった……?」

「しまった。顔面の筋肉を鍛え忘れたか。盲点」


「マクルーダ先生~!」

 フィギーが満面の笑みで寄ってくる。それどころかほかの連中まで近づいてくる。

「な、なんだい」

「いい体になったじゃないですか~」

「走るための筋肉、ついちゃったねえ」ファッジが耳元でささやく。「ニートゥチェスト、がんばってたもんねえ」

「腹斜筋もきれいに出てる」ネッドが太鼓判を押す。「才能ある」

「な、なんのですか」

「今時市民ランナーだって、意識してトレーニングしてるからな」クリスが深くうなずく。「いいと思うぞ!」

「タイム計るか?」羽生が申し出る。「基幹道路で5,000メートル。来た時に一回計ったきりだろ?」


 三月のページ、中央右寄りに写る己の立ち姿は、どうにも気恥ずかしい。赤らめた顔のままに、マクルーダはカレンダーと周りの同僚たちの顔とを見比べた。「ちょっと……ちょっと待ってくれ。……靴、履き替えてくる」





 カレンダーは二部買った。



(番外編 おわり)

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