第16話 グッド・バッド・ドロイド⑧
その三十分ほど前、殺し屋モカは震えていた。安アパートの一室で、明かりもつけずに、うずくまって。この部屋は友人から借りた。殺し屋連中のだれも知らないはずの場所だ。
まず、カスタードが殺された。次に、ココア。先週はピスターシュ。つい三日前にはコンパナが死んだ。自分に近しい殺し屋ばかりだ。
最後にピスターシュと話したとき、「この分じゃおまえ、疑われるぞ」と忠告された。「わたし、やってないし」と軽く返したが、その直後に彼が殺され、“当番”が招集されたと聞くと、えも言われぬ不安が襲ってきた。自分のねぐらに誰かが訪ねてきた痕跡を見つけると、モカは直感に従ってそこを捨て、しばらく身を隠すことにした。なにが起こっているのかまるでわからない。自分を疑わせようとしている? スモーキーから何度か着信があったが、用心のために出なかった。犯人が殺し屋のだれかではないとは言いきれない。でもいったい、だれが、どうして?
そんな漠然とした不安が確信に変わったのは、今朝のことだ。メールが入った。死んだコンパナのアドレスから。“今夜会わない?”
次はおまえだ。相手はそう言っているのだ。
なんで? とモカは心当たりを探った。最近は汚職政治家を何人か殺した程度だ。恨まれる覚えも、陥れられるいわれもない。番付の運営にちゃんと説明すれば、“当番”を止めてもらえるだろうか? 惨い死に方はしたくない。
玄関のチャイムが鳴り、モカは飛び上がった。忍び足で玄関まで行き、おそるおそるドアスコープをのぞく。
学生ほどの年端の人が立っている。
「こんにちは」
と明るく言って、赤い花を二本差し出した。カーネーションだ。
「神のご加護があらんことを。花を買いませんか? 売上金は寄付になるんですよ」
「なるほどね」電話の向こうでファッジが言った。「つまり、犯人は自分がチビで非力なのをごまかすために、そういうのを使っていると、そう思うんだな?」
パワードスーツを着ていれば、身長を高く見せかけることができる。強い力で人の首をねじあげることもできるし、頭を壁に叩きつけて殺すことも当然、できるだろう。
「ちなみになぜそう思った?」
「なぜって」
「どこかで見たのか? 見たんだな? どんなやつだった?」
前のめりな追及を思わずかわしてしまう。「まだおれが見たのが犯人とは限らないだろ」
「どんな小さな手掛かりでも欲しいんだよ! 大男探しも難航してるし。こりゃ前提から間違ってんじゃないかと思い始めてたところだ。で?」と急き立てる。上司モードの声色まで使った。だいぶ状況が停滞しているようだ。「軍曹! 報告!」
アナとガトーとガニメデの話を聞いたファッジは黙り込んだ。
「花屋……花屋か」
「一般人だよ」
「そうか? そのマシンはロシア製なんだな」
「ベースはな」
「さっき、プラムとも話したんだよ。彼女は現場に残された花の解釈をいろいろしゃべっていったんだが、その中に、『偶数の花は不吉』ってのがあった。赤いカーネーション二本は、死者に向けるものなんだと。ロシアでは」ファッジは続けた。「アナ・パノーフと最初に会った大学ってどこ?」
「コロンビア芸大」
「ココアもそこの学生だ。入り込んで行動を調べていたんじゃないか?」
「……花屋だぞ、ただの」
「おまえもなにか感じるものがあったから掛けてきたんだろ?」
反論できなかった。ガトーの手の傷。自分の袖口を見る。傷を拭い、汚れがついた。黄色い塗料かなにかだ。四件目の現場、殺し屋コンパナが頭を叩きつけられた壁は、同じ黄色だった。
「その娘の家、わかるか? 連絡先は?」
「知らない」
「はあーっ?」とファッジ。「そこまで仲良くなってなんで連絡先……いや、まあいいか……じゃあ今からその花屋に行って……ちょっと待った」少しの無音のあと、戻ってきたファッジの声は調子が変わっていた。「スモーキーから電話だ。モカの居場所がわかったらしい」