第15話 ティラミス・インポッシブル③
ポーが目を覚まし、自分の身体が動かないこと、なぜなら応接テーブルに寝かされ無数の長いガムテープで貼りつけられているからということ、ちょっと離れたところで相方の手と足もぐるぐる巻きにされていることを理解するのを待って、ハニーは口を開いた。「起きたか。まず、うちの主任拷問官からお言葉がある」
ハイヒールを鳴らしてチョコレートミントがご登場あそばす。「ハァイ! お加減はいかが?」
ポーは目だけ動かして、傍らに立った薄汚れたナース服の女を見た。
「今日はどういったご用で?」ミントは続けた。「どこから来たのかな?」
ポーは黙っていたが、絶対しゃべらないぞというような気概は感じられず、突然のコスプレ女の出現に戸惑っているだけのようだった。
ミントは仰々しく唇に指をあてて小首を傾げた。「んー、お話できないほど具合が悪いのかなぁ? じゃあ……お注射しよっか!」
ポケットから注射器のおもちゃを取り出す。緑色に光る液体が入っていた。
「すぐに百二十パーセント元気になるからねえ」
「待って待って!」ポーが叫び、首の可動域が許す限りハニーの方を向いた。「ちょっと! あんた! やめさせてよ!」
「この女を止めてほしい?」
「お願いします!」
「それはおれにも難しいことだが、まあ、努力しよう。訊きたいことに答えてくれたらな」
「なんなりと!」
いつの間にか起きていた相方の女が、ため息をついたのだろう、ゆっくりと肩を落とした。
「おまえら、なんだ? 明らかに泥棒だが。なにしに来た?」
「え、あ……」とポーは口ごもった。「ご存じない?」
テーブルを蹴る。「なにしに来た?」
「盗みに来ました」
ポーの自白に謎の声が割って入った。「よ、予告状が来てる」
壁にメルバ研究所のメールボックスの画面が投映された。〈今晩、異星の落とし子をいただきに参ります。怪盗ティラミス〉
「は?」ハニーとミントがふたり同時に言った。
「どういう意味よこれ?」
謎の声が真面目に解読する。「きょ、今日の夜、ビターの研究体を盗みに入る、って意味だと思う」
「終業間際にメールを送ってくるとか、社会をナメてるな」
「中二病の治療も必要みたいね」ミントが注射器をもてあそぶ。
「すみません! どうかご容赦を、ナースさん! どうか!」
「怪盗?」
「そうです」ポーがうなずき、自分と相方のあいだで視線を往復させた。「ぼくらはふたりでティラミス。ぼくはマスカルポーネ、彼女はエスプレッソ。よろしく」
ハニーはまた机を蹴った。「バカみてえな嘘をつくな」
「本当なんですぅ」
「“番付”の殺し屋か? 誰に雇われた?」
「いや、たしかに番付には載ってるけど、うわああ助けて」注射器の接近にポーが悲鳴を上げる。
埒が明かない。初手で拷問はメルバ研究所の方針に一致するが、正確な情報収集のため、ハニーは元上司に電話した。
「ハッピーハロウィーン!」電話の向こうでファッジがさえずる。「豪華クルーズ仮装パーティーはどうだった?」
「最高だよ。船は爆発、研究所には賊が入ってる」
「ワーオ」とファッジは抜かした。「刺激的な夜だな」
「ティラミスってやつ、知ってるか?」
マスカルポーネが小声で訂正した。「怪盗」
「ああ、二人組の殺し屋だろ?」
マスカルポーネがうなだれる。
「ちょっと特殊な奴らだな。受ける依頼を絞っている」
「殺す相手を選んでるってことか?」
「なんというか、そもそも殺しはあんまりやらないんだよな。奪還がメイン」
「どういうこと?」
「『相手に脅かされている』状況を『積極的に』『防衛する』のが殺し屋の基本原則だろ。ティラミスは、『相手がそれを持っていることで、自分が脅かされている』という顧客に、『それを奪還する』ことで『防衛した』という結果を提供しているわけ。扱うのは情報が主だな」
ミントが考えながら訊いた。「相手が自分の秘密の写真を持っていて、このままでは世間にばらされるから、その前に取り返す。みたいな?」
「そうそう。ミントちゃん賢い」
「こじつけがすぎるだろ」
「産業スパイ案件で使う企業が多いようだ。今回も『盗まれた研究データを取り返してくれ』とか、『研究体をメルバが独占していることで実害を被っている』とか、そんな屁理屈で雇われているんだろう。
「だいたいなんで『怪盗』なんだよ」
「逆に、考えてもらいてえよ」と、エスプレッソが言った。声の低い女だ。「侵入して物を取ってくるのが仕事、殺しはやらない殺し屋って、なんて名乗ればいい? 今よりましな呼称があればぜひ知りてえな」
マスカルポーネは肩をすくめようとしたようだが、今の体勢では難しいようだった。「彼女はいまいち理解してくれないんだ」
「なにを」
「美学さ」マスカルポーネはあっけらかんと言った。「怪盗、かっこいいでしょ? 大胆、華麗、神出鬼没! そしてだいたい、弱いものの味方! 憧れるよ!」
「やってることは泥棒だろ」
「あんたはここの用心棒だよね? 例えばそうだなあ……番犬とか、人殺しとか、あるいは歩く警報機とか、言われたらどう?」彼は反応を待たずに続けた。「ぼくはぼく自身が怪盗だって思ってるし、できれば他者からもそう思われたいな。商品はラッピングが大事だ。『怪盗』は、架空の世界にしかなかった不思議な色のリボンだよ、ぼくはつけていたい。今の世の中、こういうフィクションの顕現には大きな意味があると思う。『殺し屋』もそうじゃない?」
「フィクションの顕現ねえ」ハニーはミントに振った。「どう思う?」
ミントは眉間にしわを寄せた。「あたしがハロウィーンにゾンビナースの服を着たいのと同じ……ってことかなあ?」
「そうなるのか?」
「なんにせよ」とファッジ。「捕まえてるんなら、防衛成功だ。よかったな。あと半年は襲ってこない。ランキングには反映させとくよ。じゃ」
よくはない、とハニーは窓に空いた丸い穴を眺めた。
「防衛成功かどうかの判断は」ポーが小声で言った。「まだ早いと思うよ」
「あ?」
ハニーがマスカルポーネの方に目を向けたのと、なにかが裂けるバリッという大きな音がしたのが同時だった。エスプレッソが力任せに手首の拘束を破った音だった。
床で音響手榴弾が跳ねるのを見て、ハニーはミントを抱えて部屋の反対側に跳んだ。再び煙と光が充満する。
瞼を透かすほどの光が消え、やっとメルバのデスクの陰から顔を出すと、ティラミスは窓の穴の前にいた。マスカルポーネの方はビターボトルを小脇に抱えている。
「ハロウィーンおめでとう!」マスカルポーネは手を振った。「さよなら。良い夜を!」
ふたりはすばやく穴から外に出て、そのまま下へ落ちた。
ハニーが窓際に駆け寄ると、下の方でパラシュートがふたつ開いた。体のあちこちからガムテープの切れ端をなびかせながら、怪盗ティラミスは夜のNYCCを悠然と飛んで逃げて行った。