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ミカエル

作者: 橙ノ縁


 とある有名なカメラマンの偉そうな講評に目を通して、私は目を伏せた。

写真タイトル「ミカエル」

親愛なる私の姉へ、心を込めて切り取った四角。

目を閉じて、決断する。

私はその賞を辞退する。



 姉はかなり御姫様のように御立腹で、私と口をきかなくなった。

私を推薦してくれた学校の先生は、「これは前代未聞だ」としつこい位に私から辞退の理由を白状させようとした。

しかし周りの反応など、耳に蓋をすればいいだけのこと、私は揺るがない。

真っ当な評価でもないのに、立派な賞など貰えない、貰ってはいけない。

そんな風に言えば、生意気で偉そうだと思われるかもしれないけど、事実だったからだ。

あの写真は、美しい風景写真ではない。

あれは、人物写真だ。


 私が写真を撮る理由。

それはただ一つ姉をその四角の中に収めるため。

写真という四角の中に、生きていたという証を残す、ただそれだけ。



 毎朝姉の化粧をするのは私の日課で、姉の服選びも何もかも私の担当。

幼いころから、私は姉の従者みたいに毎日張り付いて過ごしていた。

そう、姉は私などとは住む世界の違う、この世から隠されたお姫さまなのだから、仕方ないと毎日私自身に言い聞かせた。



 学生の時はよく女子トイレの前で一人立たされた。

姉が出てくるまで、見張り役を仰せつかったからだ。誰の目にも移ってはならない秘密を守るためである。

トイレにやってきた子達に、追い返す嘘を何度もついてきたおかげで、嘘のつき方、ものの誤魔化し方を身につけた。

姉は知っているだろうか。

私がクラスに友だちを作れなかったことを。

トイレの番人だとあだ名をつけられたことも。




 そういえば「お姉ちゃんなんて大嫌い」と、母に泣きついたこともあった。

私の日常は姉の為にあり、同じ中学、同じ高校、休み時間の過ごし方まで私に選択権は無かった。

家では身なりを整えさせてあげるメイドで、学校では姉を好奇の目から救う女騎士と言ったところだろうか。

子どもなりに自由ではない日常に窮屈に感じていたんだろうと思う。

その日、母は私に何も言わずに泣き叫ぶ私を抱きしめて頭を撫でた。




 少し大きくなって、姉の伸びた髪の毛を切る度に、思う事があった。

嫌いだったことも、面倒臭かったことも忘れる程に、強烈に思う事。

ああ、この人は、私が居なければなんて生きにくいんだろう、と。

世の中にはあらゆる場面に関所のような障害が突然現れて、姉を虐めるように検問にかける。

説明のつかない嫌疑を掛けられて姉を足止めさせ、二度とその場所に足を踏みいれられないようにする。

何処へも行けず、何にもなれず、逃げるように生活する毎日。

もしかしたら、私より姉の方が、友達は少ないのかもしれない。

私はメイド兼女騎士だけど、普通だから。普通に関所も通れるし、意地悪な言いがかりもつけられない。

「普通が幸せなんだってば」

なんてことを姉に言われた事があったっけ。本当に何でもない瞬間にそんな言葉を思い出したりする。



 四六時中一緒にいればおのずと知ってしまう。

姉が一人で泣く姿も、母に愚痴を言って辛く当たる姿も。

気に入らない日常に辟易としていることも、ほとんどを見てきたのに、私は知らないふりをしてきた。

神様にしか分からない事情なのだから、誰も姉に何も言ってやず、救ってあげられない。

それがもどかしい。自分の無力が空しくて、気付いていないふりをして姉の心から逃げてきた。



 大人になって生活環境が変わるにつれ、私が姉にしてあげられることは限られるようになった。

姉の存在を残したいと絵筆を握ったがひどいありさまで、選んだのが写真だった。

私が切り取る四角は、「今」を写したように見えて、実は過去だ。

ファインダーの中は、まだ現在。

でも、シャッターを押した瞬間、あっという間に過去。

雪道で足跡を残すように生きてきた何かを残していく、そんな作業だ。


やはり何度シャッターを押しても、姉を感じられることは出来ない。

姉の足跡が残せない。

私の腕が未熟なんだと思う。

でも、今回コンテストに応募した写真は、私の中では奇跡的な一瞬だった。

これなら、他の人が見ても姉を感じられる。

こちらを見返る姉の姿が。



「ちゃんと賞は貰いなさい」

そういう姉に、私はこう言いかえした。

「あれは風景写真じゃないの!」

「アーティスト気取りもいい加減にしなさい」

もっともな言い分で、言葉を失った。


 でも、私が一番分かって欲しかったのは背景の美しさじゃない。

写真の腕や、構図なんかを褒めて欲しいんじゃない。

願うは一つだけ。その評価だけが欲しいの。

姉がここに居たって事だけを。

物体をよけるよう屈折した光や、何かを包み込むような桜の花びらの舞い上がり方のすべてを見て、感じてほしいのだ。


「お姉ちゃんには見えないの?ここに誰が写ってるか」

姉は私の写真を見つめながら、静かに答えた。

「見えない。誰も見えないわ」

哀しく目を伏せた姉の、その表情を切り取ることは、誰にもできない。

記憶というカメラ以外には、どんな凄腕の巨匠にもどんな高性能な最新の機械にもできない。

どうして私は絵が下手なんだろうと、情けなくなった。



「でもね、私にははっきり分かる。振り向く私の姿が。誰も映っていないけど、自分の顔を鏡で見たことは無いけど、私がその写真の中にいるのが分かるわ」

「…………」

「この世の中で二人も見えているなら、充分。最高傑作よ」

有名カメラマンの偉そうな講評。

本当は姉が一番傷ついていたのかもしれない。それとも――。

キラキラ光る瞳を見つめながら、私も瞳をキラキラさせた。

 


 タイトル「ミカエル」

そこには、美しい風景の中にこちらを見返る姉の姿がある。

鏡にもカメラにも映らない稀有な体質をもつ姉の姿が。

タイトルを片仮名にしてしまって、姉に文句を言われた。

天使みたいで恥ずかしいって。


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