薬師倫太郎臨床心理事務所01/WPK(ワーキングプア警備員)//07オレ、何か会社に悪いことしたか?
白山通りから白山交差点へ向かって11:27頃
「そこのミニバイク、とまりなさい」
木村 文は、スピーカーの音量を最大限に引き上げて怒鳴った。
木村 文巡査(24)
幡多が丘橋署、生活環境課特別警邏隊、高御角警部の部下。天然ボケで泣き虫だが正義感は強い。
“やべぇ、次の現場に間に合わないっ、”
オレはアクセルを思いっきりぶん回した。
ここで捕まるわけにはいかない!
あっ!
がらがらがら、どしゅん____________…「あっちゃ~」
重機動ZOOMER急停止。
「こちら木村から本部、どうぞ、」
女性警ら隊員は、エンジンをボアアップして重装備を施したHONDA ZOOMERを停車させた。
『練馬No.』をつけた高速を走れるZOOMERだ。
『文ちゃん、どうした!』インカムに上司の声が響いた!
「あ、高御角警部、ただいま千石一丁目交差点でミニバイクとトレーラーの接触事故発生…」
『状況は?…』
「…うぅっ…うわぁぁ…ぅああああああああああん!!!…」
女性警邏隊員は、次の言葉がつげられず泣きだした。
いや、生活課の地域警邏担当とはいえ、取り乱して泣き出すのはどうか、と思うが、彼女が変わっているのは、大泣きしながらちゃんとやる事はやっている、という事だ。
『最悪なんだな、文ちゃん!?…』
無線機の向こうの上司も彼女の性格は良く分かっている。
化粧がべちゃべちゃになろうが “ 復旧セット一式 ” 携帯して、“ 落ち着けば ” 何事もなかったようにしてしまう彼女の事はよく知っていたし、童顔の色白美少女で果敢に仕事に望む彼女の事は誇りに思っていたのは事実だ。
彼女は、べそをかきながら、猛然と現場へダッシュする。
「しっかりしなさい、気を確かに持つのよ、」
両足、片腕複雑骨折、内臓破裂、見た目でかなり激しい腹部裂傷!…
「あなた警備員なのね、どうしたの?仕事中だったの?」
血まみれの制服の左胸に
『極楽太平警備保証』の漢字。
ダウンジャケットはタイヤに巻き込まれて跡形も無くなっている。
腰の帯革は、トラックとぶつかった衝撃でちぎれていた。
「極楽太平警備保証さんね、」
「う、うん…」
木村は名札を確認した。
『極楽大平警備保証 警備士 河内勇樹 23才』
「どうしてこんなに急いでいたの?」
「…」
横たわった身体の下から血だまりが大きくなっていく。
“あぁ、おなかの動脈が切れてんだわ…”
「信号無視、いきなり3回よ?」
「交通費出ないから金無くて…バイクで移動しないと…」
「そう、大変なんだ、」
「飯能と鴻巣の郵便局にいかなきゃならないんだ…おまえしかできる人間はいない、とさんざおだてられて…」
「でもねぇ、信号無視はダメ」
「う、うん…」
「がんばるのよ、だめよ、気をしっかりもたなきゃ」
彼の両足は、どちらもあり得ない方向へねじれていた。
血だまりがゆっくりと広がってゆく。
「オレ、こんなに働いてるのに、」
「え?…」
「おまわりさん、オレ寒いよ、腹減ったよ…」
「な、何か食べる?食べられそう?」
「オ、オレさ、彼女といっしょに生活したいんだ。」
「そ、そう、それはよかったじゃない。」
木村は涙目で笑顔になりながら必死に重傷者を励まし続けた。
「でも今の仕事って、一週間休み無く働いても二万円にもならないんだ。」
「うそ…」…涙目の警察官の目が点になる。
「だから、今日は何も食ってない…」
「ちょっと待ってね、あたしのお弁当の玄米おにぎりあげる!」
女性警察官は“信じられない”という台詞を呑込み口を開いた。
彼女は、そそくさとバイクのトランクからキティちゃんの弁当包みを取り出し、慌てて蓋をあける。
「う…」
「ね?、食べられそう?」
木村の対応が正しいかどうかはあやしいものがあったが、死にかけのこの若者の心の叫びに応えた彼女の行為は充分に誠意を伝えることを可能にした。
「オレ、何か会社に悪いこと、したか?…」
木村は、この死にかけた警備員が、滝のような悔し涙を流しているのを見つめていた。
これは、魂が発する疑問だ。
「こんなに働いてるのに、オレ、間違ってるか…」
「間違ってないよ、ね、だから頑張って。」
木村は泣きながら声をかけ続ける。
「葵菜さん、ごめんな…」
「ねぇ、しっかりしなさい、ねぇ、あなた!」
木村は、あらん限りの声を彼の顔に叩き付けて彼の言葉が止まらないように願っていた。
「畜生、あ、あいつら殺してやる…」
彼は、口から血を吐いていた。
彼は、みるからに大人しそうな男の子だった。
やつれて、頬骨が浮いていた。
十分イケメンのくくりに入るほどの男の子だった。
あまり、勉強ができそうにはみえず、合コンに参加したがり、自分から好んで盛り上がるタイプの男の子だった。
そんな子が、『殺してやる』等と叫んでいいのか…
「え!?」
「殺してやる…」
『殺してやる…』
ききーキュキュキューっ、物凄く荒っぽい音ともに救急車が停まった。
「はい、どいてください、どいてください、けが人搬送開始!」
キティちゃんのお弁当箱の蓋をあけたまま、女性警邏隊員は、救急車を見送った。
死んじゃだめ!
死んでいい歳じゃないでしょ!
彼女といっしょに生活するんでしょ!
木村は涙を流しながら必死で祈り続けた。
それにしても…“『あいつら』…いったい誰のこと?”