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薬師倫太郎臨床心理事務所  作者: ひめるぎ みこと
3/10

薬師倫太郎臨床心理事務所01/WPK(ワーキングプア警備員)//02_代表取締役、神谷金太郎

「お疲れさまであります。

いよいよ私の話で、本日の現任研修をしめさせていただきます。

私が極楽大平警備保証株式会社社長、神谷金太郎でございます。


「さて諸君らも御存じのように、昨今の社会動向を見ておりますと、

いよいよ格差社会の到来が現実味を帯びて参りました。

俗に言われる競争社会ですな。例えば人の嗜好を例にとってみます。つまりですな、世の中は  “ 人気のあるもの”と“人気の無いもの ” に区分されてしまうような変化が生じておりますね。はい、そこの彼女、答えられますか?


「はい、あの、え~と…」



代表取締役に差された女性隊員は、わなわなと震えだした。


「はい、気を抜いてはいけませんよ、葵菜あおいな警備士、後で来なさい。あなたのように美しい人は、勝ち組ですよ、わかりますね。」


「…」


「私が昔いたフランス外人部隊では、隙あらばやられる、という訓練状況でした。

諸君もこのことをぜひ銘記していただきたい…


「私の締めで、今日六月二十日の現任研修も終わりますから、汗を流していただきたい。バスタオルと石鹸もプレゼントしますからね。


極楽大平警備保証練馬研修所の会議室に、すし詰め状態にされた43名の警備員は、直立不動の姿勢のまま社長の話を聞かされていた。

43名の両脇には、左右二人ずつ、大隊長の肩章をもつ4人が監視を続けている。

4人のうち3人は、腹の脂肪が帯革から溢れたデブであり、残り一人は猫背で口が半開きの陰気な男である。


“かっこいい警備員”とはお世辞にも言い難い。


しかし4人とも社長が特定の女性隊員を名指ししたことに対して下卑た含み笑いを口元に浮かべていた。


彼等の笑いは餓鬼のそれである。

この世は心の持ちようで地獄にも極楽にもなる、と説いた禅の師がいたが、彼等は心の良田にえにしを結ぶことをよしとしない餓鬼の集団なのかもしれない…



極楽大平警備保証代表取締役社長、神谷金太郎、65才。バイタリティ溢れる創業者。


軍事マニアで、『フランス外人部隊にいた』という体験談は、その大袈裟ぶりからウソの可能性も。


肉体的にはタフ。

逞しく引き締まった肉体に嘘はないようであるが、その目の光は、経営者としての人徳をにじませる風格を欠いていた。

視線には信じ難いほど堅く強力なものがある。


それが何なのかはわからない。


一瞥ですくみ上がらせる眼力といえる。

それにおびえてお追従を言い出す自己保身者ばかりで経営陣を固めていたのは事実だ。

髪は薄い。

若さを自負したいであろう本人の感覚を侵食してゆくかのように、老人斑も多い。

自他ともに認める性豪であり、衆道にも造旨が深いとうそぶいている。

現任研修の最終演説は、常にこの男が締めるのがこの会社の伝統になっていたが、疲労が限界に達して倒れて尚、脇で見張っている“牛頭馬頭”に気合いを入れられる犠牲者と、現任研修後で必ず倒れる女子隊員がいるのが忌わしき伝統だった。



「では、話をもとにもどして、この “ 人気のあるもの ” と “ 人気の無いもの ” に区分されてしまう流れは、私ども警備業界にも共通しています。


実に過当競争と表現されても差し支えないほど、自らの生存をかけているのでございますよ。

ですから、現実は非常に厳しい時代ではございます。

しかし、どうか隊員の諸君らには是非ともこのことを認識していただいいて、迷うことなく奮起していただきたいと考えております。



この男は、軍用ハマーの民間払い下げ(砲座付き:さすがに機関砲は無いが)を乗り回している。

もちろん社有車の名目で会社の金で買ったものだ。

今日も研修所の駐車場に停まっていた。

アメリカの警備会社は、実際にこの車種に武装してイラクやソマリアに出向していたらしいが、この男はただ自己顕示欲で乗り回すだけの使用法しか思いつかなかった。



「諸君らはバカです。しかし、明日へ向かって自ら変革を継続しようと思えば、その瞬間から諸君らはバカではなくなるのです。

「男女の交際に迷いを持ち込んではいけません。そんなことはバカのすることです。迷って気合いの入らない人間には、私がどんどん気合いを入れてあげます。

そして、これまで極楽大平警備保証の一員として培ってきた 『団結』 を失わないでいただきたい。この団結なくして我が極楽大平警備保証はありえません。はい、眠くなってきましたねぇ~


「おい、そこのっ」


右側の、帯革から腹の脂肪を溢れさせた比較的背の低い男が、神谷社長の声に呼応するかのようにヒステリックに怒鳴った。


「うっ…」


「気を抜いてはいけませんよぉ~、気合いですよぉ~

怒鳴られたのは、わずかにうつむいた初老の警備員。

3時間も教練を終えた後である。疲労も限界だ。

ここ上野にある本社で行われる現任研修に来る警備員(そもそも警備業法に定義される警備員すべて)は、

半年に一回受けなければならない義務が第21条に定められる。

現任研修は仕事扱いだから5000円の日給は出るが、この会社は交通費は払わない。

全国12も支社がある大企業だ。

現場に人をかき集めるなら手段は問わない。

来なけりゃ仕事は無い、と脅せばよい。

今日の現任研修にも、仕事を続けるために交通費無しで、水戸や市川、町田から来ている人間もいた。



ちなみにJRの交通費(片道)  2011年

都心←→那珂湊(茨城)=2560円/都心←→荒川沖(茨城)=1280円/都心←→成田(千葉)=1280円/都心←→木更津(千葉)=1450円/都心←→鴻巣(埼玉)=980円…



「我が社といたしましては、21世紀を全隊員と共に生き抜く会社を目指し、各隊員の待遇を改善し、更なる発展を遂げねばなりませんね。そして、この神の国日本に生まれたことに自信と自覚をもってください。

この自信と自覚なくして警備員の誇りはあり得ません。



「私が諸君に厳しい言葉をかけるのは、まさにこのことを背景にした慈悲の言葉なのであります。




『(経営者自ら)慈悲』がある、という経営者の自発的な言葉は、悪魔の言葉といってよい。


『気おつけ、なおれ、休め、回れ右』この基本動作を足場など一切気にかけない場所で、間に警備教育資格者のほとんどくだらない自慢話と化した座学をはさんで延々3時間も聞かされた後で、直立不動のまま聞かされるのだ。

拷問と洗脳の心理的受容体制は完璧に整えられている。

そして、この言葉が脳内に入るやいなや、思考と理性的な判断が慢性的にショートしやすくなる環境が出来る。

虐待を続けた親にすがる子供の心理だ。



私も全隊員の代表といたしまして、集まっていただいた諸君が仕事をする上で若干の苦しいことがあっても


『みんなと一緒に仕事ができて心から感謝している』


と言われるよう会社にしてゆきたいと思っておるのであります。

私自身、この会社を立ち上げた立場として最善を尽くしますからね。


「そして諸君らが極楽大平警備保証の一員として誇りを感じやりがいのある職務として発展させるべく邁進してゆくつもりです。加えて、品質向上と徹底したサービスを心掛けて『魅せる警備』を完成させてゆけば、必ず私どもは次代をになう警備業を興せるものと確信しております。この点を御理解いただき、今しばらくの御努力を賜れば幸いでございます。」



左側前にいたデブが声を張り上げた。



「以上をもって、平成24年度前期現任研修を終了する。神谷社長にた~~~いし、敬礼、直れ、休めっ…」




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