薬師倫太郎臨床心理事務所01/WPK(ワーキングプア警備員)//01_休みを取る資格!?
オレ?
河内勇樹23才。
彼女?
欲しいなぁ…
六月に
美容師の学校を辞めちまったオレは、食うためにアルバイトを探してきた。
今やっと長期でやれそうな仕事に就いてる。
警備員だ。
制服を着れる仕事なんて始めてだったし、ちょっとはすごいかなと思ってたんだけど…オレ、バカだけど、身体には自信あるんだ。
でもさぁ、今、ちょっと不安感じてる。
オレの仕事場、休憩時間無いんだよ。朝08:00に現場に入って、夕方の18:00まで。
交代の時間はある。五分だけ。
昼飯の時間なんかは、次の交代の人が気を利かせて二時間連続して取ってくれるのでその間になんとか食える。そういうシフト時間割り表を会社から渡されて、現場の事務室に貼ってあるんだ。
現場はね、新青梅街道沿いの大きな雑貨店の警備。
夜勤のフォローで、朝7時に仕事始めて、夜8時まで休みがとれないことだってあるし…
「河内ぃ、そろそろ引き継ぎするぞ~」
「あ~、今行きま~す」
オレはロッカーに荷物をぶち込んで、ネクタイを絞めた。
足早に階段をおりる。
ロッカールームに、オレが応募した(っていうことはオレが今仕事してる所の)求人広告が貼ってある。
この会社、しょっちゅう求人広告をだしてるらしい。
『いい仕事マガジン』
(駅配無料求人誌2015年5月号)
募集:施設警備常駐警備員、
★イベント交通整理スタッフ
★男女セキュリティアテンダントスタッフ
未経験でスタートした仲間がいっぱい
勤務地:都内各所、他各種、希望者遠隔地 出張あり
給与:日勤7000円以上当務13000円以上
時間:日勤、夜勤、変型労働時間制
休暇:応相談
資格:大卒以上70才まで 研修有り
資格取得者優遇待遇:
各種資格取得費用は当社がすべて面倒見ます
応募:採用係まで至急TEL、
もしくは以下のメールアドレスまで
極楽大平警備保証株式会社/連絡先…
代表取締役:神谷金太郎支社全国に16、従業員1165人
『さんライフ丸木屋』新青梅街道沿いの郊外型の総合雑貨店。
警備体制は15ポスト現場だ。
守衛室が1名、1・2階巡回4名、駐車場4名、駐車場料金所1名、外周巡回1、防犯万引対策2、防災センター2名で合計15名である。
1ポストに1人着任したとしたら、交代、休憩時間のシフトも含めて19人は必要だったが、常駐隊員が常に15人しかいない現場である。
ポストの数は契約上勝手に減らすことはできない。
契約上のポスト数は15。だから必要な人員も15名。
もし休憩を入れるために一人増やしたら、一人あたりの日当を365日で一年契約分計算したらいくらになる?
人件費は安ければ安いほどよい。
警備員の平均年収217万円(2009年度国家統計)が、いかに人の生きざまに暗い人間がしたり顔で現場を仕切っているかをよく現している。
当然この数字はもっとも悪意が薄められた数字である事を忘れてはならない。
家族がいれば生活保護を併用しないと生活していけないほどの低収入者が多数いる事は、明記しておくべきだ。
バカな(警備会社の)営業は、労働基準法など一顧だにせず、判りやすい計算式を描いて、客に尻尾を振りながら喜ばそうとする。
“安くてお買得なサービス”であることをアピールしてお客を喜ばせればそれでいいのだ。
現場のことなど知ったことではない。
経営者の、経費削減について申し訳なさそうに振る舞う擬態に、彼等無能な営業は先見の明を見出だし心酔する。
人倫に欠損が見られる経営者であっても、そのレッドカードを授受した経営代表者に一切の反論を挟まずお追従のうまい部下は出世し、若くしてたるんだ脂肪をその身体にためるものだ。
生きてゆくのが困難になるほどの低額の給料のおかげで、たとえ現場で死人が出ようと一切関知はしない。
労基署にチクられたら、適当に媚薬を嗅がしておけばいいのだ。
みんなやってる事である。
毎年恒例の『ブラック企業ノミネート』は、爪の先ほど程度心休まる気休めにしかすぎない。
厚生労働省の役人も労基署の監督官も役所を出たがらないし、その理由つけのための弁舌は極めて多彩だ。
まさに理性と正義の人材は、覚悟をもって探す行為を準備するべきである。
すでに死人は何人も出ているらしい…
本人の持病の発作のせいにして誤魔化すのは容易い事である…
巧妙な人員削減による合理化は、その媚薬のための原資も容易に調達を可能とする。
2009年の民主党政権樹立後、政権へ直結した労働運動の基幹部は、一気に非正規雇用の労働環境改善への展望を欠いている事を露呈した。
自民党復興政権は、その政治的失態を糊塗できたかのように見えたが、格差社会の是正は、地球文明史的視点が必要になってくる事を証明するには、今しばらく時間が必要になるだろう。
非正規雇用の単純にして恐るべき数値の増大を食い止められない様を、ただただ手をこまねいていた無能は歴史的痴態として語られる事になる。
そして、合理化と生産性拡大という美名のもとに、現場には休憩時間というものは無くなるのだ。
休憩時間が『全く』無いという事実が、
労基法違反というのは外野の良識が掲げる単なるプラカードにしかすぎない。
世間には我が身かワイさのために見て見ぬ振りをする役人はいくらでもいる。
厚生労働省の人間は決して永田町から出ては来ないし、
労基署の人間も建物からは出てきて手弁当で現場の苦労を共有しようという奇徳な人はいない。
ここは365日休みの無い現場だ。
極楽太平警備保証では当たり前のことだった。
そして熾烈な経済競争に勝ち抜く業界風土のみが、
その過酷な労働環境の悪化を美化する事でごまかし続けていた。
…
今日は、二号現場をこなしてるって人がオレの現場の応援に来てる。
守衛室のポストに就いている葵菜さんが紹介してくれた。
(葵菜さん、美人なんだよな、気立ても優しいし…)
二号現場ってゆーのは、道路工事なんかを専門に警備するらしい。
オレもこの仕事について、警備員にもいろいろ種類があるのを知った。
ポスト交代の時間は五分だって言ったけど、実際は10分くらいみてもらってる。
その10分のうちの5~6分で、オレ達は息抜きがわりに世間話をするわけさ。
オレは、待機室で、為川さんの方から声をかけられた。
「あ~…おつかれさん」
「お疲れ様です」
「俺の別の現場の工程表みせてやろうか。」
え?興味津々!
「見せてくださいよ。」
極楽太平警備保証 団子屋魔印刷配送センター勤務行程表
08:00:日勤者交代
09:00:巡回
10:00:受け付け業務
12:00:清掃
12:30:昼食待機
13:00:受け付け業務
16:00:構内巡回
17:00:清掃
18:00:夜勤者交代
19:00:巡回
20:00:清掃
20:30:巡回
23:00:仮眠
01:00:受け付け業務
03:00:巡回
04:00:清掃
05:00:巡回
06:00:伝票整理
07:00:清掃
「オレさ、奥さんと子供養うのに一週間休みなく働いても3万円にもならないんだ…」
為川さんは、他人事のようにつぶやく。
「え!この時間割じゃ、眠れる時間は1時間から1時間半!?…」
オレは、にわかには信じられない配分に、頭を整理しながら口を開く。
「俺の奥さん、訳あって籍入れてないんだけど、それで目をつけられちゃってさ、“こういう所専門”に回されるのな、」
「なんで?」
「“遵守要項”書いたろ?、最低の会社だよな、でも、俺、こんな仕事しかできないから…」
為川さんは投げやりに笑った。
オレは、わかったようなわからないような感じで、あまり考えずにうなずく。
結婚してる人の苦労は、他人にはわからないものがあるんだと思う。
次は駐車場か。
「死なないでください。」
「大丈夫だよ、ほら、もう残車、あのバイク二台みたいだし。」
駐車場へ行くには、フリッカー(点滅誘導棒)を取りに、二階の待機室に一旦戻らなきゃならない。
その時に窓から駐車場が丸見えになる。
それにしても、
オレはそういう意味でいったんじゃないんだけどな。為川さん、糖尿病だって聞いてたから。
ものすごく痩せてるし。
「それじゃ、がんばって、為川さん…」
サンライフ丸木屋、駐車場。
二台のバイクの脇に買い物を終えた男女の客が、荷物をバイクの荷台にくくりつけながらおしゃべりをしていた。
「はっくしょん」
「あらぁ、…誰か倫太郎のこと噂してるな。」
「霊感アンテナ、鬼太郎みたいにね、こがピッと立つんだよ。」
「何ふざけたこといってんのよ、んとに、ふふ、」
HONDA PS-250(モスグリーン)のところにいる
身長180cm以上の男性が薬師 倫太郎
多摩環境大学人文学部、心理学科卒、臨床心理士にして、男のくせに、腰まで届く長い髪を二ケ所で束ねてある。比較的地味目なスーツの上にウインドブレーカーを羽織っている。
HUNTER CUBの所にいる女性は、雲雀ヶ丘 凛
アニマルセラピスト 斑鳩大学東洋哲学科卒業 臨床心理士。アロマテラピーの関連で薬膳料理のプロ。
薬師倫太郎の婚約者でもある。
彼女は、レザーのライダースーツだ。
「そういえばさ、今度またゲゲゲの鬼太郎新シリーズ始まるよね」
「ふふふ、私はあのモノクロ版みたことあるぞ」
「えっ!ほんと!?」
「DVDだよ~ん、」
「なぁんだ…」
異常に髪が長く、日本人離れした容貌の男は、ヘルメットを被りながらため息をついた。
「相変わらず減らねぇなぁ、パワハラ、セクハラ…」
『企業内人材マネジメント構築』もその看板の一つに掲げる薬師倫太郎臨床心理事務所の代表、薬師倫太郎の心中は、それでも見かけほど落ち込んでるわけではない。
「明日の食うもん心配しなきゃならない人がいる事を想像できない人間が、平気で経営者になるからな、最近は、」
「時代なんじゃない?倫太郎、」
今日も、青梅街道沿いにある金属加工会社の人事部の依頼で、研修会を開いてきた帰りである。
サンライフ丸木屋に寄ったのは、資料用本棚の見積もりを頼むためだった。
単なる私的な用事に過ぎない。
「法律で綺麗ごとならべても、経営者のモラルがね、」
「今日の所も怪しいもんだ、ま、やらないよりはましだが。」
「そうよねぇ、」
「明日は極楽太平警備保証さんだっけ?」
「なんかあそこも、問題ありありらしいわよ。幡多が丘橋署の高御角警部がいってた。」
「そうか、ま、仕事仕事、今日の夕御飯なんだっけ?」
「玄米キーマカレーだよ」
「お、やったね」
夕闇が濃くなりはじめた駐車場を出た二台のバイクは、一路青梅街道を東へ向かった。