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おちたー

想い出力

作者: ササデササ

 ゴールデンウィークも終わり、学校中に五月病と言う病が蔓延しているらしい。

 今は、そんな五月中旬。

 人気の無い廊下を歩き、一年五組の教室に入ると、そこにも人影はなかった。

 誰もいない教室で、教卓の上に登り、あぐらをかく。窓からは、朝日が教室を照らし、一日の始まりを知らせている。

 北と東を少しの民家、西と南を多くの林に囲まれた、この学校の教室は、生徒たちが来るまではとても静かなの。

 時刻は七時半。

 私は、この時間が好きだった。

 静寂に包まれた教室が姿を変えていく。迷惑なぐらいエネルギーに満ち溢れた若者たちによって、やかましい教室に変わっていく。

 その間、わずかに一時間とちょっとだけ。

 急速に急激に、姿を変えていく教室を見るのが好きだった。

 だけど、今日は様子が違うみたいだ。

 私が教卓の上から教室を見下ろし始めて、十分程のち、教室のドアが開かれた。

 長い髪をちょんまげのように縛っている男。毎日、教科書を教室に置き去りにしているため、ギターだけを背負って登校して来る男。入学早々、ネクタイをなくしてしまったらしく、ブレザーとYシャツだけを羽織る男。いつもなら、一番最後に教室に入場する男。

 今日は、その高橋君が一番早く教室に入ってきた。

 高橋君は教室後ろのコート掛けに、ギターを立てかけ、私に話しかける。

「おはよう~。早起き出来たから、今日は野望を達成できると思っていたのにな。俺さ、人生で一度は教室に一番乗りしたかったんだ~」

 そう言って、高橋君は窓を開けた。

「それは、悪い事をしたわね」と私が答えると。

 高橋君は窓のサッシに腰をかけ。

「いやいや、君は悪い事なんかして無いだろ? それにしても、朝早いんだね。えっと、何さんだっけ?」

 私を指差してくる。

 私は教卓の上から飛び降り、高橋君の目の前、窓際の席に移動して座ってから。

「あら。随分失礼な事を言うのね。私はあなたの名前をちゃんと覚えているわよ。高橋君?」

「あ! ゴメン! でも、違うんだ。俺は委員長の名前も覚えて無いしさ。君だけじゃないよ。まだ、二人の名前を覚えて無いんだ」

 そんな言い方では、何のフォローにもなって無いわ。委員長と私以外の名前は覚えているんでしょ?

 高橋君が私の名前を知らない事なんて、些細な出来事だ。 本当は少し寂しかったかもしれない。私は高橋君を責めてみた。

「別にいいのよ。私なんて誰にも気づかれないのが普通なの」

「違う!! 確かに名前は知らないけど……。俺は君の事が好……。君の事を知っていたよ。だから、えっと。ゴメンなさい!」

 そう言って頭を下げてから、私と目を合わせずに太陽を見つめる高橋君の顔は、少し赤かった。

「良いわよ。私は怒ってないし……。でも、名前は教えてあげない。自分で調べなさい」

 高橋君は、もう一度「ゴメン」と謝り、了解した。

 それにしても、本当に高橋君は気づかないのかしら。

 私の疑問の視線を感じ取ったのか、高橋君は目線を泳がせ、サッシに置いた指を落ち着かない様子で動かし……。窓から、登校中の他のクラスの生徒たちを見つめながら言った。 

「みんな、遅いな~」

 どうやら、高橋君は全く気づいてないみたいだ。

 バカな男。

「今日はね、このクラスは学級閉鎖でお休みなの。昨日の帰り、ホームルームで先生が言ってたじゃない?」

「えぇ~! 嘘だ~! 俺は聞いて無いよ」

 私は嘘を言っていない。そして、多分、高橋君も嘘を言ってない。

 ちゃんと、先生の話を聞きなさいよ。

 高橋君はサッシから降りて、私に「さようなら」と告げてから、ギターを手に取り。

「くそ~。今日は厄日だ。さっさと帰ろうかな」と不満げに漏らした。

 だけど、教室を出る時、少しだけ振り返り。

「あの娘と話できたから、厄日でも無いか……」と小さく呟いていた。

 熱を帯びる顔の理由を、言い訳するために私も独り言……。見えない誰かに話しかけた。それは、私自身へ、だったのかもしれない。

「別に、高橋君なんてどうだって良いのよ」

 そして、高橋君の魂の強さを計測しながら、もう一度独り言。

「高橋君の魂が成長するのを待っているだけなんだから。彼に特別な感情なんて抱いて無いんだから」

 高橋君が私の名前を知らなかった理由。それは、私が人間じゃないからだ。

 この学校で私を見る事が出来る人間は、高橋君しかいない。

 人の魂を食べる生き物。名前も無い生き物。

 学校の精霊、と言った感じかしら。違うわね。学校の悪霊?

 とにかく、学校と言う狭い空間に束縛され、人の魂を食べる生き物。

 それが私だった。

 そんな私に全く気づかない高橋君はバカだと思う。

 そして、私の特殊能力は、高橋君の魂の強さを五十九ソウルと言う数字として表した。

 困ったわ……。

 あ、違うの。五十九ソウルと言う数字じゃないのよ。

 人の魂はほぼ一ソウル。多少の個人差はあれど、定数と考えていい。

 それ故に、『人の魂の強さを測る』なんて能力を持つ者は稀みたい。必要ないのだから。

 だから、五十九ソウルと言う数字はあり得ない程凄くて、しかも、高橋君の魂は高校に入学してから一ヶ月程の短い期間にも、一ソウル上昇した。

 そう。困った理由に、魂の強さは関係ない。

 問題なのは、高橋のバカが、ドアのガラス越しに、私の独り言を見ていたのよ!

 なんで、さっさと帰らないの! あの男はバカだわ!

 高橋は私と目が合うと、お参りするかのごとく両手を合わせて、教室に入ってきた。

「ゴメンゴメン。今日練習するつもりだった楽譜を、机の中に置きっぱなしだったんだ。そしたら、君が嬉しそうに笑いながら話しているからさ。邪魔しちゃ悪いかな~って」

 だからって覗き見ること無いじゃないの。エロバカ男!

 私は冷静を装った口調で。

「それで? 楽譜はあったのかしら?」

「うん。あった! これ、俺が作詞作曲したんだぜ? 凄いでしょ~?」

 なんて子供じみた笑顔を見せ無くて良いの!

「ところで……。さっきの聞こえていたのかしら?」

 どうなのよ? 私の独り言を聞いちゃったの? それが大事なの!

「いや~。聞こえなかったよ」

 と言っているけど、本当なのかしら。

 嘘を知らなさそうな笑顔が、実にイラつくわ。

 更にバカ橋は。

「それにしても、君は誰に話しかけていたの? 普通の人には見えない、人間以外の生き物を見れたりして?」

 それは……。あんたよ!

 あ~。この男はバカだわ。本当にバカだわ。

「そんなの見えるわけ無いでしょ? ただね、私は誰もいない教室が好きなの。独り言もその特権なのよ。そういう気持ちわからないかしら?」

 私は何を言っているのかしら?

 今までに経験した事の無いぐらい、顔が熱い。今の顔色は鏡を見なくてもわかる。

 だけど、このバカは。

「それわかるよ! 誰もいない夜道で鼻歌を歌っちゃう感じでしょ?」

 私の顔色なんて気づいて無いんだわ。と言うか、そう思わないと叫び声を上げそう……。

 バカ橋は帰る気配も見せずに、私の前まで来て。

「君もさ。学級閉鎖なの忘れて学校に来ちゃったんでしょ? 意外とドジなんだね」

 私の手を握り。

「俺もせっかく学校まで来たのに、真直ぐ帰るのも癪だからさ。一緒に屋上に行こうぜ? って言うか、俺の歌を聴いてよ」

 屈託の無い笑顔を見せる。

 まったく、もう! 

 高橋君はバカなんだから……。


 高橋君の歌は、歌っていて恥ずかしくないのかしら? と思うものばかりだった。

 ギターを弾きながら、斜め前の空を見上げながら。

「好きだ! 好きだ! この気持ちは抑えきれない~」

 と歌い、視線を私の目に移して。

「毎日~、一緒だったらいいのに~。ずっと離れたくないのに~」

 と歌い、無邪気な笑顔を浮かべて。

「毎日~、晩御飯がオムライスだったら、いいのにな~」

 と締めくくった。

 大体、彼の歌はこんな感じ。

 他には『カレーを発明した人に憧れて』とか『卵焼きの奥深さは、人類の奥深さ』とか。

 タイトルからして恥ずかしい歌ばかりだった。

 だけど、そんな高橋君は可愛かった。

 でも「ねぇねぇ。どうだった?」と聞いてくる高橋君は、非常に迷惑だった。

 そうでしょ?

「よくわからないけど、美味しそうね」

 としか言えないわよ。

 私は食事と言う行為をした事が無いのだから……。

 

 夕方になると、学校はまた静けさを手に入れていく。

 朝の急激な変化とは違う。

 直ぐ帰宅する生徒や、居残り授業の生徒に、部活動の生徒。違う生活リズムの生徒が、少しずつ帰っていく。

 私にはその緩やかな変化が、逆に、残酷に感じた。

 この時間が嫌いだった。


 気がつけば、もう、学校に人影は無い。教員たちも宿直担当の一人だけを残して、帰ってしまった。

 高橋君も、もう帰ってしまった。

 それでも、未だに、私は屋上の柵に寄りかかり空を見ている。

 私の意思を無視して、頬に流れる涙を、指ですくい舐めてみると、初恋の味はしょっぱかった。

 顔も見せてくれない新月に、愚痴をこぼすのだけど。

「あのね。私は人間に生まれたかったのよ……」

 だけれども、彼は何も答えてくれない。




 俺の部屋に、聞きなれた甲高い女の声が届く。母親のものではない。

「陽介~! 起きなさい!」

 部屋から居間ままで、その距離約四メートル、壁も三枚挟んでいる。

 それでも、彼女の声は俺の鼓膜を激しく揺らす。

 寝続けたい気持ちもあるのだけど、それを拒絶するかのように、彼女の声は俺の脳を覚醒させる。

 寝たいのに寝られない。まるで、初恋のようだ。伝えたいのに伝えられない。

 なんてね。

 布団から起き上がり、鏡に話しかけた。

「やぁ、おはよう! 高橋 陽介。今日も才能溢れた笑顔だね」

 鏡の中で、寝癖だらけの長髪の男は欠伸交じりに笑った。俺が笑っているのだから当然だ。

 想い。

 目に見えない、それは、確実に世界に存在している。

 そして、人が『想い』を出力する方法は数あれど、声に出すと言うのは効果的な方法だ。

 それが俺の持論。

 だから、毎朝、鏡に話しかけるんだ。

「今日も俺は素敵だね」ってね。

『想い』の存在を信じていない、世間の連中も、俺の朝の儀式には気づいている。

 彼らは、これを自己暗示とか名づけていたかな。


 居間に向かうと、大家族が迎えてくれた。

 大人ばかりの俺の家族。

 俺を除いて、男四人に女二人がいるけど、血が繋がっているのは父と母の二人だけ。

 それじゃ、他の男三人と女一人は何者? って言われると困るんだけど、説明するのは面倒臭い。まぁ、とにかく家族なんだ。

 そして、こんな家族は世間一般には『複雑な家庭』と定義付けられて、やっぱり『複雑な事情』を抱えているのだけど、それでも『幸せな家族』なんだ。

 俺たちが幸せなら、そこにどんな事情があろうと、周りに何と見られようとも、関係ないね。

 それは、この家族の総意だろう。

 朝食はとても賑やかに食べる様は幸福の笑顔で、それは毎朝の事ながら、俺は思う。

 本当にウルサイ連中だ!

「お前ら、飯ぐらい静かに食えよ。ここは動物園か?」

 と俺が抗議するのも毎朝の事で。

 イメージ通りに、けばい化粧と派手な服を着た甲高い声の女に。

「陽介こそウルサイでしょ! 毎晩毎晩、食い物の歌なんか歌って! ダイエットも出来ないわ」なんて怒られて。

 そして、いつだってウキウキしてそうなイメージとは違う、理屈っぽいメガネ男に。

「そうだね~。健也の歌は音痴でもある。僕らが毎晩こうむる迷惑と、健也が朝食の時間だけ受ける苦痛。それは比べるまでもなく、僕らのほうが被害者だよね~」とか嫌味を言われて。

 イメージ通りに、縦も横もゴツイ豪快な男と、イケメン堅物男には。

「好きな事をやるのは良い! 好きだからこそ、あんなに酷い歌を自信持って頑張れるもんだ!」

「うむ」とかね。

 これも、いつもの事だ。俺はこの家で弱者だった。

 彼らのクドクドした文句を受け流し、朝食を食べ終え、俺は捨て台詞を残して居間を出た。

「お前らには理解できなくても、俺の歌は価値あるものなのなんだよ!」

 だけど、俺は知っていたんだ。悲しい事に、その捨て台詞は、自分を自信つけるための嘘であると。

 俺は親父の「頑張って来い」なんて言葉を背負い、相棒のギターも背負い、家を出る。

 玄関のドアを開けると、太陽は微笑んでいた。嘲笑では無い事を切に願う。


 家の近くにある、新札広駅は、副都心を目指した事だけあり、この辺じゃ大きい駅に入る。地下鉄も鉄道もバスターミナルも集結している駅だ。駅の近くには、大きな公園があり、その公園内にはステージ付き広場がある。その広場は祭りなんかの時に良く利用されて賑わうのだけど、普段は使われる事は少ない。もったいないよな。そう思っていたのは広場の所有者も同じらしい。そんな理由から、三年前から、そのステージを一日千円で貸し出し始めたのだ。

 と言う事で、俺は毎週日曜日、このステージで歌う事にしているんだ。利用者内で、ローカルルールがあり、基本的には十分交代でステージを譲り合っている。今日は八組の利用者がいるみたいだ。

 最初の漫才コンビが芸を披露すると、彼らの固定客が拍手で迎える。『笑い』の雰囲気がステージを暖める。

 二番目のバンドマンたちが演奏を開始すると、広場横の歩道からも見物客が来る。彼らの固定ファンたちは熱狂する。

 そして……。俺の順番だ。今日は『カレー』をメインに歌っているのだけど……。

 俺が歌い始めると、みんな自分たちの世界に入り、くつろぎ始めるんだ。歩道からの見学者たちは、自分の用事を済ませに広場を去ってしまう。

 足を止める奴は一人もいない。多分、俺の歌を聞いている奴も一人もいない。

 真の芸術は、いつだって、時代を先行しすぎるものさ! 俺、負けないもん!

 それに、今日、この街の晩御飯はカレー率が高くなるね。これだけは確かだ。

 想いの力って言うのは凄いんだ。

 これまた、世間知らずな世間の連中は理屈付けるのだけど。サブリミナル効果とか、ササヤキ効果とかね。

 結局、誰一人として、歌を聞いてくれなかった。

 そして、時刻は十六時。今日のスペシャルライブは終わる事になる。騒音問題から、このステージを使えるのは十六時までなんだ。

 次に俺が向かうのは、駅直結のデパート、地下街だ。地下街の片隅では、一畳程のレンタルスペースを四時間千円で借りられるんだ。しかも、カーテンつきでプライバシーも守られている。

 ある時は高校生、ある時は謎の天才ミュージシャン、そして、もう一つの俺の顔。

 それは、霊媒師っぽい占い師っぽい、人生相談の男。

 ギターをケースにしまい、貸しスペースのレンタル手続きを済ませ、机と簡易カーテンも借りてくる。

 定位置に移動し、準備をして……。最後に『営業中。人に言えない怪奇な悩みをお聞きします。相談千円。解決は応相談』の看板を掲げ、カーテンで作られた一畳程の簡易部屋に入場した。

 営業開始から、二十分後に現れたのは、十代後半と思わしき男だった。

「いらっしゃい。今日はあんたが初めての客だよ」

 まだまだ寒いこの春に、タンクトップシャツにジャージズボン姿の彼は、ぽっちゃりマッチョで坊主頭だった。柔道とかやっていそうだな。

 良し! 命名、三船だ。

 そして、彼は俺を知っているようだ。

「高橋! そっか~。お前がやっていたんだな。この怪しい店」

 と言いながら椅子に座った。

「なんだ? 俺は三船君の事を知らないよ」

「三船? 誰だそいつは? 俺も知らん」

「あんたの事だよ。俺って名前を覚えるの苦手だからさ。あんたが柔道をやっているから『三船十段』から頂いた。三船さんは柔道の神様なんでしょ?」

「いや、俺には佐々木って言う名前がある! それに俺は野球部だ。キャッチャーをやっている」

「あぁ~。駄目。俺の中で君は柔道少年なの。で、三船君は何で俺を知っているんだい?」

「俺こと佐々木君は、お前と同じ学校に通っている二年生だ。そして、お前は中学生の時から有名人だからな~。音痴なストリートミュージシャンとして」

 三船は豪快な笑い声を上げる。

「そういうことか。良し。話はわかった! 済まないな。三船君の悩みは俺の手に負えんみたいだ。お詫びの気持ちと、同じ学校のよしみで、今回は相談料を貰わないよ」

 そして、俺は出来るだけ優しい笑顔を作って言った。

「さぁ、早く帰れ!」

 俺の芸術を理解できない男に、貸す手は無い。

 しかし、三船は俺を無視して話を進める。

「あれは、一昨日、金曜日の事。確か、お前のクラスが学級閉鎖の二日目で休みだった日だな」


 最近の流行と言う物は、俺こと佐々木には合っていないらしく、つまりはゴツイ男はモテナイ時代だ。それでも、先週ぐらいから熱い視線を感じる。特に今日は特別だ。

 二年五組の教室から、グラウンドを覗く女子生徒。彼女の視線を感じていた。

 そして、不思議な事に、その視線からは声が聞こえてくる気がする。いや、メッセージと言うべきか。具体的な形はなしてないのだけど、それでも、俺には『会いに来て』と言う想いが感じ取れる視線だった。

 部活を終えると、空にオレンジの光はもう無く、それでも夜と呼ぶには早い。そんな時間になっても、俺を見つめてくる彼女に会いに行く事にしたんだ。

 靴箱の『佐々木』と名札が飾られている棚から、上履きを出す。『そうか。俺の名前は佐々木だったな』とは思わなかったのだけど、とにかく、軽い足取りで二年五組を目指したんだ。

 何故?

 それは俺自身もわからない。

 彼女に会いたいから?

 どうも、それも理由としては弱い気がする。「言葉に出来ない、目に見えない、誘惑がそこにあった」としか言いようがないんだ。

 そして、教室のドアを開けると、薄暗い闇が広がっており、その中で一人、少女が教卓に座っていた。

 ロングでもショートでもない、どっちつかずのセミロングな彼女の髪は、ストレートでもパーマでもない中途半端な軽いウェーブだった。

 そんな、あやふやな雰囲気の彼女は、それ故に、美しく見える。しかも、あぐらをかいているので、スカートの中から白いパンツが、俺の視線に映る……。 

 俺は慌てて目線を下に逸らすのだけど、彼女はハレンチな俺の心に気がついたのか、クスクスと笑っていた。そして、こう言ったんだ。

「会いに来てくれたのね。嬉しいわ」

「俺に会いたかったの?」

「そうね。あなたは特別ですもの……。ねぇ。下ばかり見ないで、私の顔を見てよ……」

 パンツを視界に捉えないように、頭がパンツを認識しないように、彼女の顔を見ると、それは妖艶な微笑みだった。

 落ち着いた色のブレザーの制服は闇に溶け込むようにおぼろげな存在感で、それとは対照的に、彼女の白い顔はくっきりと浮かび上がっていた。

 神秘的な美しさ、俺はそう感じてしまったんだ。

 今度は彼女の瞳から目を離せない。

 つけまつ毛の力だろうか、化粧のせいなのか。普段は小さいはずの彼女の瞳に、強い目ヂカラを感じた。いや、俺は『彼女と見つめあう』と言うシチュエーションに、酔っていただけなのかもしれない。

 とにかく、目も離せず、身動きも取れなかったんだ。

 そんな俺を、彼女は頬杖を付き、微笑みながら見つめていた。嬉しそうに満足そうに。

 しかしだ。

 その時、背中に柔らかい感触。

 俺は経験したことの無いはずの感触の正体を知っていた。それは、女性の胸部の膨らみだと。しかも、かなりの大きさだと……。

 体温が、特に顔の温度が上昇するのを感じつつも、何が起きたのかわからない。

 その状況はあまりに不自然だと感じた。

 そうじゃないか? この柔らかい感触の主は誰なんだ?

 俺の動揺を感じ取ったのか、教卓上の彼女は天井を見つめながら、大きな声をあげて、ケラケラと笑い始める。

 一方……。

 胸を押し付けてくる後ろの人物が、突然、俺の頬を撫でた。

 笑わないでくれよ。このゴツイ俺は、女性のような甲高く小さな悲鳴をあげてしまったんだ。そして、振り返りながら、座り込みながら、まるで転ぶように地面に崩れ落ちると……。

 俺の後ろにいたのも彼女だったんだ。

 意味がわからないだろ? 

 それは、その時の俺も同じで、慌てて教卓の上に視線を送ることになる。

 そこに、彼女はいなかった。

 今度は急激に下がっていく、俺の体温。もう、何がどうなっているのか解らない。

 そして、微笑を浮かべながら不気味に近づいてくる彼女、立つ事も出来ずに後ずさりする俺。

 ついに窓側の壁に行く手を遮られ、その衝撃に後ろを振り返ると……。

 時同じくして、太ももが柔らかいものに包まれた。

 俺の太もも膝のあたりに、彼女がまたぐように座り込んでいた。

 彼女は、ジリジリとスライドしながら俺に近寄りながら、彼女は片方の手でスカートをめくりあげ、不本意にも、俺の視線は彼女の白い布へと送られた。

 高鳴る心臓の音が、何故、激しく脈打っているのか、それすらも理解できない。

 恐怖? 恋愛感情? 性的興奮?

 そのどれもが存在していたように思う。 

 確かなのは、俺のへその下、丹田の下の、足の付け根辺りにいる『もう一人の俺』に血が集まり、膨張してくるのを感じられた……。

 膨れ上がったそれに、近づいてきた彼女は膝を当て、微笑する。緊張しているからか、小さな膝の刺激が強い快感だった。

 気が付けば、彼女の顔が至近距離にある。

 そして、彼女は俺の頬を撫でながら。

「ずっと、ずっと……。あなたを待っていたのよ」

 吐息でも俺の頬を撫でた。

 彼女はそのまま、更に顔を近づけ、互いの唇が触れそうな至近距離で。

「ねぇ、目を瞑ってよ」

 と笑った。

 俺は意味もわからないまま、彼女の言葉に従ってしまう。

「本当に愛おしいあなた……。食べちゃいたい位に……」

 その時だ。

 彼女のその言葉をかき消すように、廊下からガラスが割れる音が響き、警報機の非常ベルも鳴り響いた。

 その音に驚き、目を開けると、彼女の姿はなかった。

 彼女の温もりが消えた事で、ひんやりとした感触に気がつき、その場所に視線を落とすと、ズボンには少しだけ濡れた跡がある。

 なんて、顔しているんだよ。高橋はエロイ男だな。だけど、その時の俺も、ズボンを濡らした正体はそれだと思った。

 でも、違うんだ。今にして思えば……。

 あれは、多分、唾液だったと思う。

 

「その時は、慌てて逃げ出したんだ。怖かった事もあるが、非常ベルを鳴らした犯人にされるのも困るからな。と、こんな怪現象に遭遇した事で、佐々木と言う名の俺は、月曜日に学校へ行くのが億劫なんだ」

 三船は「信じられないだろ?」と笑って見せたが、顔色は青い。

「信じられるよ。この世には、そう言った現象はありふれている」

「嘘付け~。この商売上手!」

「嘘じゃない。古今東西、ササキ……じゃなくて、三船君が経験したような出来事は、いたってありふれた出来事なんだ」

「佐々木って言ったよな? 今、言ったろ? 見栄を張るなよ。俺は佐々木なの!」

「あ~……。駄目だ。俺の親父の教えなんだ。男たるもの一度決めた事は曲げるな、とね。それより、話を進めるよ」

 俺は彼の抗議を無視して。

「例えば、タイムトリップした男を基にした話が、浦島太郎。あるいは、宇宙人の女を基にした話が、かぐや姫とかね。そういう話を聞いたことは無いかい? とにかく、昔からこの世界には不思議が溢れている。いや、現代人が昔からある『不思議』を拒否しているだけとも言えるかな」

「う~んと、佐々木なる俺は理解しがたいのだが……」

 ウルサイ男だな。いい加減イライラしてきたぞ。

「オーケー。わかった。佐々木君である事を認めよう。そして、君が理解しないままで良い。さらに話を続けようか。その『不思議』を引き起こすのが『想い』だ。死んだ人間の『想い』が実体化すれば幽霊と呼ばれるものになり、生きた人間の『想い』が実体化すれば生霊と呼ばれている。その『想い』は物に宿る事もある。例えば、髪が伸びる日本人形や、表情を変える掛け軸なんかがそうだね。逆に『想い』から実体化した存在だってある。妖怪と呼ばれる生き物なんかに多いかな。更に『想い』は人類が観測不可能なエネルギーとして確かに存在しているんだ。例えば、奇跡と呼ばれている現象を起こすのも『想い』から生じたエネルギーだ。とまぁ、前置きが長くなってしまったけど、今回の件は実に簡単なんだよ」

「えっと……。すまん! 全くわからん! つまり、高橋は何を言いたいんだ?」

「今回の件は楽勝だ、と言う事だよ。佐々木君は運が良い。俺は、別件で今回の事情を知っている。守秘義務と言うのかな。詳しくは言えないけどね。とにかく、解決したも同然なのさ。だから、今回は五十万円かかる費用を……」

 五十万と言う、高校生には高すぎる金額を聞き、佐々木は唾を飲んでいた。

「一万円で良い。格安だろ?」

 なんて、使い古された手法。本来の金額の前に馬鹿高い金額を提示する方法に、佐々木は騙されていた。見かけ通りに馬鹿な男だ。

 嬉しそうに俺の手を握り。

「本当か? ありがとう!」だと。

 でも、一つ問題がある。

「でも、佐々木君は俺に隠し事をしているよね? だから、千円プラスして、さらに俺を無視して語り始めたので相談料の千円もプラスして、一万二千円頂くよ。場合によっては、追加料金が掛かることもある」

「構わないさ! 誰にも言えない、この悩みを信じてくれただけでなく、解決してくれるんだろ?」

「あぁ。ただ、君の助けが必要そうだ。えっと、二十一時ちょっと前に閉店して、学校に着くのが二十一時半って所かな……。そういう訳で、二十一時半に学校に集合な」

「わかった!」

 彼は嬉しそうに立ち上がり、簡易カーテンをめくり、部屋を去っていった。

 

 俺が住む街は、札広市。北海道最大の都市であり、日本五大都市にも数えられる。東京と比べればかなりの田舎だけど、結構栄えている感じもする。そんな街。

 俺たちの学校は、札広の隣の市、北諸島市にある。札広市っぽい場所、でもギリギリ北諸島市。そんな場所にあるんだ。未開発、あるいは意図的に自然を残したのかもしれない、とにかく林に囲まれた学校だった。

 開校四十七年の学校には、同じ年齢の白樺の木が植えてある。生まれた時から、ずっと、生徒たちを見守ってくれている白樺の木を、俺は好きだった。

 なんて、学校の説明をしている場合じゃない!

 佐々木の姿が見当たらない。俺は遅刻してしまい、時刻は約束の時間を十分過ぎているのにだ。

 あの野郎。一人で二年五組に行きやがったな。馬鹿が!

 違う。俺が迂闊だった。学校を待ち合わせ場所にした、俺が馬鹿だ!

 間に合うか?

 校門をよじ登り、玄関に向かえば、やっぱり誰かが侵入した形跡があった。玄関のガラスは割れていた。

 走りながら、ギターをケースから取り出しながら、俺は二年五組を目指す。

 だけど、運動は苦手だった。

 外靴のまま廊下を走り、階段で転び、それでも三階を目指して、結局、息も切れ切れで走れなくなり、歩きながらも……。呼吸するのも、ままならない状態で……。

 二年五組のドアを開けた。教室の前方、黒板側のドアを開けた。

 教室の後方、五つの机で作られたベッドに上に佐々木の姿がある。意識が無いのか、微動だりしない。

 その隣には中途半端な髪型の彼女がいた。

「あら。お客さん? でもね。私は佐々木君にしか用は無いの」

「待て。落ち着け。話そうぜ。な?」

 酸素が足りない。長い言葉を発せられない。

「話す? わからない人ね。良いから帰りなさい」

「嫌だ。話す!」

「帰りなさい!」

 そう言って、彼女は俺に手を向けた。

 小さく乾いた一つの爆発音と共に、俺の事を神社の鐘と間違えているんじゃないか? と思わせるような、丸太を叩きつけられたような強い衝撃を、腹に受けた。

 身体が宙に浮き、教室から押し出され……。廊下の壁に叩きつけられ、その反動で、窓ガラスは割れた。少しだけ吐血、そして口に鉄の味。

 痛ぇぇ!

 本当に俺は馬鹿だな。

 せめて、少しでも息を整えてから、教室に入るべきだった。

 落ち着け。

 とにかく、呼吸を落ち着かせろ。

 俺は深呼吸をするのだけど、彼女は待ってくれない。

 教室から二つの椅子が、俺目掛けて飛んでくる。ギターを盾に受け止めるのだけど……。手は痺れ、ギターは二つに割れた。椅子は勢いを弱めたものも、俺の肩を遠慮なく殴る。痛みに耐えながらも、動かして確かめると、骨は折れていないみたいだった。

 彼女は『私は人外の者なんだ』と主張するかのように……。重力を無視して三十センチほど宙に浮いた。それは、中途半端な髪も同じで、ここが水中でもあるかのように不思議な揺れ方をしている。教室にある、いくつかの机や椅子も同じく不自然に浮いている。佐々木の周りだけは平穏だけれど……。

 そして、彼女はドア付近まで移動しながら。

「あらあら。痛そうね。素直に帰れば良かったのに……」

 もう少し時間が欲しい。あとちょっとで、話せるのに!

 もちろん、待ってくれないみたいだ。彼女は机の足を折ったのか、鉄棒を手に持っていた。彼女の手の鉄棒は赤く変色し、槍のように加工されていく。

 おいおい。それを俺に刺す気ですか? そんなもので刺されたら、大怪我ですよ。わかってるの?

 俺は慌てて、教室のドアから見て死角、廊下の教室側の壁に逃げ込む。どうやら、彼女は教室から出られないらしく、追いかけてこない。

 俺はチャンスとばかりに、呼吸を整えるのだけど……。

 壁越しに槍が突き刺さり、俺の頭を掠めた。頭をさすってみると、手には少しの血がついていた。

 話しかけただけなのに、彼女は怒りすぎだ。まぁ、そうだよな。人類に限らない。食べる事を邪魔されるのは、全ての生き物にとって等しく、激しい怒りを感じさせるものだ。

 だけど、恐怖は無い!

 呼吸は整ったんだ!

 俺は、もう喋られる!

 歌えるのだから!!

 俺の『想い』から出来た物。最高の相棒。それが『マイ ラブ ギター』だ。その名もマイラギ!

「その割には、扱いが乱暴だな」なんて、相棒の声が聞こえてきそうだけど……。

 とにかく、それ故に、形はあれど不定形。俺が諦めない限り、俺のギターは不滅なんだ。

 そして、俺が思う、人が『想い』を出力するのに最適な方法。それは言葉にする事。いや、違うな。歌う事なんだ。

 俺は前方宙返りをイメージしながら、でんぐり返しで教壇に転がり込み。

「オーケー。今日のステージはこの教壇にしよう。おいで! マイラギ!」

 俺はこの台詞を、家族に笑われた苦い記憶を思い出しながらも……。

 肩と水平に横に突き出す腕。腕の先の手は数回のフラッシュ。

 そこに現れたのは、復活した最高の相棒マイラギ! 

 今の俺、最高に輝いている!

 なんて自己陶酔していると、机が飛んできた。慌てて教卓の後ろに隠れるのだけど、次々と嫌な音と共に変形していく教卓。

 俺は慌ててギターのチューニングをし、教卓から飛び出て……。

 歌い始めた。

「届かない想い~。気付かないあなた~」

「止めろ!」

 二年五組の彼女は、野太いエコーの掛かった声で言った。そして、二つの椅子が俺目掛けて飛んでくる。

 だけど!

 無駄だね。

 歌い始めた俺は、絶対完璧無敵なんだ! 実は、例外多数あり!

 俺の周りに半ドーム型の青い光。飛んできた椅子は俺の前方一メートルで、急激に速度を落とし、床に落ちる。グニャリと曲がった椅子の足を見ながら、前言撤回します。ちょっと、恐怖を覚えました。

 恐怖を打ち消すように、俺は歌い続けた。

「それでも、私は認めよう。もしかしたら、私以外の誰かが~、幸せになった証拠かもしれないのだから……」

「止めてよ。お願い」

 彼女は戦意をなくし、しゃがみ込み、すすり泣いている。

「だから、私は認めよう。怒らずに電話しようと思う~」

 そして、俺は彼女を見つめ締めくくった。

「あの~。宅配ピザが届いてないんですけど!」

 彼女は『想い』から出来た存在。そして、俺は彼女を生んだ『想い』の正体を知っている。

 だから、歌に乗せて伝えたんだ。彼女の『想い』を俺の口から。

『想い』から出来た彼女は、俺の芸術を理解できない愚直な人間共とは違う。多分……。

 ちゃんと、伝わったはずだ。

 そして、泣いている彼女に近づき、座り込んで目線をそろえ、もう一度諭す。

「恋って辛いよな。いや、片想いと言うべきかな。うん。でも、俺には気持ちがわかるよ」

「あなたに何がわかるって言うの?」

「嬉しい気持ち。幸せで夜も寝られない。でも、同様の恐怖。何より切ない。でしょ?」

「口先だけなら、何とでも言えるわ。あなたなんかに、この辛さがわかるものですか!」

「わかるよ。だって、俺も同じだから」

 俺は微笑み……、彼女も微笑んだ。

「信じられないわ」

「いいよ。それで。信じなくても良いからさ……。ただ、これだけは聞いてくれ」

 彼女の表情は俺の言葉を待っているみたいだった。言葉とは裏腹に、素直に認めてくれたのだろう。そう。彼女は『片想い』から生まれた存在。そんなに、邪悪な存在じゃないんだ。

 俺は彼女に最後の説得。

「好きな人を食べちゃ駄目だよ」

「そうね……。そうかもしれないわね」

 俺たちは笑った。可能な限り大きな声で。それでも、佐々木は起きない。図太い男だ。

 さて、と。実は、佐々木から相談を受ける前に、彼女からも相談を受けていたんだ。


 あれは先週の日曜日だった。

 その日も結局、俺の歌は誰にも聴いてもらえず、それでも、今晩はこの街の晩御飯はシチューだらけになるだろうと確信を持ち、レンタルスペースで店を開いた。

 それから、一時間後。

 やって来たのは、年齢不肖な女だった。

 中途半端な長さのストレートヘアーの髪形をした女で、化粧を一切しない顔は幼くも見え、細い目と細い口のきつそうな印象が大人っぽくも見える。身長も大きくも小さくも無い。何故か日曜日に学生服を着ているので、俺と同じ学校の人間だと言う事はわかる。なんて言うか、なにかも中途半端であやふやな女だった。

 ただ、一つ。はっきりと普通じゃないものがある。超貧乳だった。

 良し。命名、貧乳。

「やぁ、いらっしゃい」

「ここのお店って、高橋君がやってたんですね。今日はよろしくお願いします」

 と三回ほどお辞儀をする。中途半端な彼女は、弱々しい女性だった。

「え? 貧乳さんは、俺の事知っているの?」

 とまぁ、それから、ビンタを一つ貰いながら、佐々木の時と同じようなやり取りがあり……。

 ほっぺの痛さも手伝って、俺は直ぐに信念を曲げた。『貧乳さん』は、この世から消えた名前となった。

 彼女の名前は大塚さん。

 俺の学校の生徒で、俺より一つ上の学年で、俺の教室から見て真下の教室に在籍している。

 つまりは、二年五組の女生徒さんだった。

「えっと、なんて説明して良いのか解らないのですが……」

 そして、二回の「えっと、ゴメンなさい」。それとペコリペコリとお辞儀。

 しばしの沈黙の後。

 大塚さんは俺の手を握り、平らな胸に触れそうな場所に誘導する。

「ちょ、どうしたの?」

「えっと、高橋君の手には、何の感触もありませんよね?」

「うん。だって、何も触って無いからね」

 俺の言葉を聞いた大塚さんは、「失礼します」とペコリ。

 そして……。

 胸元のリボンを取る。ブレザーも脱いで。

「急にゴメンなさい。言葉で説明するのは難しくて……」とペコリ。

 Yシャツもブラジャーも取った。上着を全部脱いでしまった。

 俺は凄く見たい気持ちを抑えながら、首をねじる。後ろを向いた。

「ちょ、ちょっと。何? どうしたの?」

「大丈夫です。こちらを見てください」

 その声は小さい。でも、恥じらいと言うより恐怖が原因に思えた。

 そして、この店の看板にあるのは『怪奇な悩みをお聞きします』の文字だろ。

 俺は顔が赤くなるのを感じながらも、「ゴメンね」と謝りながらも、振り向いた。

 そこには、あるべきものがなかった。

 大塚さんの鎖骨からみぞおちぐらいまで、つまりは肋骨の辺りには、何もなかったんだ。

 空洞、と言う訳ではない。黒のクレヨンで塗り潰したかのごとく、ただただ闇があった。

「この消えた身体が、私の悩みなんです……」

 そして、大塚さんは再び俺の手を胸に誘導する。

「これが二つ目の悩みです」

 俺の手が黒い身体に触れる前に……。

 手を包み込むような柔らかい感触。そして、一つの小さく硬い感触。俺は経験した事の無い感触の正体、これの正体を知っている。大盛り特大巨乳だと……。

 慌てて手を引っ込めるのだけど、小さく硬いものを弾いてしまった。

 その動きに反応するように、大塚さんは艶やかな一言。

「んっ……」

 俺はその声に反応するように、電光石火で椅子から飛び降り、土下座した。

 ゴメンなさい!

「悪気はなかったんです!」

 だけど、大塚さんは、それに答えるのも恥ずかしいのか、俺を無視して制服を着ながら。

「服を着ると、私の胸は小さくなるのか存在しなくなるのか……。とにかく、触れないんです。ちょっと、違いますね……。貧乳になるんです」

 そして、声のボリュームを最小設定にして。

「今わかったと思うのですが、服の上からではなく直に触ると、存在しているんです……。その……。大きな胸が」

 大塚さんは、俺の謝罪に反応することなく、それでも話を進めたので、許してもらえたと都合よく解釈した。俺は椅子に戻り。

「えっと。大体は予想が付くよ。多分、大塚さんは大きな胸にコンプレックスを抱いていたんじゃないのかな? そして、より強く自分が嫌いになるような出来事があったとか」

 彼女は嬉しそうに俺を見つめながら、今度は声のボリュームを最大設定にして。

「高橋君って、凄いんですね! もう、わかったんですか?」

「いやいや。まだ、予想の範囲だよ。でも、喜んでいると言う事は、心当たりがあるんだね?」

「はい。えっと、何処から、どう話して良いのか解らないのですが」

 とペコリ。

「私は美術部に所属してます。片想いの相手がいるのですが、彼は野球部に所属しています」

 大塚さんは、「え~っと、すみません」とペコリ。

「それで、一昨日。今週の金曜日です。部活が終わった後、夕方の事です。片想いの彼に、同じクラスの彼に、ラブレターを渡そうと思ったんですね。机の中に入れようと思ったんです」

「あ、唐突ですか? 話は通じてますか? ゴメンなさい」とペコリ。

「彼の机には、エッチな本がありました。それは、ショックだったんですけど……。知識として、男の子がエッチな本を見ることは知っていたので大丈夫でした。ショックでしたけど!」

 ここで、先ほどの俺の失態を思い出したのか、「男の子ってエッチですよね」と一睨み。

 弾いちゃったのは不可抗力だよ……。って言うか、大塚さんが言葉で説明してくれれば、あんな事件は起きなかったのに!

「ただ、その本が全部です。七冊あったエッチな本の全てです。『貧乳』雑誌だったんです!」

 怒りと興奮を一瞬だけ表したのだけど、直ぐにため息をし、自信のなさが伝わる小さな声で。

「私は目立ちたくないのです。だから、髪型もみんなの中間のもの。化粧もしない。卒業した時のために勉強しているのは、男の人だと気付かないようなナチュラルメイクなんです。でも、大きな胸だけは、どうしようもありませんでした。だから、以前から悩んでいました……」

 そして、もう一度大きなため息。

「野球部の彼も、大きな胸を嫌いだと知って、もっと自分の胸が嫌いになりました……」

「大体、話はわかったよ。その時から、身体が消える現象が起きたんだね?」

「いえ、その時は何もありませんでした。トイレで泣いて、泣きながら家に帰り、家のベッドでも泣きました。そこで、一瞬だけ思ってしまったんです。『彼が手に入らないなら、無理やりにでも独り占めすれば良い。例えば、命を奪ったり』なんて事を」

「私って嫌な女ですよね」と悲しそうに苦笑いして。

「嫌な事を考えた時、大きな痛みを感じました。『胸がえぐられる』って言葉がありますね。それを本当に経験しているような、強い痛みでした。そのまま気を失ってしまったのですが、気がついた時には……」

「身体がなくなっていたと。オーケー。今度こそ、わかったよ。正直に話してくれて、ありがとう。こういう事って、人に言いにくいからね。隠しながら話す人がいるんだ……。それじゃ、こっちだって困るのに」

「いえ、そんな、私なんか……」

「それに、嫌な女なんて思わなくても良いよ。人間って奴は誰だって少しは悪い事を考えるさ。それに今回、悪いのは『恋』だ。ありゃ~、曲者だ。そもそも、大塚さんは想っただけで行動に移して無いだろ? ちょっと、意識しない所で不可解な現象が生じてしまったけどね」

「……ありがとうございます」

 彼女は安堵したかのように微笑んだ。自分の闇を他人に話すのは勇気がいるものだ。

「それじゃ、大塚さんは正直に話してくれたし、綺麗だから、相談料込みで二千円でどうかな?」

 本当は調査も大変そうだし、危険そうだし、五万円クラスの事件なのだけど、弾いちゃった謝罪のつもりです。はい。

「そんなに安くていいのですか?」

「うん。それに……。原因がわかっても、簡単に解決出来るかはわからないんだ。やってみないとね。だから、大塚さんも頑張らないといけない。急に、姿が変わったら周りの人が驚いちゃうでしょ?」

「あ、はい。それなら、大丈夫です。誤魔化せると思います。元々、友達には、大きな胸で悩んでいることを話していましたし。体育のある日なんかは、さらしを巻いていたので……。Tシャツだといつも以上に、凄く目立ってしまいますから……」

 そして、彼女は四回のペコリと共に、部屋を出て行った。

 そういう訳で、俺は佐々木に相談される前から、この件について知っていたんだ。

 家族の力を借りて、二年五組に、大塚さんの『想い』が漂っている事はわかったのだけど。

 姿を見せてくれない。とりあえず、歌ってみるのだけど『想い』は届かない。気体のように教室全体に漂う、大塚さんの『想い』に、自意識はなかったのかもしれないな。

 そんな時、今日、佐々木が俺の所を尋ねてきた。

 だから、実は、佐々木が俺の所に来ないと、解決できなかったのかもしれないんだ。

『佐々木』と『人気の無い教室』、多分それが『彼女が実体化』するトリガーだったんだ。

 だけど、一つ問題がある。佐々木は俺に隠し事をしていた。しかも、嘘までついていた。

 自分の気持ちを話すのが恥ずかしかったのか。あるいは、犯人が大塚さんだと気付き庇ったつもりなのか。もしかしたら、二年五組の彼女を大塚さん本体だと思ったのか。

 彼の気持ちは、わからないけどね。とにかく、佐々木は正直に話さなかった。

 俺が推測するに、彼女の狙いは『佐々木を独り占めする』だ。その手段として、食べると言う方法を選んだ。

『佐々木を誘惑する力』は無いと思う。あったとしても、弱いに違いない。

 彼女的にも確実に佐々木を誘惑できる力があるなら、食べる必要は無いからね。

 何が言いたいかって?

 だから、佐々木と大塚さんは両想いなんだよ。

 まぁ、全部、俺の推測だけど。

 

 俺は大塚さんの『想い』から生まれた彼女に話しかけた。

「それじゃ、本体の元に戻ってくれるかな?」

 彼女は少し考えるのだけど。

「えぇ。私自身に戻るわ。そして……。頑張ってみようと思うの」

「グッド! 応援しているよ」

 俺は佐々木にも大塚さんにも言う気は無い。『多分、両想いだよ』なんてな。

 それは、野暮ってもんだ。そうだろ?

 自然に関係をはぐくみ、自然な形で幸せになればいいんだ。別にお節介が邪道だって言う訳じゃない。今回俺は、不自然な形で二人の気持ちに気がついたからな。

 俺は彼女を本体に戻すため、歌を歌った。『グッバイ、愛しきあなた。グッバイ、お子様ランチ』を。

 そして……。

「さようなら」

 俺たちは互いに微笑みながら言った。それと同時に、彼女は蛍のような白光になって飛び散る。殆どが大塚さんの元に戻り、少しだけ教室に残った。教室に留まっているそれらは、集まり、野球ボール程の大きさになる。

 大塚さんの元へ戻ったのが『切ない片想い』や『巨乳コンプレックス』な想い。

 教室に残った、野球ボールが『佐々木を殺してでも独り占めしたい』想い。

 な? 大塚さんも彼女も、そんなに邪悪な存在じゃなかったんだ。

 自分の身体のコンプレックスに悩み、片想いに悩み、ちょっとだけ悪い事を考えてしまった。

 そんな何処にでもいる、普通の女子高校生。

 そして、俺は野球ボール大の『想い』を食べた。

 意味がわからない? 

 そうだよな。本来ならここで、『想い』を食べた事についての説明が必要なんだけど……。

 それ所じゃない。

 教室のドアから俺に話しかける存在。

「高橋君……。あなたは、私たちを食べる存在だったのね」

 俺の初恋の相手。『あの娘』が俺の食事を見ていたらしい。

「待って。違うんだ。えっと、まずは話そうよ」

「話す? 話してどうなるの? 捕食者を前にして、騙される獲物がいると思うの? そっか……。騙していたのよね! あなたは私を! 私の存在についても気付いていたんでしょ!」

『あの娘』の落ち着いた口調が次第に荒くなっていき。

「バカ橋のバカ!!」

 最後は怒鳴って走り去った。

 俺は『あの娘』の背中に叫ぶのだけど。

「本当に違うんだ。俺は普通の人間じゃないんだよ!」

 彼女は一度止まって、振り返り。

「わかるわ。本で読んだことがあるもの。霊能力者とかでしょ? 私たちを滅ぼす存在なんでしょ!」

 再び走り去った。

 俺は聞こえるのかわからないけど、もう一度叫んだ。

「白樺の木に来てよ! 話があるから! 待ってるからね!」

 今度は、『あの娘』が反応する事はなかった。

 

 学校と同じ年齢の白樺の木は中庭にある。L字校舎と体育官に囲まれた中庭。そこにあるんだ。

 俺は白樺の木の前で、十五分待つのだけど『あの娘』は来ない。

 だけど、二十分待った時、三日月に微かに照らされる『あの娘』を見つけた。校舎屋上から、俺を眺めている『あの娘』を見つけた。

 叫ぶのだけど。

「本当に大丈夫だから! 信じてよ!」

 聞こえているのかわからない。届いていないのかもしれない。

 俺は……。『あの娘』の想いを歌った。『毎晩オムライスだったら』を。

 もう、何時間、歌ったのかわからない。

 五月とは言え、まだまだ、北海道の夜は寒くて身体が震える。冷えた指の肌は敏感で、休むことなくギターの弦を押さえる、指には血がにじむ。

 先ほどの戦闘の名残もあるけど……。大声を出し続けた結果、喉も腹も痛い。再び口の中に血の味が広がる。痛みがあるのは肩も同じだった。

 それでも、俺は歌い続けた。

 木曜日にやっと話せた『あの娘』

 ちょっと、おかしい『あの娘』

 だから、今日、言わないといけない。

 誤解させたままじゃ、次なんて、もうないかもしれない。

 そう思ったんだ。

 今伝えないと、もう、俺の前に姿を見せてくれない気がした。

『あの娘』は人間じゃないから……。

 だから!

 何度も何度も歌った。

 届けよ!

 届いてくれよ!

 俺の想い!!

 頼むから……。

 無我夢中に歌い続け、時刻は二時。

 もう、高校生が外にいてはいけない時間だった。

 そして……。

『あの娘』は、遂に姿を消した。屋上で俺を見ていた『あの娘』は、動いた形跡も見せずに、消えるように姿を消してしまったんだ。

 届かなかったかなぁ……。

 白樺の木に寄りかかり、座り込むのだけど、木がこすれて背中が痛かった。


 俺と『あの娘』が出合ったのは四月だった。入学式を終えて、平日だけを数えて、五日目。

 わかりやすいだろ?

『あの娘』は、一組から順に、丸一日かけて、一クラスずつ、一年生を見学していたみたいなんだ。

 だから、一年五組には五日目に現れた。

 一目でわかったね。『あの娘』は人間じゃないって。余りに不自然だったから。

 姿の話じゃないんだ。

 ちょっと小さめの身長、細い身体。それは普通だった。

 細い身体に、ぽっちゃりほっぺの丸顔、髪も内巻きカールのショートカットで余計に顔を丸く見せていた。これだって、変じゃないだろ?

 でも、顔は普通じゃないかな。かなり可愛い。

 丸い顔に大きな目とふっくらした鼻は幼く見えるのだけど、厚く柔らかそうな唇はちょっとエロチック。そのアンバランスがたまらないんだ。なんて俺の趣向は、どうでも良いか。

 でも、いくら可愛くたって、『人間じゃない』ってレベルじゃない。

 じゃあ、なんで気がついたかって?

 まず一つ。

『あの娘』は俺以外の生徒には見えていないみたいだった。これを詳しく説明するためには、二つ目の理由を聞いて貰ったほうが早い。

 二つ目。

『あの娘』は、自分の席を持っていない。

 だから……。

 初めて見た日には、一日中、授業中だろうと休み時間だろうと、教卓の上であぐらをかきながら、生徒を見つめていたんだ。

 変だろ?

 これでも『あの娘』が普通の人間だって思う奴がいるなら、きっと、そいつが人間じゃない。

『あの娘』の方も、俺が普通じゃないと気付いたみたいだ。『あの娘』を見ることが出来る人間だって。何度も目が合ってしまったからな~。

 入学式から数えて、六日目と七日目は姿を見せなかった。多分、六組と七組の教室にいたんだと思う。そして、一年生の教室を全部周ったと思われる、八日目からは、ずっと一年五組にいる。自分を見ることが出来る俺に興味を持ってくれたんだと思う。

 俺に気付いた『あの娘』は、黒板右上、時計の辺りに浮きながら、生徒たちを見ていた。俺が『あの娘』を見れるのなら、教卓の上に座るのは授業の邪魔だと思ったんだろうな。

 そんな彼女の常識は、普通の人レベルに達して無いみたいだった。

 不自然に教室に存在しているのに、俺が『あの娘』の存在に気付いて無い、と思っているみたいなんだ。

 例えば……。

「あら。高橋君、帰っちゃ駄目。今日、あなたは掃除当番よ。あなたは、このクラスでもドジな人よね」とか。

「高橋君。起きなさい。次は美術の時間よ。みんな美術室に移動してしまったわ。良かったわね。私みたいに優しく起こしてくれるクラスメイトがいて」とかな。

 だからかな~。俺は『あの娘』に話しかけにくくなった。本当の君を知っているよ。君が人間じゃないって知っているよ。そう伝えたかったのに。

 違うかな。

 気がつけば、俺は『あの娘』に恋していたからかもしれない。

 可愛いからじゃない。それもあるけど……。

『あの娘』が俺たちを見つめる視線、生徒を見つめる視線が、とても優しかったから……。

 多分、それが恋をした理由だと思う。

 でも、自分の気持ちの正体なんて、わからないものだろ?

 とにかく、『あの娘』と話したいのに、声をかけられなくなった。

 そして、『あの娘』の正体についても調べた。

 俺の家族に鼻が効く奴がいるんだ。そいつが言うには、『あの娘』と白樺の木が同じ匂いらしい。

 多分、白樺の木の『生徒を見守りたい想い』が実体化した存在、それが『あの娘』なんだ。

 それがわかっても、結局、声をかけられない。あるのは短い事務的な会話だけ。

 今週の木曜日には、沢山会話するチャンスがあったのだけど……。

『あの娘』が普通じゃないと気がついているとは言えなかった。もちろん、愛しているともね。その後、どんな結果になるのか怖かったんだ。

 直感的に「私が人間じゃないと気付いたのなら、もう会えないわね」って言われる気がした。『あの娘』がクラスメイトのフリをするのは、自分の正体を明かせない理由があるのではないだろうかと思った。

 それでも、やっぱり伝えないといけない。せめて『君が普通じゃないと気付いているよ』って事だけは。

 だってさ。帰りのホームルームが終わった途端、『あの娘』の笑顔は切ないものになるんだ。きっと、寂しいのだと思う。

 だから、俺の普通じゃない家族を紹介しようとしたんだ。この方法なら『あの娘』もショックを受けずに、受け入れてくれるんじゃないだろうか。そう思ったんだ。

 でも、俺が「家に遊びにおいでよ」と言うと……。

『あの娘』はかたくなに拒否した。異常なまでに拒んだ。

 その時、気づいたね。

 きっと、『あの娘』は学校から出られないんだと。それが寂しそうにしている理由なんだと。

 結局、その日。俺は何も言えなかった。

「二人の関係は、友達っぽい所まで進展したし、休み明けにでも話そう」と思った。

 だけど……。今日……。

 悪い形で、伝わってしまった。


 俺は三日月を見上げながら、白樺の木に話しかけた。

 鼻水が自らの存在を主張してくるのがムカつく。ついでに白樺の木もムカつく。

「なぁ。『あの娘』はお前の『想い』から生まれたんだろ?」

 もちろん何の返答も無い。

「多分さ。俺はもう『あの娘』と会えない。だから、お前に頼むよ。『あの娘』を学校に束縛するのは止めてくれないか? お前なら出来るんじゃないのか?」

 やっぱり、白樺の木の返答はない。

 俺は後頭部で、無言の木に軽い頭突きをしながら。

「なぁ、頼むから……」

 その時。

 白樺の木は何も言わなくても、『あの娘』の返答はあった。

「何一人で喋っているのよ」

 首だけ振り返ると、白樺の木を挟んで俺と背中合わせするように、『あの娘』は立っていた。

「来てくれたんだ!」

 俺は立ち上がろうとしたのだけど。

「動かないで。……信じたわけじゃないのよ」

「オーケー。わかったよ」

 俺は座りなおす。俺たちは背中を対面させたまま、木を挟んで話を続ける。

「この木が私なの?」

 そこから知らないのか。

「ちょっと、違うかな。君は、白樺の木の『想い』から生まれたんだ」

「そう……。これが私……」

 いや、だから違うって! 俺はどう説明すれば、わかってもらえるか考えるのだけど……。

 彼女が先に言葉を発した。

「高橋君は気が付いていたの? 私が人間じゃないって」

「うん。君が、俺のクラスに姿を見せた日から」

 少しの沈黙。彼女はため息しながら、それでも小さく笑い。

「何よそれ。私ってバカみたいじゃない」

 多分、そうだ。君はあまり賢くない。どの程度の知識を持っているのか知らないけど、世間常識と言う観点において、確実にバカだ。

 でも……。

「う~ん。他人がバカかどうかなんて解らないよ。そんな事はどうだって良いじゃん。俺もバカだし」

「そうね。高橋君がバカなのは知っているわ」

 そこは否定してよ~! まぁ、いいや。

「だからさ、お互いの正体もわかったことだし……。友達になろうよ」

「駄目よ。それは出来ないわ。私は人の魂を食べる。あなたは私たちを食べる。そんな関係なのよ?」

「それは、君の勘違いだよ。まず、君が食べると言うか、栄養と言うか。とにかく、白樺の木の『想い』なんだ。生徒が大好きだ、見守りたいって『想い』が君の源なんだ」

「違うわ。私に色々教えてくれた存在は、確かに言ったのよ。私は人の魂を食べる存在だって」

「そいつは、何処の馬鹿だ? う~んと、じゃあ、実際に君は人を食べた事があるの?」

「それは……、ないわね」

「ほらね。それでも、君は元気だろ?」

「急に言われても、信じられないわよ」

「まぁ。いつか信じてくれれば良いよ。だから、今まで通り、人の魂を食べないでね」

「お腹が空かなければね」

「オーケー。それで、良いよ」

 多分、そんな日は来ないから……。

「そして、俺が食べるのは君たちの存在じゃない。人に悪さする『想い』なんだ。俺は人の食べ物も食べられるし、『想い』も食べられる。親父の性格のためか、『悪い想い』限定だけどね」

「さっきから、高橋君の話は意味がわからないわね」

「えっと、だから……。俺の親父は君たちみたいな存在。俺の母さんはとりあえず人間。俺は、そんな二人から生まれたんだ。だから、人間と君たちみたいな存在のハーフなんだよ。言ったろ? 俺は普通の人間じゃないって」

 またも沈黙。これは信じて無いな。あるいは迷っているのか。

「例えばさ。俺の家族は大家族なんだ。さっき、話した両親でしょ。それに、犬と猿とキジ、それと鬼が家族なの。ね? 普通じゃないでしょ?」

 とまぁ、ツッコミ所の多い告白をしたのだけど……。

 彼女は直ぐに信じた。いや、俺が変な事を言ったと気づいてないみたいだ。

「良いわね。賑やかそうな家族で。羨ましいな……」

「えっとね。君がどこまで人間の知識を持っているかわからないけど……。うちの家族は普通じゃないの。犬は良いとして、猿やキジがいる家はかなり少ない。鬼が実在していると知っている人だって少ないんだ。そして、さっき言った俺の父親は、桃太郎なんだよ」

「それはおかしいわ」

「でしょ?」

「桃太郎は北海道の物語では無いもの」

「そうきたか~。確かに、そうだよね。色々と合ってさ。とにかく、うちの家族は普通じゃない。君みたいな存在が一杯いる。俺も純粋な人間じゃない。だからさ、家に遊びに来なよ。俺の家族と話してみてよ」

「無理よ。私は、学校から出られないの」

「多分、そうだと思った。だけど大丈夫!」

 俺が立ち上がると、彼女は怒りの口調で。

「動かないでって言ったでしょ?」

「オーケー。俺はこのまま、後ろに下がるよ。だから、消えないでね」

 彼女は何も答えない。でも、消える事もなかった。

「これから、白樺の木にお願いする。『君を学校の外に出られるようにして下さい』ってね。その想いが届くまで、何時間でも何日でも、不眠不休で歌い続ける」

「何それ。意味がわからないわよ。でも……。本当に、高橋君はバカね……」

 白樺の木の奥から、少しの背中だけを見せる彼女の声は、笑っていた。

 だけど、俺が歌うことはなかった。

 白樺の木全体が優しい光に包まれて……。彼女も同じく優しい光に包まれた。光は数秒で収まる。彼女は状況が理解できないらしく、振り返り、無言で白樺の木の頂上を見つめている。

 今回も、推測なんだけど……。

 確信を持って言えるね。

 もう彼女は学校の外に出られるはずだ。白樺の木が願いを叶えてくれたんだ。

 さっきの光は、その証拠に違いない。

 ただ一つ気になるんだ。白樺の木は俺の歌を拒否したのでは無いだろうか? 

 白樺の木のために歌うと言ったら、あっさりと、願いを叶えやがった。そんなに、俺の歌を聴くのは苦痛だったか? 

 ムカつく木だ。

 でも……。

「ありがとうな」

 俺はお礼を言った。

 そして、呆けている『あの娘』に。

「もう大丈夫だよ。今度こそ……。俺の家においでよ!」

 彼女は迷うように頷いた。

「でも、まだ高橋君の事を信じられないわ。だから、ちょっと距離をとるわよ」

「うん!」

 かまわないさ!

 時計を見れば、時刻は三時だった。もちろん、電車もバスも動いているはずもなく、歩く事になるのだけど。家に着くには、一時間ほど時間が必要そうだ……。でも、『あの娘』と一緒なら、それも良いかな。

 そして、俺たちは校門に向かうのだけど、ここで一つ問題が発生した。

 今日の宿直担当教師は、真面目なのか、不真面目なのか、こんな時間になってようやく、玄関のガラスが割れている事に気が付いたらしい。

 一台のパトカーと、一人の教師を見ながら、俺たちは振り返る。「佐々木すまん! お前の犠牲は無駄にしないぞ」なんて思いながら、グランドに向かった。

 グラウンドのフェンスは破れているんだ。一人ぐらいならくぐれる。

 まず、俺がくぐり。

「さぁ。大丈夫だから、おいでよ」

 手を差し伸べた。次に、恐る恐る彼女がくぐった。

「嘘……。今まで、何度試しても駄目だったのに。私、外に出られたわ!」

 彼女は俺に抱き付いてくるのだけど、胸は大塚さんと比べて随分と小さかった。推定Aサイズ、もしかしたらBかも。それでも、俺の顔を熱くさせるには充分な破壊力だった。

 家までの道中も、驚いたり笑ったり、彼女は忙しそうにはしゃいでいる。俺の知っている落ち着いたイメージの彼女とは全然違った。

「これは知っているわ! 郵便ポストでしょ! 図書館の本で見たことあるもの」とか。

「ねぇねぇ。なにあれ? へ~。あれがコンビニなんだ~。眩しいのね!」とか。

「犬に初めて触ったわ。暖かいのね」とかね。

 とりあえず、家の犬には触らせない。あいつは殆ど擬人化した状態で暮らしているし、イケメンだから。えぇ、嫉妬ですよ。

 気が付けば、俺を信用してくれたらしく、彼女は俺の隣を歩いてくれた。

 そして、今週の金曜日に佐々木を助けてくれたのは、やっぱり彼女だったみたいだ。助けを呼ぼうとして、ガラスを割り、警報機の非常ベルも鳴らしたんだ。

 そうだ。彼女の名前も聞いたんだ。

「ねぇ。お互い、秘密を打ち明けた所だし、名前を教えてよ」

「駄目よ」

「えぇ~! だって、俺には調べようが無いよ」

「そうじゃないの。私に、名前なんて無いから……」

「そっか……。じゃあさ、今、考えようよ! 好きなものとか無いの?」

「え? 好きなもの? 学校の生徒かしら」

「駄目だよ。それは、ちょっと難しい。他には?」

「月……。月が好き」

「よし! その線で考えよう! えっと、君は白樺の木から生まれたから、『月樺』とかどう?」

『あの娘』は、流し目で俺を見て。

「高橋君ってネーミングセンスが無いのね。単純な発想だわ」

 そして彼女は立ち止った。目を瞑り、自分の高鳴る鼓動を確かめるように両手を胸に当て。

「月樺……。私の名前……」

 この時の月樺の横顔は綺麗だった。そして、俺の方を向き、満月みたいな丸顔に、嬉しさ満タンの笑顔で言っていた。

「高橋君。ありがとう」

 そんな彼女を見ていて思ったんだ。

 月樺は泣くべきだ。

 そんな感じで一時間ほど歩き、四時半を少し過ぎた所で俺の家に着いた。気がつけば、太陽が顔を見せている。

 俺は玄関の前で言った。

「そうだ。この家は普通じゃない。家族も普通じゃないだろ? だから、危険に晒されることも多いんだ。そんな訳で、家に無断で侵入できないように『想い』で結界が張られているんだよ」

 それから俺は「見てて」と告げて、踊って見せた。

「これが、進入するためのお祈りなんだ。で、踊ってから三十秒以内に家に入らないといけない」

 そして、月樺の反応を待つことなく家に入る。だって、三十秒しか猶予は無いからね。

 ドアの覗き窓から、月樺の様子を見ると……。

 一生懸命に踊っている。一度見ただけの踊りを、何とか再現しようと頑張っていた。そして、玄関を開けようとするのだが、開くはずも無い。

 俺が鍵を掛けたからね。結界の話は嘘で、もちろん、踊りもデタラメ即興だ。

 さっき、言ったろ? 

 月樺は泣くべきだ。

 ただ、彼女を泣かせるには、俺の方も心の準備が必要だった。結界の嘘は、その時間稼ぎ。実は既に俺は半泣き状態なんだ。

 月樺が四回目の踊りに挑戦している時、俺は覚悟を決めた。

 俺はゆっくりと、音を出来る限り小さくなるよう、ドアの鍵を解除した。

 月樺は四回目の踊りを終え、恐る恐るドアを開ける。

 遂に自分の踊りが正しかったんだ、と喜びの表情を見せている月樺。

 こんな嘘にも気付かずに、嬉しそうにしている月樺の顔を見ていて改めて思う。

 絶対に、彼女は泣くべきだ。

 俺は絶対に自分の感情に負けないとを誓いながら、言った。

「おかえりなさい。高橋 月樺さん。今日から、ここが君の家だ」

 月樺は意味が解らないのか、口をあけて無言で俺を見つめている。

 俺はもう一言。

「月樺は、もう一人じゃないよ」

 今は早朝だと言うのに、返ってきたのは、明らかに近所迷惑な大きな声だった。教室で見せる大人びた印象とは全然違う。まるで、赤ん坊のようだった。

「高橋君のバカ~!! バカバカバカ!!」

 彼女は俺の胸を弱々しく殴り続け、数十分もの間、夜鳴きする赤ん坊のように、大声を上げて泣き続けた。

 俺も覚悟を決めたはずなのに、大好きな女の子の前なのに、結局、涙を我慢できなかった。こぼれ落ちるなんてもんじゃない。次から次へと、滝のように流れてくる。

 彼女は泣くべきなんだ。今までの寂しかった『想い』を全部吐き出すべきだ。

 もう、一人じゃないのだから。

 更に十分後。落ち着いた月樺は、涙が残る顔で、それでも笑いながら言った。 

「高橋君は、本当にバカなんだから! ……ただいま」

 俺も、涙声でもう一度。

「おかえりなさい」

 彼女の泣き声に、いつの間にか、俺の後ろに集まっていた家族たちも。

「おかえりなさい」だって。

 詳しい事情も知らないくせに、適当な事を言うなよな。

 でも、そんな俺の家族が好きだった。

 今日から家族になる、月樺も大好きだ!

 ただ、非常に残念なのだけど、今のところ、俺たちの間に恋愛関係は無い。

  

 翌日、殆ど寝ないで学校に行くと一つの噂を聞いた。昨晩の出来事が噂になったらしい。

 それは、とても恐ろしいものだった。

 佐々木が一週間の停学をもらったみたい。しかも、玄関のガラスやら、廊下のガラスやら、机に椅子と……。とにかく、多大な弁償額を払ったみたいだ。

 野球部も、佐々木も、大会に出場できない事態は回避したのが、唯一つの救いだった。

 佐々木が登校したら、一万二千円を返そうと思う。

「ゴメン。あの日、用事が出来て行けなかったんだ」

 そう嘘をつきながら……。

 いつか、半額受け持つからな! ゴメンよ。佐々木。

 その日の『恐ろしい』は、これだけじゃない。

 家に帰宅すると、結界の嘘を知った月樺に、かなり怒られた。

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