表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

十七のノート

作者: パン屋

*実在するノートをうつしたものではありません。


 ここに書き記すことは、誰に言うでもなく。ただ、誰かに宛てて、書くのです。

 これだけ、最初に書きたかった。あとは、思うまま。


  一


 僕は生きてきた。それはたいして偉いことではありませんが、しかし、胸を張ることができるのです。僕にも考えてきたことや、感じてきたことがあるのは嬉しい。

 書いてみたはいいけれども、曲げられないようです。誇らしい、嬉しい、そんな気持ちが、どこにあるのか。嘘は、善くない。

 それなら、真摯に、真直ぐ、書こうか。しかし不安は、それでは内容が相当、愚劣なものになるのではあるまいかということで、それでもなお、ありのままを書くとしたらそれは僕の勇気ではないだろうか。

 不可解だと思う。生きるということに、陰ありて。

 生きるということ、それ自体に、陰がある。その上、僕の周囲は、なにもかも当然という風の顔をしているものだらけで、嫌になる、そこに何かを見出すと、たちまちのうち、当然の仏頂面に落ち着いて動かない。感動も何もあったものではない。

 するとやはり、生きているのが、どこか辛い。本当にそう思えてくる。死にたい。死ぬのは、嫌だけど。矛盾しているのではなくて、僕が二人いるというだけのこと、しかし頭を悩ませる、すべて変わっていくからさあ、僕も変わっていくから、もう変わり果てていこうぜ、臆するな、なんてね。書いてみただけのことで、そんな恐ろしいことが、できるかよ。

 もうずっと、思い出してばかりいるのが、今の生活。

 つい舌打ちをしてしまって、それから焦る。最近は舌打ちが多い。恥が脳裏をかすめる。僕は恥だらけ。嫌になる。

 誰でも、そうだ。でないと困る。そうでなければ。

 そうでなければ、頭脳に記憶の山があって、日々大きくなるが、身の程知らずの愚かなことばかりを重ねてきてしまって、今ではとうとうその山の頂上からぽろぽろと崩れ落ちてきた恥が次々に転がって、転がり始めるときはおもむろに、最後は滑稽なほど豪速の恥ころ、それらのおかげで最近舌打ちばかりしている僕は何なのだろう。とにかく僕は恥じる。自尊心ばかりで、あとはなにもない。僕は鈍い頭だ。鈍い頭が僕だ。ちくしょう。

 その記憶山、をさかのぼる。思い出すと頭が痛くなる、気がする。

 洗いざらい書いてしまえば、楽になると信じている。


 小学生の頃に、綺麗だと思って、大量の自転車から反射板を盗んだ。遊んでいるとき、石を投げて、友達の頭をひどく傷つけてしまったりした。ある禿げた教師をからかうような作文を書いて、その教師に胸倉を掴まれたりした。落ち着きがなくて、馬鹿なことばかりしていた。僕はその頃の自分をいっそ殺してしまいたい。

 何より、嘘吐きだったのだ。僕の嘘は、親の悩みの種でもあれば、変な話、自分にとっても全くそうであった。どうしてそんなことになってしまったのか、わからない。僕にとって嘘は、それ自体生き物のように這い出てくるもので、御することは至難の業だった。

 嘘を吐いた記憶で一番古いのは、まだ、小学生になって間もない頃のものだ。

 小石を拾いながら。

「ねえ母さん、この石を知ってる?」

「あんたはいつも、変なものを拾って」

「知ってる?」

「知らない。なんて言うの」

「太陽の石だよ」

 太陽、というのがもう、恥ずかしい。無知。僕が変に文学ぶって「太陽」なんて言葉を引っ張りだしながら嘘を書いているのではなく、何も知らない幼く鈍い頭が作り出した本当の言葉なのであり、だからこそ僕は、多分赤面して、消しゴムをかけたいと思いつつ我慢している。いま思えば何故そんなことを言ったのだろう。太陽の石。そんな石は、たとえあったとしたって、そんな適当なところに転がっているはずはないじゃないか。心当たりがあるとすれば、石というものは太陽から地球へ大昔に降ってきたものだという想像をしていたことかもしれない。それを言いたかったのだろうか。素直に、そう言えばよかったじゃないか。いや、言おうとして、言えなかったのではないだろうか。無知。それが証拠に、僕は自分が言ったことが全くの嘘だと、気づいて、ひやりとしたのだ。あああ嘘をついてしまった。

「本当なの?」

 ひやり、

「本当だよ。図鑑に載っているんだよ」

「そう」

 ひやり、

「図鑑が嘘じゃなけりゃ、いいけど……」

「図鑑をよくご覧なさい。きっと勘違いだよ」

「そうじゃない。確かに見た」

「なら一緒にその図鑑を見よう」

 僕はさらにひやひやしてきて、すぐにでも謝りたかったが、黙り込んでしまった。母はすでに呆れたような顔をしていた。僕は母の時々見せるあの呆れた、僕を見下げた表情が大嫌いで、怖くて、その顔を見ると泣きたくなったのだが、この顔を見た最初の日が、この日だった気がする。僕は白状した。

 母は特に怒りもせず、そのまま父に報告した。話を一通り聞いた父はただ、うん、と言った。父は温厚で無口で、滅多に怒らない人だった。この時も怒らずに、ただ静かに、

「何のためにそんなことを言ったんだ」

 と聞くだけだった。それをむしろ恐いと思った。もちろん、その問いには答えられなかった。

 しかし、これだけは弁明しておくが、僕は最終的に正直だったのだ。つまり僕は、嘘を吐いた後それが露見しないよう更なる嘘を考えたり、辻褄をあわせたりするのに骨折ることは大嫌いだった。それ故、しばらくすれば必ず、白状したのだった。隠し通した嘘はなかった。だから、いつまで経ってもこんな調子で進歩がないからと、親や教師に叱られるのには、どこか違和感があった。いつでも、最後は正直だったのに。

 嘘吐きは、必ず根本が正直者だ。本当のことも言う、いや、むしろ、本当を言うことの方が多い。だから彼を信用すべきかどうかは案外難しい問題で、嘘吐きは何か言う度に、いちいち不快な葛藤を優しい他人に味わわせる。つまり嘘吐きというのは、真実や事実の中にすこしばかりの虚構を混ぜているからこそ質が悪くて不快で、とても付き合いきれない人間とされるのであって、ほとんどの場合、出来るだけ嘘を吐かないよう努力しているからこそ、そうなってしまう、力の限り、抑えに抑え、するりと出る、その中途半端さが、主な嫌われる要因なのだから、可哀想なのだ。きっと。

 それでも嘘を吐いたら、なぜ嘘を吐くんだなどと詰問され、やはり叱られる。だんだんと、その叱り方もひどくなる。自分でも解らないのだから、理由など答えようもない。答えようがなくても、答えなくてはならない。

「馬鹿だから……」

 ――こんなに、正直なのに。僕が悪なのか。

 そんな風に思っていた。馬鹿だからね。しかし、これを言う度に、僕はひどく傷ついた気持ちがしたのだった。

 ある朝、僕は猫をみたので同級生の女の子に教えてあげた。

「ねえ、校庭に猫がいたよ。白猫だった」

「ホント? また、ウソじゃないの」

 それは嘘ではなかった。確かに小さな白猫が校庭の隅にちょこんと座っているのを見た。悔しくなった。

「本当に本当だ。違ったら、先生に言いつけてもいい」

 女の子は喜んで校庭へ白猫を探しに行った。しばらく探したが、いなかったらしい。その子は、本当に先生のところへ行って、報告した。

 しばらくすると、担任の女教師がズシズシ歩いてきて、こう言った。

「お前みたいな奴は今までみたことがないよ。自分で自分がおかしいと思わないの」

 思っていた。だが、だからどうしろというのか、わからなかった。ただ何となく、寂しくなるばかりだった。

 理不尽さを感じた。僕はたいそうわがままだったようだ。教師には僕が実際は嘘を言っていないことなど知る術もなかったのに、僕は彼女を大いに憎んだ。

「あかりちゃんが君に何をしたんだい。少しは反省しなさい」

 僕が反省していたかどうか。僕は計算ドリルも漢字ドリルもちゃんとやっている。ガラスも花瓶も割っていない。他人を騙したいとも嫌な気持ちにさせたいとも思わない。そんな理屈をこねていたのだから言うまでもない。しかし、嘘を言いたくて言うのではないと、この目の前にいる図体の大きくて鋭い目をした女の人にどう伝えたらいいのか、彼女は僕のように嘘を吐いてしまうことがないのか、考えているうちに落ち着かない寂しさが、こみ上げてきたので、それがそのまま涙になってしまった。

「泣けばいいと、思って。おい、返事をしろよ。お前は反省しないのか」

「反省します」

「嘘だね。なんでそうやって人を騙す。意味もないのに。なにか楽しいのか? あんただけだよ、こんな子供は。あんたみたいな人を、なんて呼ぶか知ってる?」

「馬鹿です」

「うるさいな。そんなしょげた顔してみせてもあたしには演技だってわかるよ。あたしは騙し果せないよ。大体さっきまであたしを睨んでいただろう。あのな。君がやっていることは、独り善がりと、言うんです」

 その夕方、嘘がどこからやってくるのかを考えた。それはどうしても説明できなかった。まるで生きているように、独りでに生まれるとしか思えなかった。

 ――人間は、ちっぽけだから、わからない!

 そう思い当たったとき、どれほど嬉しかったかといえば、興奮して誰もいない公園を走り回って転び、立ち上がって、まだ走り、ブランコに飛び乗ってこう思った。

 ――そうさ。人間なんかにはわかりっこない。大人にだってわかりはしない、ざまあみやがれ!

 僕がいかに鈍い頭をしていたか、わかるだろう。

 いっそ、どれほど馬鹿でもいいから、善い人間になりたいとも考える。しかし僕はあまり善良な人間でもないらしい。根本がだめなのだ。

 僕はどうしてか中学受験をしたのだが、そのために五年生頃から小さな塾に通った。六年生のとき、そこに金子という同い年の生徒が現れた。

 金子は授業中ずっと寝ていた。起きて授業が終わっていると喜んで帰った。授業で起きていても、とんちんかんなことばかり言う上に他人が間違えると声を出して笑う。それはさながら、もう一人の僕だったのである。僕は自分を見て驚き、焦り、努力し始めた。だから、多少でも自分を変えることができたのは、金子のおかげだった。一方金子はずっとその調子を変えないでいた。最初、彼をかわいそうだと思ったが、そのうちにみんな金子をまるで白痴のように思っているのがわかって、自分がかつて浴びていた視線を金子に浴びせて、蔑むように努力した。僕の成績があまり伸びなかったとき、塾の教師が僕にこう言ってくれた。

「やればできるさ。お前は金子じゃないんだから」

 泣いた。金子に悪いと思ったのではない。嬉しかった。

 

 舌打ち。これを書きながらもう何回、舌打ちをしたのだろう。そもそもなぜこんなものを書いているのだろう、よくわからない、どうせ、意味はない。

 いまふと考えているのは、仮にこのノートをどこかの誰かが見つけて読んだとして、僕は笑われてしまわないだろうか。

 笑う人は、笑うというそれだけだ。笑って終わり。何もない。僕を知る人の大半はこれを読めば、笑うんだろう。そんな奴には、何もない。空。笑わない人は、温かい。僕にはありがたい。そんな人はいないと思う。

 これは恥の記になる。予感がする。

 誰にも読ませないものを書いているなんて、さすがにおかしな話で、書き記す以上は誰かに読んでもらわなければ意味がないというものだろうが、しかし誰にも読ませたくない、正味、今すぐにでも燃やしてしまいたい、燃えるか燃えないかその間を綱渡りしているこのノート、それほど有り難みもない。

 どうでもいい。燃やすのは後でもできる、気の済むまで、書きたいだけ書いて、燃やす。きっとそうしよう。


 金子の出現、焦りと努力が功をなしたのか、キリスト教主義で中高一貫の、ある私立校に合格できた。僕の母方の家系はキリスト教だったので、母は少し喜んでいた。

 入学する直前に、僕はある決心を胸に秘めた。

 ――馬鹿は相手にしないぞ。

 気づかないうちにどこかおかしくなってしまっていたのか、もとよりおかしかったのか。誰より特別でいたかった。だから気高くありたかった。本当は、誰にでもいいから、尊敬されたかったのだが、そんなあさましい心を見抜かれるわけにはいかなかった。だから、話しかけられたら無視、遊びに誘われたら拒否で、わざと、どんなときでも本を読んでいて、周りの音は何も聞こえないふりをする。結局僕は誰からも相手にされなかったので、全員を軽蔑の的にせざるを得なかった。殊に中学生ともなると男でも女でも、官能的なことに興味津々なのばかりいるが、何よりもそういう奴らを、僕は汚いと思った。断固として、心の中で軽蔑していた。決して、そんな奴らと打ち解けたくなかった。

 そうしたら、僕はずっと孤独だった。孤独を好むような素振りをしていても、孤独が一番耐え難かった。半年経ち、一年経った。気づいたら、泣きたい気持ちがしていた。「死ね」と言われたときは隠れて泣いた。人前でも泣いたかもしれない。しかも、僕は勉強すらろくにできなかったので、ことあるごとに馬鹿にされることになってしまった。

 母親がある日こんなことを言った。

「賢治、まだ学校でうまくいってないのね。じゃあヒントをあげようか……素直になれば、誰でも心を開いてくれるものよ」

 よく意味が解らなかったが、母はどうせ虚言癖が原因と思っていて、それでそんなことを言うのだろうと思っていた。いま思えば、母の言った素直になるとは、正直になるということではなく、誠実になるということだったのだろうか。僕がひねくれているのを、その頃から見抜いていたのだろうか。僕は素直さというものから、かなり遠い人間だ。むしろ天の邪鬼。最近そう気づいて、母に教えてみたら、そうまさにそれ、本当に賢治は、天の邪鬼だよ。なんて言われてしまった。誠実になるなんてとんでもない。

 閑話休題。登校する度に玄関で荒っぽく小突かれて、ことあるごとに揶揄されて、放課後は机に悪口を書かれたが、僕は誰にも仕返しをしなかった。それがある意味、誠意だった。報復する勇気もなかったかもしれない。だが、誠意と呼べるような気持ちも、少なくともあった。ただし、やり返さないというのは、要するに何もせず黙っていたのだった。

 中学三年生になる頃だったか、僕はやっと、わかってきた。気づいたら、やっと楽になった。ただ気づかなかった。それだけだったのだ。楽になったが、それと同時に、こんなものか、と少し拍子抜けした。

 僕が気づいたこととは一言で、自分は弱いということ。これに過ぎなかった。

 自分を貫くために自分を偽る必要さえある。弱い人間だ。僕以外、僕の軽蔑する奴らですら、その弱さを知っていたのだろう。僕だけがおかしかったのだ。

 なぜか、嘘を言わなくなっていた。それが唯一の救いだった。

 要するに僕はお話にならないような鈍い頭をしている。


  二

 

 実を言えば、僕の記憶がはっきりしているのは、ここからだ。

 孤独感を紛らわすためか何なのか、僕はいつの間にか作曲を趣味にしていたのだった。パソコンで、手軽で無料のソフトを使って作っていたのだが、楽譜は読めないし、音楽理論は全く知らなかった。しかし、慣れれば、自力でそれなりの曲を作れるようになった。黒の画面に、マウスを使って黄色い棒を置いていくみたいにして、曲を書いていくのだ。そして作った曲はインターネットで公開する。ずっとそんなことをしていると、なかなかどうしてもの好きがいるもので、いろいろと助言や感想を送ってくれる人がでてくる。僕にとって、多分二年以上はそれが唯一、家族以外とのコミュニケーションだった。

 しかし三年生になってからは、何人か友達といえる仲間もできて、特に長谷川という同級生と仲良くなった。彼に僕が作った音楽を聴いてもらったり、彼が描いた絵を僕が批評したりした。

 長谷川は僕の曲を褒めてばかりいたが、僕は彼の絵に良いところと悪いところを見いだして批評した。彼はそういう僕の態度を気に入ったらしかった。

「今までは、誰に見せてもうまいうまいって言われてさ。すこしうんざりだったんだよ。練習してるんだから、人並み以上にうまいのは当たり前だろうが。それ以外にも言って欲しかったわけ。誰も正直な感想をくれてるとは思えなかったんだよな。その点、岡田は色々と正直に言ってくれるから、嬉しいんだ。確かに時々イラっとくるけどな」

「そんなこと、考えてなかった。ただ感想を言っているだけで。でも僕は絵の専門家じゃないよ」

「そうだけどな。でも先ずはお前に、絶賛させたいよ。俺の絵を」

 長谷川は僕を人間として認めてくれている気がした。

 そんな気持ちになることは、急に多くなった。なにも考えずにピアノの鍵盤を叩いて即興の真似事ができたのでちょっとの間評判になったり、音楽の先生が僕の歌声を「心臓」と称して褒めたり、くだらないようで、僕にはいちいち、それらが一大事だった。そして、三村先生のこと。ある日国語の授業で三村という女性の先生が、みんなに詩を書かせた。一部の生徒はふざけた詩にしたり、わざと流行歌の歌詞をそのままうつしたりしているのを知っていたが、僕は真剣に取り組んでみた。ふと長谷川の横顔をみやると、彼も僕と同じつもりのようだった。何日か経つと、先生が気に入った生徒の詩をプリント一枚にまとめて、配布した。流行歌の歌詞は全部取り除かれていたが、ふざけた詩は妙に完成度が高いものだけいくつか残っていた。僕が驚いたのは、プリントの一番はじめに、僕の詩が載っていたことだ。そのプリントには特に詩の順位付けはされていなかったが、最初だというのが特に嬉しかった。詩の作者がだれなのかは、プリントには書かれていない。名乗りたい生徒だけ、授業中に名乗るという仕組みだった。僕は名乗らなかったが、長谷川には教えてあげた。先生は、それからも何度か同じようなことをさせて、その後は必ずプリントを作った。僕の詩はそれ以降、最初ではなかったが、毎回載った。三村先生は感性を大事にするのだった。よく周りに人がいないとき、僕の詩が好きだと褒めてくれた。長谷川も、僕の作曲より作詩に関心を寄せてくれるようになった。僕は初めて尊敬の目で見られた。尊敬。心のそこから、求めていたものだったのである。長谷川をはじめ他の生徒もよく褒められていたが、僕は密かに、誰も僕ほどには褒められていない気がしていた。それをずっと、誇りに思っていたのだ。

 その代わり、長谷川は岩崎先生によく褒められた。岩崎先生の教科は美術だった。長谷川は誰より絵がうまいというのでもなく、デッサンの評価は僕の方が高いこともあったのだが、書き方に味があって、それは意志の産物だった。長谷川の絵はよく褒められるので、評判を呼んだ。それでも僕がまだ絶賛はしなかったので、時々悔しそうだった。

 岩崎先生も、何かのきっかけで僕の詩を読んでくれたことがあった。

「大丈夫、君には何かあるよ」

 と言われたのが妙に印象深い。何が大丈夫だったのか、もう思い出せない。その手書きの詩はしばらく僕の部屋にあったが、今はもうない。捨てたからだ。

 僕は勉強の成績が急激にあがって、クラスでは一番か二番だった。いままででは、想像もつかない順位だった。勉強のできる人は選抜されて他のクラスにまとまっていたし、中高一貫だったので、周りはほとんど勉強していなかったらしい。

 かくして僕は自尊心を培っていったのだ。自尊心といえば聞こえがよいが、虚栄心を大きくさせていったとも言える。恥ずかしながら、僕は図に乗った。自分が、もしかしたら、馬鹿じゃ、ないのではないかと思い始めた。だけれど、思い上がりだということも、僕はどこか、この時点でわかりつつあった。

 学校から帰る夕方、僕は電車の中で詩を書いていた。いつの間にか隣に座っていた老人がそれをほめてくれたとき、僕はひどく恐れた。その老人に僕が突然襲いかかる想像をしたのだ。老人が怒り狂い今度は僕のことを罵りながら、先の賛辞を取り消す様子を想像したのだ。

 虚栄心。怖かったのは、老人ではなくて、賛辞の撤回だったのである。


 僕は高校生になる直前、ほとんどむきになって、がむしゃらに勉強し始めた。高校では成績のいい生徒は一つの選抜クラスに集められる。そこに入りたかった。どうにか滑り込んだ。気がつくと実力テストでは上位三位以内にいつも入るようになっていた。僕は更に自信を持ち始めてしまった。面白いほど周りの目が変わった。痛いほどわかった。嬉しかった。勉強をしていれば、いつか、僕も誰かに必要とされる日が来るとかなんとか、思った。僕が勉強に打ち込むのに、予備校はいい場所だった。未来の日本を導くために、夢を叶えるために、そして後悔しないために、勉強しましょう。それがその予備校の大まかな方針で、どの教師もそんなことを熱く語るので、僕もすっかりその気になって勉強した。学校では、生徒も教師も、僕に一目置くようになって、気分が良かったし、いつだったかある模試で英語と国語の全国偏差値が両方とも八〇を超えたときは、喜びに震えさえした。僕は、もう誰も僕を馬鹿に出来ないと信じようとした。けれども僕は、自分は生まれつきの馬鹿なのだと、再び確信するその一歩手前まで来てもいた。学問は人間の根本を変えるものではない。根本は、仕方がない。

 僕は高い成績を出す毎に喜んだが、その後は、逆におびえたのだ。この成績で十分満足なので、もうここらへんで止めときます、というわけにはいかない、次に成績が下がれば、単なる過去の栄光になってしまうし、いくら注目を浴びようが尊敬されようが慣れてしまえば、ただ気まずいだけだ。

 ――単に、僕が馬鹿だということに気がついていないのだ。

 僕は結局のところ、適度に無難な作り笑い作り話によって友人関係を壊さぬよう努力しているような弱い人間の一人であって、しかも馬鹿だ、何故馬鹿かと言われても、それは説明するまでもなくそうなので、聞かないでください。

 予備校の異様な熱気もなにか、やる気という名の宗教に思えてきて、もうずっと冷めてしまった。


 思った。いつか死ぬ。

 僕は何者だろうか、その答えは変わるのか、どうしても死ななければいけませんか、何をどうしても? 勉強勉強勉強がすべてと言わんばかりの学校も予備校も、意味が分からない。冷静になってみれば、大学受験なんかどうでもいいじゃないか。犬だろうが、猫だろうが、勉強などしていない。人間なのだから、あくまで人間らしさを保つため、理性を磨くため、軽蔑されないためにある程度知り、理解するのはいいけれども、学校や予備校が生徒の学歴獲得に対してあれほどに一生懸命なのは、本当に気持ちが悪い。あんな宗教を信仰していたら、自分が誰なのかを忘れてしまうのも納得のいく話ではないだろうか。まあ、それはとにかく。

 初めて一つの存在として、答えを探したのだ。

 ――僕に生きる価値はあるか?

 それは難問だ。まず、生きる価値という、その言葉そのものがよくわからない。生きるという動詞の連体形が価値という名詞に接続してとんでもない言葉ができあがるものだよな、僕は、勉強は言葉だという自説を思い出して、恥じた。

 僕は一応、勉強とは何か、というものを見いだしたつもりでいたのだ。勉強は言葉だと思っていた。すなわち、こうである。人間が認識するものとは、それに対して言葉があるものであり、人間が認識できないものは人間にとって存在しないのと同等のごとく、見過ごすことになる。すなわち世界とは言葉であり、言葉は世界だ。そして、勉強とは全て言葉を学ぶものである。無論、数学も例に漏れないのだ。知ると知らないでは、世界の広さが違う。

 目が醒めると、ああこれはただの詭弁だな、ちゃんとそう思えた。

 言葉は人間が作り出したもので、言葉がある前に認識があったからこそ言葉を生みだすことが出来たのだ。そもそも、勉強に、勉強を重ね、最後には、どんな人間になりたいのか? 辞書になりたいとでも思うのか? きっと勉強は、そこまでしなくてよい。しなくてももちろん生きていけるが、全くしないと無知になり、あまり人間らしくない上、他人から不当に軽蔑されてしまうから、人間らしさを保てる程度にがんばればよい。少なくとも僕は。

 言葉は結局、言葉に還る。それだけだ。しかも、生きる価値という言葉にどんな「世界」があるというのだろうか。これはただの不快な謎でしかない。

 僕の、生きる価値。心の底から求められたことが、僕にはあったのだろうか。ない、そう思うと気持ちが悪くなる、しかし、確かにないと思う。死んでいい人間なんていない、そんな言い方もあるけれども、僕はひょっとしたらと考えることもある。いや、そればかり考えていた。

 勉強をほとんどしなくなった。時々危機感が出てきて、勉強しようとしたが、全然、集中は出来なかった。

 その代わりに、いつも何かしら考えるようになった。多くは、僭越というか、身の程知らずのようなことだったかもしれない。だけれども、僕にはいろんなことが、不可解だった。驚くほどまとまらない頭の中で、考えていたこと。

 ――自分が存在するのはなぜだろう――よくある、脳がすべてだとか、そんな結論は嫌だ。仮に脳こそが僕なのだとすれば、なぜ、僕の脳なんだ。脳なんて、交差点で溢れかえっている人間の頭の中にだって、必ず一つずつあるのに、その中で、何故僕の脳こそが僕だと、言えるんだ。僕にとっては、何の解決にもなっていやしない――せめて、心臓だったら、なにか可愛げがあっただろうに――まあ――何にしたって、いつか死ぬんだな。これがやりきれない。時々無性に恋もしたくなるが多分出来ない、というより本当は、したくない。ああ、だけど、よくわからない――僕はもっと人間らしくありたい。いや、それよりも、堂々と無意味であれたらいい。いやいや、無意味もきっと寂しい――歓喜、苦悩、両方、死という無意味。いつか死ぬという生の中――僕はどうしてこう、阿呆なんだろう――僕だけじゃ、ないさ。開きなおるなよ阿呆のくせに――阿呆のくせに! あ、生きている。

 僕は低俗でもあるらしいね。くだらねえ。

 最後には、陰がある、と思った。生きていくということ自体、陰の中にいることだと思った。理不尽。誰だって、生まれたくて生まれたのではない。僕は生きるために生きるのが嫌だ。僕は愛されたいし、愛したい。

 愛です。

 愛の定義について考えた。それは考えれば考えるほど、訳の分からぬものだった。かなし、という古語には、哀しい、愛しい、二つの意味がある。もしも誰かが死んで、哀しいなら、その人を愛しているということになるかもしれない。そこまで考えて、ある人が存在しなくなる話さなくなる笑わなくなる、それが、なんで哀しいという感情をこんなにも巻き起こすものなのか、わからなかった。哀しいと想うことの意味がわからなかった。もし母が死んだら僕は泣いて哀しむだろう。しかし、母が死んで僕が死ぬのではない。涙はわからない。ましてや言葉じゃない。


 陰とは、もしかしたら、大部分がその、訳のわからなさ。これに違いありません。

 最も欲する愛が、一番不合理で、正体不明で、意味不明だから、混乱するのでは、ないでしょうか。しかも愛は永遠に満足しないのです。それが僕たちの陰、なんです。

 いつも切実で、最も大切な何かだというのに、正体も分からず、しかも満たされない。

 間違いない。

 

 間違いない? なにが、間違いない? 僕は的外れで恥ずかしいことを、のうのうと書いている。もしくは誰だって持っているような当然の理解を今更ながらに得て、いかにも得意げに、披露しちゃっているのだ。そうに決まっている。さっきから、僕は言い訳を書いては消し、嘘を書いては消し、本当のことばかり書いている、少なくともそのつもりだが、が、恥ずかしくって、たまらない!

 舌打ち。僕も書こうとさえすれば、いくらでも嘘を書ける。それをしない。誰もこのノートは読むはずがないから。とはいえこんな言い訳をやはり書いてしまっているのだけれども。誰のために、書いているんだ。

 とにかく、愛か。

 くそ! 愛。恋ができたら。思えば僕はただの一度も、恋をしたことがない。恋なんてものは、ほぼ忘れていた。自分のことばかりにずっとてんてこ舞いしていたからだろうか。女性に目移りする余裕がなかったのかもしれない。いや、違う。考えてみると僕は、気づかないうちに、恋を一番毛嫌いしていたのだ。なんだか、恋愛は、欲に素直で、汚くて、嫌だった。

 思い返せば、あの中学生のころから、恋愛をいやらしいと思っていたのではないか。彼氏だ彼女だと騒いでは、別れたフラれたと騒いではの奴ら、内心、ただの助平だと思っていた。

 自分の変な意地みたいなもののために、恋もしないままに青春を終えるのは、空しいことのような気がする。坂口安吾の「青春論」を思い出す。あれは題に興味があったから読んだのだが、煙にまかれてしまった覚えしかない。残っているのは、いつまで経っても青春、それを想像したあの、妙な感じ。読み終わったあと、いつかもう一度読もうと思った。それから読んだかどうかは、覚えていない。

 今読みたいのは、本山さんの詩。


 高校で、僕はかねてより入りたかった文芸部に所属していた。作曲も相変わらず続けていたが、音楽部には入らなかった。楽譜が読めないうえに、僕は音楽にそこまで思い入れはなく、作曲はただ惰性で続けていた。インターネットはなんだか、すでに、そら恐ろしく感じられた。(極端に言えば相手が人間かどうかもわからない。)文芸部では、詩は書かないで、小説ばかりを書いた。詩は書こうと思えばいつでも書けると思った。しかし小説を書くのには、かなり苦労した。いつも、締め切りの前日まで書き始めることもできずに、徹夜で原稿用紙七枚ほどのものを書いた。僕の小説は必ずわけがわからず、馬鹿みたいなことばかり書いていた。

 最初に書いた話は確か、こんなものだった。失明した女性が姉に面倒をみてもらいながら何とか生活していて、姉が外出しているうちに、なぜか、一人で外に出たくなる。いろんな物にぶつかりながら戸を開け、適当なところまで出てきたら、やはりなぜか、今度はどうしても走り出したくなって、目の前になにがあるのかも知らないが、構わない、いいから走れ、走ってしまえと、自分に言い聞かせ、結局、なにもできないで、姉に発見されてしまう。

 僕は誰にもこんな小説を見せたくなかった。特に、二回も出てくる「なぜか」というのが馬鹿みたいに思えた。薄っぺらかった。僕にだって、そんなものは、わかりはしなかった。わからないものを書くのは馬鹿だと思った。しかし僕が小説を書こうとすると必ず、いつもどこかで、自分でよくわからないことを書かなければいけなくなってしまった。

 もっとも、他の文芸部員たちの小説はさらにひどかったと思う。舞台がファンタジーのような世界で、その世界の設定を伝えるのにほとんどの枚数を費やしているもの。男性の主人公に複数の女の子がぞっこんであの手この手で取り合いをするというだけのもの。最初から最後までおどけたやりとりをして、楽しいねあはは、みたいな感じで終わるもの。その低俗さ、僕は文芸部にいるのが嫌なくらい、不快だった。そういう小説を書くような部員たちの会話は聞いているとわけのわからない汗がでる。こんな部活は辞めたいと思った。書店でライトノベルとかいうものがたくさん売られていたりするのは嫌だった。気持ちが悪い。気味が悪い。あれらは、およそ現実からかけ離れた別世界にでも憧れる人が読むものなのだろう、僕は呆れても、読者は切望しているかもしれない、しかし僕は、愛や、況や恋を、虚構に求めることは嫌だ。かえって空しいに決まっている。なんて、馬鹿らしい。お前らが愛でているそれは、人間じゃない。人間性でもない。ただ性欲やそれに同等の下品な感情を満たさんとするただの偶像、ないものねだり、ごまかし、嘘、だよ。いつだったか、日本人ならこの古典を知っておけ、というような漫画も売られてあって、適当に開いてみたら、更級日記を紹介している部分だったが、すぐにその解説がおもしろおかしくなるよう曲解された、ほとんど間違いに近いものだと気がついた。せめて、本当のものが教養だ。何だって、本当のものに意味があるはずなんだ。

 ただしある一人の女の子の小説だけは、もはや一種の詩で、意味があり、明らかに別格だったのだ。その子とは中学から同じだったが、三村先生がプリントを出す度に、彼女の詩は三村先生にもよく褒められていたそうだ。僕は文芸部にその子が来たのが嬉しかった。その子が、本山さんという名前だった。

 本山さんは、本山、というよりやはり本山さんと呼びたくなるような不思議な雰囲気を持っていた。視線が水に浮かぶドライアイスの小さな欠片みたいにすいすい動くので、どこを見ているのか、あまりわからなかった。おっとりした口調で話し出すのはとりとめもない、可愛らしい、しかし吹き出してしまうくらいふざけたことなので、僕はその落差に変な趣さえ感じた。

 時々、やはりふざけて、辛うじて怪人か何かに見えるごちゃりとした絵に謎の一言を添えたコピー用紙を文芸部室に置いていくことがあった。部員たちはそれを捨てずに、部室の壁に貼って、時々笑いの種にした。最初のうちは単にそういうことをする人だと思われていたが、彼女の詩や小説が圧巻であることは、そのうちに誰もが認めることとなった。ある日なぜか制限時間付きで短編を書こうということになったときも、書き始める前には変なことを言っていたが、いざ時間が来て、みんなで全員分回し読みしたとき、本山さんの小説だけは僕や他の部員のものよりずっと、深みがあるのだった。僕は文芸部を辞めなかった。彼女の詩が読みたい。しかし、二度と読まないと決めたのだから。


 勉強に嫌気がさしてきてからは、しばらくなにもしないでいたのだが、文芸部に小説を出さなければいけなかった。相変わらず、締め切り前日の夜になんとか書き始めて、朝になんとか原稿用紙七枚になるような代物だったのだが、その小説の中で、永遠の命という言葉を使った。小説自体の内容は、ほぼ無に等しかったことしか思い出されないが、とにかく、やけくそ同然で、その言葉を使ったのだった。

 疲れていたのだろう。なにせ、やけくそ。つまり、生きているそれがなんだ。ぐらいのものだった。勉強ばかりしているどころか、何もしないでいるのは、さすがに毒だったのかもしれない。反動かもわからないが、その小説を書いた後、なんだか、今度こそ全力の、すべてを詰め込んだ、そんな物語を書きたくなった。

 抵抗しようと思った。虚構も、ごまかしも、そんなにわるくない。つまり現実やら合理性やら、そしてそういったものへ感じる虚しさやらへの抵抗こそが、芸術なんだ。いっそ、そういうことにしてしまいたい。陰、を照らして消えていく。抵抗して、消える。線香花火だ。儚さ。美しさ。それが人の営みかもしれない。

 予備校によれば、受験勉強に忙しくすべき時期だったが、もちろんどうでもいいと思った。仮に勉強してもろくに集中もできない。両親は予備校にかなりのお金を払ってくれていたから申し訳なかったが、学校にすらあまり行きたくなかったほどなのだ。

 わざと遅刻したりしていたら、担任の教師に、見下げたような目を向けられた。

「最近、遅刻ばかりだね。模試の成績がいいからって、調子に乗っているのか」

「はい。すみません」

「すみませんって言われてもね。こちら側としては、構わないよ。いつか信頼を失って、人生を棒に振りたければ」

 信頼も、人生も。

「先生。実は、今日放課後にお話したいことがあるんです」

「ほお、そうか、わかった。じゃあ、会議室でいいかな」

「はい。何時がよろしいでしょうか」

「今日は特に大事な予定もないから、いつでもいいよ」

「はい。じゃあ四時に行きます」

 なにも話したいことなどなかった。僕は言い訳を放課後までに作り上げなければいけなかった。実は、先生。人間はどうせ死ぬので、勉強するのが馬鹿らしいんです。なんて、真面目な顔で言うことではないだろう。

 結局、僕は大して勉強ができると思わないのに、周りは僕のことを天才か何かのように言うのが張り合いがなくて嫌なのだ、ということにした。

「岡田君。学校の一番で満足なのか。日本で、もっと言えば、世界で、君のことを何人が知っているんだい」

「そうですね」

 僕はどうでもいいということをちゃんと隠しつつ、無機質に答えた。

「大丈夫。君の成績は上がっているんだ。どんなにがんばってもなかなか上がらなくて、悩む人も多いんだから」

「はい。がんばります」

 頭では、物語。物語。それしかなかった。

 

 物語、物語。餓死していく人たちがいて、戦争で殺しあう人たちがいて、その横で僕は物語、物語。永遠の命。笑わせんな。そう思う心もあったのだ。僕は弱いから、戦えないから、物語。情けない。

 しかし、どうしても、必要なのは物語だったのだ。僕は消えていくんだろう。跡形もなくなってしまうだろう。そんな真実に負けたくなかった、勝てるわけがないけれど、負ける必要もない。大袈裟なことではない。僕がどこまで、やれるのか。一つ体当たりをかましてやろう、一矢報いてやろうと思った。

 陰、を照らして消えていく!

 だけれども、虚構ではない。僕が次に書くのは、本当のことなのだ。そうでなければ、だめなんだ。僕の場合は。


  三

 

 僕は長谷川に会いたくなっていた。やはり高校自体は同じだったので、会おうと思えば、いつでもできる。ただ、僕は特別進学課程、彼は総合進学課程にそれぞれ進んでいたので、会うことは少なくなっていた。総合の方に、行っておけばよかった。特別進学とは勉強第一という意味だ。

 佐藤という友人がいた。高校に入ってすぐ、かなり仲良くなった。僕は、彼とも同じ中学校にいたはずだが、高校に上がるまでお互いに知らなかった。佐藤は僕よりずっと早く長谷川と仲良くなっていたらしい。今でこそ彼は何か遠く恐ろしい存在、わけのわからないくらいに僕よりずっと進んだ人間に思えてしまうのだが、佐藤はいい人間だ。頭もいい。考えていることも面白い。

 長谷川とちゃんと会うことは少なかったが、その佐藤から長谷川のことはよく聞いていたので、何となく想像できた。多分、勉強の成績はそこそこよくて、佐藤と同じ軽音楽部でドラムをやっていて、時々僕の曲を聴きたがっているはずだった。

 一つ気になることを、佐藤に尋ねた。

「長谷川は、まだ、絵を描いてる?」

「時々描いてるみたい。美術部にも顔を見せるらしい。まあ、入ってはいないけど」

「そうか。長谷川の絵を久しぶりに見たいな」

「見せてもらえば?」

「そうだね」

「じゃあ、行こう」

「え、行くの。断りもなく、今から、わざわざ」

 長谷川とはあまり会わないとは言っても、廊下ですれ違うようなことは少なくなかった。

「そりゃ、見たいっていうなら、行こうぜ」

 佐藤はそういう質らしかった。一緒に帰途についていたら、

「なあ岡田。人間は情熱だよな」

 なんて真顔で言うので、うん、と言いながらも笑いを堪えたこともある。

 佐藤に引っ張られ、探した挙げ句、長谷川は美術室で見つかった。一緒にいた岩崎先生が僕たちに気づいた。

「あれ、どうしたの」

「岡田君が長谷川君の絵を久しぶりに見たいっていうので」

 長谷川は少し不意をつかれた顔をしていたが、

「よう、久しぶりだね。見せる、見せる」

 と笑いながら絵を持ってきた。どうやら抽象画だった。

 黒っぽい背景に三原色がさらさらと散りばめられて、右下の方にぽつりと、白の円盤があった。相変わらずタッチが独特で懐かしかった。

「どう?」

「きれいだね。ここの白が、寂しくて、いいよね」

 長谷川の絵は明らかに上達していた。美しいのだがどこか陰惨な、奥に、どうにもならないものが潜んでいるような、むごたらしい雰囲気を醸し出していた。それがむしろ絵をより美しく見せていた。

「やっぱ、長谷川はすげえなあ」と、佐藤も感心していた。

「おう、そうだ」

 長谷川は声を大きくした。

「岡田。文芸部だろ。そうそう、そうだ。また、詩を読ませてよ」

「でも、詩は書いてないよ」

「そうなの? どうして」

 詩は、いつでも書けるような気がしていたのだったが、それにしても、それがなぜ書かない理由になるのだろう。僕はわからなかったが、一応は答えた。

「物語が、書きたいんだよ。なんだか知らないけど」

「じゃあ、小説を書いてるのか」

「そうだけど、くだらないものばかりだよ。まあ受験もあるし、次で最後、本気で書こうと思ってる」

 佐藤が反応した。

「俺も同じこと、考えてたんだよ。小説じゃなくて、台本だけど」

「台本。戯曲ってこと?」

「そう。なあ、どうせなら一緒に書かない? いいだろ? 岡田とだったら、面白いものができそう」

 長谷川はなぜか賛成した。

「いいじゃん! 書いたら読ませてよ。それだったら、できるまではお楽しみにしておく」

 岩崎先生は何か作業をしながら、「青春だねえ」などとしみじみしていた。

 僕は承諾した。二人で書くというのは、想像以上に楽しそうだったことも、今までの小説のことを考えると、仲間がいた方が心強そうだったこともあるが、僕は佐藤のことを気に入っていた。

「でもその台本、書いたらどうするの」

「後輩が演じるんだよ。来年の文化祭で」

 そのとき横から、

「どうせだったら、賞に応募すれば」

 と言ったのは岩崎先生だった。それで、県の文芸賞の、小説・戯曲部門に応募するため、演劇台本を書くことになった。

 

 僕は哀しみについて書きたかった。僕にも本当のことが書けるのかもしれない。そしてもし、うまく表現できたら、その台本は僕にとって、唯一の財産みたいなものになるかもしれない。しかし佐藤は、自己発見について書きたいと言った。

 聞くところによると、自己発見というのは、この頃佐藤が感じていることだという。彼は任意の瞬間に、客観の中に自己を発見する。つまり、この頃の佐藤は、ふとその場にいる自分を客観視したような映像を想像するが、そこに自己が必ず見いだされるので、何か、感じるところがあるらしい。

「見当外れな言い方したらごめん。なぜ、客観的に他者と並べた自分を、いともたやすく自分と捉えられるのか。みたいな感じ?」

「というより、一種のエゴイズムを感じる」

「ふうん。でもどうやって演劇にするの」

「わからない。でもちょっと、考えてみてよ」

「客観的な想像は、あくまで自分の想像だから、主観だよね」

「そうだね」

「だからじゃないか」

「なにが」

「客観的に想像しても、自分は自分だよ」

「そうか?」

「そうだろう」

「それだとさ、人は誰でも自己を脱却できない、そういうことになるよ」

「できないと思う」

「あ、そう? 俺は、できる人にはできると思ってるんだよ。確かに客観的な想像は主観の域をでないけど、主観は主観で、主観なりの客観をみせてくれるはずだろう、それでも自分ってものが意識されっぱなしなのは、もう俺の本質が自己中心だからなんだよ。俺はそのせいで主観を抜け出せないけど、それができる人もいるんじゃないか」

「僕にも、自己は捨てられない。捨てるのは嫌だ」

「嫌だ? 俺はやってみたいけどなあ。まあ、それはともかくさ、エゴイズムがない人間って、素晴らしそうだろう。でも、実は、自己を発見できない。アイデンティティなんてそんなもんじゃないかと思う。そういう台本を考えてた」

「難しいな」

「だめか。岡田に手伝って欲しいんだよ。なんだか、自分だけじゃできない気がする。前から頼もうと思ってたんだ。ああ、でも、何か書きたいことがお前にもあるなら、それでもいいや。うん。お前と書いたら何でも新しいものができそうだ」

「なあ、たとえば、親しい人が死んだとき、哀しいと思うよな」

「そりゃ、おもうね」

「なんで哀しむんだと思う」

「大切だからだろう」

「どうして大切なんだろう」

「理由なんか、後付けだと思うよ」

「僕はその、哀しみの根本的な理由を知りたい。答えまで得られなくても、手がかりをつかめるような台本を書きたい。道ばたに猫が死んでいても、目頭は熱くならないけど、親しい人が死んだりいなくなったりしたら、感情を揺さぶられるのは、なんだか、わからないんだよ」

「あ、なんだ」

「なんだって、なんだ」

「ごめん。俺の書きたいことと重なってるところがある気がして」

「どこが」

「とにかく、俺とお前の書きたいように書いていこう。頼むよ」


 長谷川の母親が亡くなった。

 お通夜には僕や佐藤の他にもかつての同級生たちが来ていたので、長谷川は長い間笑顔を絶やさなかったが、なんだか痛そうな笑顔だった(こんな表現はなんだか浅ましいのかもしれない。痛いのは僕だったのだろうか。なんて書くのもまた浅ましいのか)。僕たちは彼をできるだけ慰めたが、誰にも彼の気持ちは分からなかったと思う。

 僕は嫌な気持ちがした。物語がどうとか、台本がどうとか言っていて、いいのか。本物の陰を見たのだ。劇にするまでもなく、これが本当だった。生きて死ぬのだ。それが本当だ。

 それから何日か経って、賞の応募締め切りまであともう少しというところで佐藤が突然、失踪した。台本はほとんど進んでいなかった。メールを送ったら、返信が来た。

「すみません。俺は共感を探しに行く」

 それ以降返信はなく、どうやら親戚のところを転々としているらしい、ということだけ他の誰かから、伝わってきた。

 僕はだからといって賞を諦めるのも嫌だったので、締め切りの前日に例のやり方で、一晩使って小説を書く羽目になった。原稿用紙の使い方だけは間違えていないかよく確認して送りつけた。内容は、全然納得のいく書き方ではなかった。すこし佐藤をうらんだ。

 締め切りを四日くらい過ぎた頃、佐藤は帰ってきた。何をしにどこへ行っていたのか尋ねても言わないので、それ以上聞かなかった。

 賞は締め切りを過ぎたが、台本制作は何となく続行した。やはり、何かを作り上げない以上は互いに納得がいかなかったのだろう。それでも僕に関しては、これ以上書くか書かないか、迷いながらだった。物語、なんかではとても敵わない。取るに足りない抵抗じゃないか。少なくとも今の長谷川に読ませられる台本になるはずがない。

 佐藤にも僕が台本制作に乗り気じゃないのが伝わったのかもしれない。

「お前がいう、陰、俺も少しわかったんだ」

 陰の話は、いつの間にかしたのだろう。覚えていない。

「そう。どうして」

「長谷川の母親が死んだ」

 何か新事実みたいな言い方だ。

「岡田。哀しいってことは哀しいことだな。気持ち自体は誰でもわかるが、誰にもわからないんだな」

 佐藤の言葉は当たっていた。僕は頷いて、ただ黙っていた。

 しばらく相手も黙っていたので、ふと見れば、同じような無表情ではあったが、僕と違って、その目は僕の顔を痛いほど見つめていた。気圧されて、言ってしまった。

「書こう」

「受験まで後、一年と少ししかないけど」

「やめるか?」

「お前が書くなら、俺も書く」

 佐藤との台本制作は相変わらず立て板に水とは到底言い難い速度で進んだが、両方とも変に覚悟したみたいに、着実に進んでいった。

 ある日台本を書きながら、佐藤が独りでに話し始めた。

「共感を、探しに行ってきたんだよ。人間とではなくて、なにかもっと大きなものとの、共感。実験だよ、自己発見の。自己発見のことは、前に話したと思うけど」

 佐藤がなにを言っているのかほとんど理解できずにいた。佐藤はお構いなしだ。

「人間の中にいても、自己はいなかったんだよ。誰かの隣にいる自分なんて、他人ではない自分というそれだけ。俺は人間がいないところに行ったんだ。そこで試したんだ、自己発見。そしたら俺は自分なんて、もうどうでも、よかったよ。それでも腹が減って死ぬかと思ったから戻ってきたけど。わかるか?」

「わからない」

「そうか」

 落胆しているような眉と嬉しそうな口元を合わせたような変な顔をしながら文字通り、はあ、とため息をついた佐藤はすぐ無表情に戻って、

「うまく言えない」

 僕は、

「言えてたまるか」

 何となくそう言った。


 三月になってしまった。風がいやに冷たい日もあり、肌寒さが残っていて、まだ春は遠い気がした。しかし春は来る。いずれ桜が咲く、その桜の季節に追われるがごとく台本を書いていた。別に、春までに完成を目指していたわけでもないのだが、とにかく僕と佐藤は相変わらず、毎日のように台本を書いていた。春休みになってしまったので、手頃なカフェで待ち合わせていた。台本は多分ほとんど完成に近づいていたのだが、ずっと細かい修正を繰り返していた。何日目かに、僕がいつものように音楽を聴きながら待っていたら、佐藤は長谷川を連れて現れた。

「長谷川?」

「よう。久しぶり」

 と言ってから長谷川は僕の前に座った。佐藤はその横に腰掛けながら言った。僕はどういう訳なのかわかりかねた。

「驚いただろ」

「まあね。どうして急に」

「台本を手伝ってくれるって」

 僕は一瞬佐藤に疑いを持ったが、長谷川がそれを晴らした。

「俺が、手伝わせて欲しいって言い出したんだ」

 佐藤は苦笑いしていた。しかし、長谷川もなんでそんなことを言い出したのだろうか。もしかすると佐藤が、台本の完成がそろそろだとでも言って、待ちきれずに読みにきたのかもしれない。そこまで読みたかったのだろうか。

「手伝うって、どうやって」

「いやいや、たいしたことはできないだろうけど、ちょっと意見を言ったりとかさ。頼むよ」

「岡田もかまわないだろ?」

「もちろん」

「じゃあ、ちょっと読ませて」

 長谷川はゆっくり台本を最初から読み始めた。僕と佐藤は何となく長谷川を見つめていた。

 台本の内容は要約するとこんな感じだ。夜中の山奥で、男がいまにも自殺しようとしているところを、少女が飛び出して止める場面から始まる。男は散歩していただけだと言い張るが、少女はそれなら一緒に散歩しましょうと言って、男を監視しようと決める。男は少女から逃げてさっさと死のうとするがどうしても見つかってしまう。そのうち男もあきらめて少女に身の上話を聞かせる。わかっただろう。俺が死んで哀しむ人間はいない。すると少女は、それは違う、私が哀しんであげよう。と言うのだが、男は信じない。男はそのうち寝てしまって、気づくと朝になっている。少女がいない。男は、ふらふらと、昨日死のうとしていた場所へ戻る。やはり少女は来ない。どうしてか、この世から少女がいなくなってしまった気がする。自殺は中断して、少女を捜し回る。そして少女が、かれこれ三年前に同じ山で自殺してしまったらしいことを知る。誰もいなくなった山で、男は死ぬのが面倒になってきたのと、少女にもう一度会いたいという希望とで死にきれない。山を下りないで、しばらく座っている。あの少女がなぜ、俺を哀しんでくれるのか。それだけを考えながら。

 長谷川が台本を一通り読むと、佐藤が真剣に長谷川の表情をのぞき込んだので、僕も二人の様子を見ていた。

「二人とも、才能あるな」

 佐藤は一瞬、肩をあげて、それから元の位置より少し下に落とした。その気持ちはわかる。長谷川からは褒められた記憶しかない。

「これで終わりなのか?」

「よくわからない」

「つまり、ここで終わりにした方がいいのか、続きを書いた方がいいのか、まだ決まってない。もっとも、こんなのを完成にするつもりはないけど」と僕が説明した。

「何で完成にしないの」

「なんだか、ごまかしてる感じがするんだよ。自分でもこの台本がよくわからない」

「続きがあるとしたらさ、素直に考えれば男は生きていくことを選ぶと思うんだけど。男はやっぱり自殺する可能性もあるんじゃないかって、岡田が言うんだよ」

「そうだろう。唯一哀しんでくれるっていう少女がこの世にいなかったんだから。あるいは、少女と同じところに行こうとするかもしれないし」

「一理あるけど、なんの救いもない」

「だから、確実に救いがある終わりにしようって」

「長谷川はどう思う」

 急に二人分の視線が集まったからか、困ったような顔をしていた。

「そう言われてもなあ。男が少女の親に会いに行くのはだめか」

 彼の口から親という言葉がでると、重すぎた。どうしてそんなことを思いついたのだろう。いや、そんなのは決まっている。僕は口の中に苦々しい汁がでてくるような気がして、急いで唾を飲んだ。

「それでどうなる?」なんて催促したのは、僕じゃない。佐藤だ。

「母親は哀しむと思うよ。娘が死んだのを思い出すから。それで、娘が救おうとした男に居場所をさ、」

 その日は台本についてこれ以上話さなかった。長谷川の顔がクシャクシャになってきたのだ。

 カフェの中というより耳の中で流れているジャズが、あまりに滑稽だった。


 その翌日に、地震が起こった。

 大きく地面が揺れた時、相変わらず僕と佐藤は台本の台詞や指示の機微を調整しながら、続きを書くか否かを話し合っていた。長谷川は一緒ではなかった。

 二人で駅に行くと電車が止まってしまっていて、一時間ほどは改札で待ったがどうやら無駄だった、つまり自力では帰れなくなった。僕は携帯電話を持ってきていなかった上、家に誰もいないはずだった。佐藤が彼の母親に連絡して、佐藤と僕を車で迎えに来てくれることになった。相談して、僕は佐藤の家に泊まることになった。

 佐藤の家に行くのは初めてではなかった。佐藤の母親はとても気さくで、僕を気に入ってくれていた。大体家に上がらせてもらう度に、動きが洗練されているとか高貴な雰囲気だとか、妙なことを言われるのだが、その日はそういう類のことを言われなかったので安心した。

 佐藤の家に着いたときは日が落ちきっていたので、電話を貸してもらって家の留守電にメッセージを入れ、簡素な夕食をいただいてから佐藤の部屋で寝かせてもらった。

 佐藤の部屋のベッドは二段ベッドの一段目がすっぽり抜けたようなもので、その下に参考書や筆記用具が散乱した勉強机がある。とりあえずその机をずらして何とか布団を敷けるようにしたはいいが、足を伸ばせるほど広くはならず、そこをどちらが使うのか、遠慮合戦になった。佐藤は、下には俺が寝るからお前は俺のベッド使えよ、と言ってくれたが、さすがに僕も、図々しくなれない。結局床に寝たのが佐藤で、ベッドに寝たのは僕だったのだが。

 しかし、佐藤の布団はあまりにも綺麗だった。普通なら少しずつ汚れたり毛が落ちたりしてしまうものだと思うが、まるで新品のように真白だ。

「佐藤、これやけに綺麗だけど、新品なのか」

「いや、違う。新品に見えるのは、俺が普段使わないからだと思う。使ってないの、ばれるから、埃は毎日払うけどさ」

「使わない? どうして、こんなにいいベッド、いや、普段はどうやって寝てる」

「机に突っ伏したり、あえて床に寝たり」

「風邪引かないのか」

「どうでもいいだろ、そんなこと。まあ、風邪を引いた覚えはない。今日は久しぶりに布団に潜ってるけどさあ、あたたかいな」

「なら、これからはこのベッド使えば」

「いや、どう言おうか、俺は、何の疑いもなく布団に入ってすやすや眠るのが、面白くないんだよ。無防備だし、惚けてるみたいじゃないか。とにかく、一度常識を疑わないとさあ。高校生になってから、布団に入らないって決めてみた。案外、悪くないよ」

「僕もやってみようかな」

「やってみれば。でも他人の前でそんなことするのは、目立ちたがりみたいだから、今日は布団を使います」

 奇行。佐藤の行動は、確かに変だ。しかし僕などは頭ですべてを解決せん、違う、解決あらなんとて、手も足も出さずにいて、記憶山、かなんか言って、すると恥ばかり思い当たって舌打ちを連続しているような、彼より数段下の人間なのかもしれない。彼の行動力は、そういう意味で僕より病的でもない。つまり健康だ。

 二人はしばらく黙り込んでいたが、例の、佐藤が思い出したかのごとくおもむろに口を開く。

「今日の地震は、ちょっとすごかったなあ。電車止まるなんて」

「そうだね」

「……なあ、岡田。台本、未完成だよな」

「多分、未完成だよ」

「俺はあれでもいいのに」

「僕も気を許しそうになるよ。だけど、僕は、やっぱり本当のことを書きたいんだ。僕はあの台本が説明しきれないんだよ。それが、嘘をうまくごまかしている証拠に思えるんだよ。佐藤が言う、自己発見がよくわかってないからかもしれない。ごめん」

「いや、謝ることない。俺も変な言葉使うから、わかりにくいんだ。自己発見って、結局、自分が自分であると思っているのは、自己を中心としてみていることだ、というか。つまりある種のエゴイズムが、人間のアイデンティティなんじゃないかってこと」

「どうしてそう思うんだよ」

「ひらめきで。まあ、同じような考えの人も、実はわんさかいるのかもしれない」

「あのとき、どこ行ってたの」

「あのとき?」

「失踪したとき」

「言ったじゃん。誰も来ないところ。自分が人間だってことを忘れる。すると、自分なんて、もはやどうでもいい」

「前もそんなこと言ってたね。自分なんかどうでもいいってなると、何かあるの」

「そりゃなにもないって。そんなのは、自殺と変わらないよ」

「あ! そうだな! それ、自殺だ。じゃあ台本の男?」

「なあ、哀しみの正体ってやつは、結局わからないけど、それだとだめかな」

「わからず終いかもな。それで、いいのかな」

「やっぱりいやなのか? 言葉は言葉に還る、そうなんだろ? 言葉にするのか?」

「しないよ。あの台本は永遠に完成しないのかも」

「そうか、それでもいいよ。永遠の未完成。なんか、いいもんな」

「好きにしてよ。もうあの台本は、任せた。負けた」

「ごめんな」


 いつの間にか眠りに落ちていて、目覚めたのは朝の五時だった。

 佐藤の家で朝食を食べながらちらりとみた新聞の一面。

(町が消えた……)

 一瞬でその意味がわかった。

 昨日の地震。

 僕が帰宅して最初にみたのは、僕宛の封筒だった。県の文芸賞から。まあ参加賞でももらえるんだろうと思ってあけたら、佳作入選の通知だった。

 僕はそれを投げた。

 嬉しくて投げた。

 嬉しくて。僕は馬鹿だ。悪。


 善悪というのを、よくわかっていない。信じる宗教があれば、その教義で、多かれ少なかれ、善悪について決められているのだろうが。

 僕はキリスト教が嫌いだ。

「世界と人間は神が創ったのであり、神は人間を、自身にお似せになったので、殊に愛していたのだが、人間は神を裏切って知恵の果実、林檎を食べてしまうという罪を犯したがために、多くの苦しみを味わうようになってしまった、しかし人間を憐れんで使者としてキリストを遣わし人間の罪を背負う存在となさり……云々」

 人間が持つ根元的な憂鬱や不安を、うまく説明しているだけなのだ。新興宗教と変わりはない。新興宗教が悪いというのではない。ただ人間の心の寄せ処として、変わりがないのである。そして、僕には心の底からそういうものを信じることが、できない。強がる心のせいなのかもしれない。

 母方の祖父はキリスト教徒だった。祖父は、僕がキリスト教を気味が悪いと思っているのを知っていたが、それでも僕に聖書を贈ったりした。僕は特にそれが嫌ではなかった。しかし、それに自ら進んで目を通すことはほとんどなかった。

 母は、僕を祖父に似ているという。祖父は誰にでも厳しかった。しかし時々おどける子供心があった。僕は祖父とそんなに親しい間柄ではなかったが、疎遠ではなかった。

 僕が高校生になる直前、その人は逝った。彼の亡骸をみた。

 そのとき、なんということを思ったのだろう。それを罪に思うことすら、もしかしたら、できなかった。

 ああ誰か神父の声がしてきたじゃないか。優しげだ。

 ――神様に、キリストの名において祈りなさい。キリストが罪をあがなってくださいます。神様は、きっとお許しになる。あなたを愛しておられるのだから、

 だまれ!

 僕は、自分を許さないし、勝手に許してもらったり、逃げたりもしない……

 そして今度は、町が消えたのだ。家が波に飲まれ流されていく映像がテレビに映し出されて、僕は、僕が思ったことは、なんという、ひどいことだったのだろう。

 逃げたい。罪ですか。

 ――神はご存じです。

 もう口を噤めよ。


 信じるとはどういうことか、誰かに、教えてあげよう。本当だと思うことだ。

 信じていないものは、時々嘘に見える。本当のような顔をしているだけだ。信じているものは、変わらず本当であり続ける。決して疑わなければだ。

 書いたけどやっぱり、当たり前すぎた。ごめん。

 考えたことは、みんな、じわりじわりと、当たり前に思われてきて、寂しい。

 あのときは、じわりなんてものじゃなかった。

 唐突に思いついて、すぐに実行した。僕が何者なのか、母に聞いてみたのだった。

「どうして僕を産んだの」

「なによそれは」

「なにも。聞きたいだけ。兄さんだっているけど、それでも僕を産んだんでしょう」

「……家族は多い方がいいねって。その方がにぎやかで、楽しいでしょう」

 母にとって僕は赤子。いつまでも赤子なのだ。どうやらそれでいいらしい。そうやって連鎖していくのが生命だ。

 僕は生命だ。死ぬまで。

 もう、それで、いいんだよ。人間は、生き物なんだ。僕は偶然だが人間に生まれたんだ。それだけで人間なのだ。

 ――そうさ!

 ――人間は、生物なんだ!

 確信したとき、体は熱く、すべては輝いた、僕は、燃えた、歯車という歯車が噛み合って加速していく、どうして、どうして、こんなことに気づかなかったのだろうすべての答えじゃないかだれかわかってくれよ人間は生きる意味よりもなによりもまず生きてたんだそれだけなんだ!

 次の瞬間、風が、吹き込んできた。すべては静寂。僕の部屋は、静かだった。

 人間は生物だ。

 それは、いかにも、当たり前だ。

 寂しくて、泣きたい。

 

 当然、という言葉は強すぎる、そうじゃないか。

 一例。生きているのだから、当然、人は死ぬのさ。

 笑えない。


 僕はこれを誰に読ませるんだろう、誰のために書いているんだろう。

 何度も同じことを書いている。僕は明らかに、誰かを感じている。背後から人の気配がする。笑わないでくれ。


 台本の原稿は佐藤の家にあったから、加筆修正は物理的にもできなかったが、地震の日から僕が考えていたのはずっとあの台本の、男のことだった。結論から言って、少女は、男を愛したかったのだろう。人間として。だから、私が哀しんであげよう、と言った。あの台詞は、僕が書いたのに。

 ずっと独りでいれば、愛する人も、愛される人もない。孤独はある種の死だ。佐藤はわかっていてそんなことをしてみたのだろうか。もしそうだったら、勇気のあるやつだ。本当に命を落として死ぬなら、どれだけ勇気がいるのだろう。

 よく、人は死んだら星になる、という言葉を聞くのだが、これは間違っていると思う。人間はもとより星だ。生きている。しかし生という太陽の光はあまりに眩しい。太陽が沈んだとき、初めて見えるのが星空ではないか。死ぬと、何かが変わる気がする。死んで変わることがある、そんな希望が、死ぬ勇気になるのだ。

 僕も自殺を企てたことがある。中学生のとき、「死ね」と言われて、死んでやろうと思った。想像した。僕は遺書を書いて、突然自殺する。翌朝のホームルームでニュースを聞いた同級生たちは唖然として、そのまま、担任の教師が遺書を朗読するのだ。みんなが後悔する。最後の、みんなが後悔する、などというのが実に甘い想像だとは気づかなかったようだ。幸い、僕に死ぬ勇気も強い衝動もなかった。

 それは試してみてすぐに判った。夜中起き出して台所で、果物ナイフの刃先を手首に思い切り押しつけたつもりで、結局手首から血すら出なかった。力が入らないのだ。いまいましくて、一時間ほどは頑張ったが、ついに諦めた。自ら死ぬという選択の馬鹿馬鹿しさは、僕より先に体が知っていたらしかった。僕は体に生かされている。僕は本能に助けられたのだろうか。本能は、人を生かすようになっているものだ。じゃあ理性は、人を殺すのか。そんなわけはないな。理性も人を生かすんだ。多分、本能だろうが理性だろうが、体なのだ。それが僕だ。

 男は、生を選ぶに違いない。

 学校が始まったら、佐藤に口で伝えようと思った。


  四

 

 春休みが終わり、授業があった。現代文の授業は、演説みたいなもので終わった。

「地震をきっかけに、人間がやってきたことや、科学のぼろがでてきたんだ。既存の概念の崩壊。俺や君たちの、アイデンティティの崩壊」

 アイデンティティ? 自明性とでも言い直したらどうだろう。佐藤の方がずっと、いや、忘れていた、どうでもいいのか。先生の言いたいことはよくわかる。ただ、アイデンティティという言葉が使いたかっただけのように思われてしまうけれど。

 休み時間に佐藤を探しに行ったが、学校に来ていないらしかった。さすがに、もう失踪はしないだろうが、風邪でも引いたのかもしれない。メールを送っても返事が無かった。

 放課後に、佐藤の家を訪ねたら、元気そうに玄関に現れた。

「風邪じゃなかったんだ」

「あ、ごめん、心配した? 言っておけばよかったな、台本書くって」

「いままで書いてたの? もうあとは任せたけど、一言伝えたいんだ。男は、生を選ぶはず、だよ」

「意見変わったのか。なんで」

「人間は、生き物だから」

「そうか」

 折角だからということで、家にあがらせてもらった。渡されたミルクティーを渇いていないのどに少しずつ流しながら、佐藤の部屋に入った。佐藤はおもむろに台本を持ってきて、僕に渡した。

「これ、俺がいないところで読んでよ」

「書き終わった?」

「まあね」

「今読むのは?」

「だめ。恥ずかしいから。なあ、そんなことより、長谷川のこと知ってるか」

「何かあったのか?」

「あいつ、連絡取れないだろ」

 僕と長谷川の間には滅多にメールや電話のやりとりがない。多分、佐藤とはあるのだろう。

「心配だ」

「だろ。でもこの前、突然俺に電話してきてさ、台本の手伝いしたいって。それでカフェに連れていった」

「そういうことだったのか。知らなかった」

 長谷川はどういうつもりでそんなことを言い出したのだろうか。

 地震が起こらず、ずるずると台本制作が続いていたら、また僕たちの前に現れたのだろうか。

 滑稽なジャズ。


 あの日、台本の話を止めた後、僕たちは自分たちの将来について話し合ったのだった。

 佐藤は役者、長谷川は絵描き。僕には何もない。

 二人に、僕は馬鹿だと、とうとう打ち明けた。驚かれてしまった。

「仮にお前が馬鹿だったら、世の中はほとんど馬鹿しかいないとおもうけど」

「いや、僕は、馬鹿なんだよ。こればかりは、変えようもない」

 長谷川が真顔で、こっちからすれば岡田は何でもできる人間に見えるよ、などと言う。

「そんな」

「だって音楽ができるし、デッサンも結構うまくて、文才もある。しかも勉強がずば抜けてできる」

 初めて知った。そう見えているのか。

「そう見えるだけのことで。僕は自分の曲で何かを変えたことはない。小説だって、自分にもわからないようなことを書きまくって、ごまかしてばかりなんだ。勉強だって、僕の程度なら、誰だろうとやればできる」

「卑下するなよ」

「いや、僕にできることなんて、意味のないようなことばかりだ。何も変わらないんだよ」「俺の絵だって」

「違う、違う。長谷川の絵には何かあるよ」

 そのとき、ふいに、君には何かある。岩崎先生にそう言われたのを思い出した。その瞬間、この何かというものが、僕に唯一ある、大事なもののように思われてきて、一体なんなんだ、それは? 涙が出そうになって、必死にこらえた。僕が褒められたあの手書きの詩は、大切にとってあったのだが、破り捨ててしまう決心がついた。実際、家に帰ってすぐに、破り捨てたのだが、何かある? それが何なのか未だにわからないでいる。なのに、僕も長谷川に同じことを言ったのだ。長谷川の絵には力がある。僕なんか到底、及ばない。

「何かって何だ」

「力だよ」

 変に強い口調になってしまったからか、長谷川が眉をひそめながら言った。

「まあいずれにせよだ。岡田はもっと自分を誇ればいい」

 そこで佐藤がゆっくりと口を開いた。

「それぞれなりたい自分になったら、俺たち三人で作ろうぜ。その、意味のあるものを」

 長谷川は眉を戻さないまま。

「意味のあるものって、なに? どういうものなんだ」

 僕は唸るように、死なないもののことかな、などと言いながらも怖くて、長谷川の眉が恐ろしくて、俯いた。誰かが何かを言っている。

 ……岡田、俺たちも死ぬからな、長谷川も俺も、お前も死ぬからな、それでも、それまで時間がある。死ぬまで、確かに俺たちがいる。俺たちが在る。

 佐藤。俺はお前に一生、敵わないんじゃないかと、時々思うんだ。

「やっぱ、三人で、意味があるものを作ろう。新しいもの」

「佐藤、岡田」

 顔を上げたら、長谷川の眉は戻っていた。

「佐藤、岡田。絶対に作ろう。だけど、馬鹿な、くだらないものでいい。三人で作ろう」

「じゃあ、たとえば、俺が筋書き。長谷川が絵をつける。岡田は、どうしたい」

「僕は、」そこまで言って、自分はなにをすべきなのか、やはりわからなくなってしまった。そこへ長谷川がすかさず言った。

「岡田は曲をつけてよ」

「曲?」

「俺は、お前の曲が好きだから」

「どうして」

「どうしても、こうしてもない。お前の音楽は、お前のものだろ。俺は、それだけで十分だよ」


「カフェからの帰り途中にもさ、長谷川に連絡が取れない訳を聞いてみたんだけど、あっちも色々、大変らしい。経済的にもそうなのかもしれないけど」

「そうなんだ。……長谷川はどうして台本を手伝いに来たんだろう」

「わからないけど、台本を手伝うというより、俺と岡田に会いに来たんじゃないか」


 僕は久しぶりに曲を作ってみた。ドラム、ベース、伴奏、メロディ。ドラムを実際に叩いたこともないし、ベースは触ったこともない。伴奏の和音は適当。メロディは感覚だけで考える。間抜けな曲ばかりできてしまう。そして、こんなことをしている場合ではない、と思った。ついこの間、あんな地震があったのに。

 インターネットに下手くそな音楽を公開して、喜んでいた時期があったなあ。ピストンコラージュ。パソコンのスピーカーから楽しげに流れるチープな電子音が懐かしい。暗い画面に光を灯すように音符を書いていく、なんて思っていたけれど、いくら気分が紛れるからといっても、そんなのは嘘で、マウスを使ってぽち、ぽち、寂しく音楽を作る。そうやってできた僕の音楽、僕の曲が一体何を動かしたんだよ。長谷川は喜んで聴いてくれていたけれど、結局、彼の大切な人は、いなくなってしまった。

 まるで僕は無力。

 僕が消えたら、誰かが、気づいてくれるのか。僕でさえ分からない、僕の意味に。


 人間はいつか死ぬのにね。まだ、こんなことを言っている。それでも僕は言い続ける。舌打ち。舌打ちは終わらない。僕は馬鹿だ。誰がなんと言おうが、それは変わらないんだ。

 恥! 恥はどこからくるのだろうか。若さか? 若いから、恥じるのか?

 ならば、僕が若さをなくしたとき、僕は恥知らずの老獪になってしまうのだろう。老いても恥を重ねていくなら、僕は何のために老いるのだろう。僕は変わっていくことが怖くて、老いるのも、死ぬのも、怖い。

 容赦がない。何もかも、変わっていくのだ。僕の出会いは、いつしか別れになる。ひょっとすると、再会はないのではないか。「再会」したとき、その人は変わっているのではないか。僕は、それが寂しいし、もっと嫌なのは、僕が変わっていくこと、僕は誰だ、僕は、僕を、僕だとしか思っていないのだ。それは理不尽なまでにもそう思いこんでいるのだ。気を抜くと。間抜けなんだ。

 希望もあるにはある。昨日、保育園の、卒園式のビデオで僕の姿を見た。母が見ていたから、僕もつられた。

「岡田君はいつも、色々なことを考えていて、たくさんの面白いことや、アイデアを、教えてくれたね」なんて、メッセージをもらっていた、その言葉を聞いて、涙が出そうになった。そこに僕がいた。そういうことにしてほしい。だって僕は生き物だ。一つの体だ。そう、わかったじゃないか。

 生き物は言葉通り生きるためにある存在なのだろう。

死にたい。今のうち。そんなことを考えている僕は、生き物失格なのだろうか。そもそも、僕は何故死なねばならぬのか。いいや、僕が死ぬのは、アポトーシス。


 先日、すばらしい言葉を見つけた。アポトーシス。生物学で、ある個体の発生時に、予定的に起こる、細胞の半ば自殺的な脱落死。だそうだ。僕は、生きていく意味をどうしても見いだせないなら、これをすればよいと思う。自殺ではない。APOPTOSIS。


 生きている。愛し愛されたい。だけど、愛することも、愛されることも、止めてしまいたいのです。なあ、何なんだ。死んだら無だぞ! 物語、物語、物語と、言っていられない。現実は目の前にある。それが本当じゃないか。この、堂々巡りの、思考。鈍い頭。

 死んだら無だぞ!


 今、死ぬのが怖くて、死にたいと言っている自分を発見した。妙だ。僕はただただ、ひねくれているだけなのか。断じて違う。生きるのを終わりにしたい、その理由は、生きる意味を知らないからなのだ。意味があれば、僕だって生きる。しかし、そんなものはないようだ。死ねば無なので。どうしようも、ないじゃないか。ああ、その通りだ。僕はどうしようもない。

 僕にあるのは虚栄心を満たす幸せだけ、尊敬されたいだけなのかもしれない。死ね。


  五


 僕がこのノートを、書いている理由がわかった。

 ただ爪痕を残しているのだ。部屋にこもって、こっそりと、必死に、シャープペンシルという爪で。

 僕はこのノートにかなりの嘘を書いている気がする。途中までは、全部、本当だった。いや、最初から嘘だった。いいや。すべて、本当だ。証拠はない。ただ、ただ、僕の心は嘘じゃない。それだけは信じてもらうしかない。本当だと、感じてくれよ。それだけが頼りなんです。

誰か。

 僕の過去も、僕の未来も、今より大事なものじゃない。確かにそう思う。だけど、そうやって今を重ねていって、いつか死ぬんだから、やりきれない。全力で生き抜くとか何とか言ってそのつもりで、目の前ばかりみていたら突然の闇、ほとんど落とし穴、卑怯な真似はするな、などと消えてから怒鳴る幽霊になりたくはないが、それならと、悟ったような顔で気取って周りに誰をも寄せ付けないで、腫物に触るように扱われてしまうことすらも無く、独りで恥を相手に格闘しているのも相当に退屈で、しかも何故か、切望しているはずの死が、遠のいていく感じがする。いっそ誰かが僕を殺してくれないかと、思っているんだ。

 望んで死ぬなんてこと、それこそ馬鹿のすることだ、僕の本能と理性がそう言っている、体がそう言うのだが僕は、天の邪鬼だから、ひねくれているから、死にたいと思うのだろう。一種の狂気なのかなあ、呟いてみたいものだ、他人事みたいに。

 死を想像するときは、興奮しないか。何故だ。言いようもない。嬉しさ。楽しさ。僕はもう、唯一、死に興奮するようになってしまっていて、他のことには、なお枯れ果てた柳のごとし。何も僕を動かさない。すべて当然になり果てる。それがわかって、ひどく悩んでいる。残されたのは感傷。恥。あとは、酔狂。こんなノート。

 

 僕が書いてきた佐藤や長谷川のことは、少し前のことだ。その後、長谷川は学校を辞めてしまった。理由はわからない。そして今でも連絡がつかない。ただ、死んでしまったはずはない。そう思いたい。佐藤は、相変わらずだが、意外なことに今はもう受験勉強に集中している。僕は勉強もしないで本ばかり読んでいる。英語も、古典も読む。漢文は、まだ白文だと読めない。で、今は愚痴のような、告白のような、よくわからない、蒙昧な、阿呆の文章をノートにしたためてきて、そろそろ手が痛い。

 結局あの台本がどうなったのかは、酔狂で、書いておこう。僕は家で佐藤に渡された台本を読んだ。佐藤は、やはり話自体は変えずに、ただ続きを書いたようだ。

 結局、男は空腹に堪えかねて下山。少女の親を捜して歩き、とうとう母親を見つける。男は少女の話を語って、礼を言う。母親は、私ではなくて、あの子に言ってやってください。礼を言いたいのは私の方です。と言う。男は少女の自殺の理由を問う。

 あの子に聞いてください。きっと私には教えてくれません。死んでから、私の前には現れたことはないんですから。

 ですが、彼女は僕を哀しんでくれる、そういいました。そういわれると、なんだか、彼女が死んだのが、何故でしょう、僕も哀しい。だから、……

 もう、いいだろう。

 台本は、台本だ。

 哀しみの正体なんてさ。

 佐藤は、どうせ永遠の未完成なら、とでも思って、僕へのメッセージを台本にたくしたのか。

 しかし僕は密かに、この台本に長谷川が出てくるのではないかと、佐藤が登場人物に長谷川を加えたのではないかと、考えていた。

最後まで長谷川は登場しなかった。それだけは確かだ。


 恋。

 僕は気がつくと考えていることがある。生き物の宿命なのか。家族は、多い方が楽しい。確かにそれでいい。それでいいとしても、僕だけは、もういっそ、恋をしない。そうしたいのに。本山さんが文芸部を辞めたとき、半分は、嬉しかったのに。

 内側から力が湧いてくる。時々、生きてるなあ、なんて、くだらないことをつぶやいて呆然とする。恋がしたいとか、考えてしまうのは、そういうときだ。どうしようもなく生きたいと思うのは、生きる歓びを感じるときだ。

 それでもいつか、死ぬんだよ、生きていこうなんて思いたくない。そんな僕の気も知らないで、生きる力が湧いてくる。

 だから、時々、善くなりたい。きっと、善い心を持っていないからだ。

 被災地への義援金を少し、募金箱に、片手で入れました。悲しいけれど、他人の不幸を喜びもしない代わりに、他人の幸福を願うことも、格好だけになってしまう。

 しかし、ニュースで報道される詐欺師や殺人犯や教祖だって、生きている人間だということが、不思議な感じ。彼らは悪人だが、生きているのに。善も悪もないということは、それが、ああもう何だかわからなくなってきてしまった要するに。道徳は、震災で罪もない人が死ぬ、とんでもないことだ、などと言いたげな顔を、普段はしているのにもかかわらず、対象が悪人となると、ともすれば、死んで当然、堂々言い放つ。そんなものは、何かが違うんだ。それなら僕をも罰してくれ。僕は悪だ、嘘つきだった、自分に劣る人を喜んだ、他人を軽蔑した。死のうとして、死ななかった。地震で大勢が死んだとき、自分の小説が評価されて嬉しかった。僕の舌打ちを、止めてくれ。全員、善人だ。それで、いけないことがあるのか。僕は、善人になれないのでしょうか。生きているというだけじゃ、だめなのですか。

 

 誰だったか、忘れてしまったが、その誰かに言わせれば、僕は考えすぎてしまう、らしい。決して見つからない答えを探し続けて疲れ果て、どこかおかしくなってしまう、らしい。僕はおかしくなっているのではない。考えもせで、目先の豊かさに飛びついたり、過去の幸福をずっと数えているのは、淫乱だ。少なくとも、僕はそんな人間になりたくはない。終わりたくない。終わらせない。

 考えることを、止めたら終わる。何が終わるのかわからないなら、考えてみろ、なんて言ってみたところで、少し考えた素振りをして首を傾げ、わからない、答えは何だい? なんて、その程度だから、僕の気持ちがちっともわかりやしないんだ。そこが僕とは違うんだ。僕は自分を馬鹿だと知っていて、僕にとってそれは、愚かであることは、自分らしさを感じてしまうほど実感的で、触ってそこにあるものだ。考えなければ終わるんだ。

 自己嫌悪しろ。恥じろ。考えろ。それが美徳だ。唯一の。僕にはこれしかないんだ。正直で、いさせてください、僕を苦しませてくれ。僕は恵まれているのが恐ろしい。のうのうとしているのが恐ろしいんだ。何一つ不自由なんかしていないんだ。僕は何もしていない。恥を重ねてきただけなんだ。僕に生きる価値をください。意味をくれ。死に打ち勝てる意味をくれ。死を凌駕する武器をくれ。詩をくれ。教えてくれよ。さもなくば、アポトーシス。そんな勇気あるのか。僕に。


 詩をくれ、さもなくば死をくれ、なんて、浅ましいにおいのする文句を思いついたけど、詩が書きたい。あるいは、それしかない、そんな気がするのです。だがどんな不幸にも直面していない人間が頼まれもせで、詩など書き書き、ほら美しいでしょう励ましてあげますよ、善人面していいのだろうか。僕の詩は、何故だろう。詩を書かなくなったのは。僕にとって、詩は希望なのだ。死ではなくて――しかし、希望は持たない方がよい。僕に何かがある、そんな希望は持ちたくない。死んでしまったら、なにが残る。神を信ずれば神の国で永遠の命を頂けるそうで。

 神なんか、信じない。もし存在していたとて、彼は戦争も、テロリズムも、飢餓も止めないで、人々が死んでいくのをただ見ているのだ。しかし神を頑なに信じる人がこう言った、「どんなことにも感謝しなさい。神様に不可能はありません。大勢の人が死んだのも、その人たちが後に犯すはずだった罪の後始末をつけてくださったのです」勝手に言っていろよ。それなら僕を殺してください。


 やめよう。

 誰も僕を殺したりしない。わかりきったことだ。弱音を吐いてばかりいるのは、負け惜しみに似ている。

 ないなら、作るんだ。きっとそれは案外簡単なことなのだ。生きる意味を僕が作る。ともすれば、おこがましいけれど。許される。僕は馬鹿だから、おこがましくて、いいはずだ。今まで何もしなかったなら、何かをしよう。今度こそ、本当のことを。陰を見つめていなければいけない。陰を忘れてはいけない。虚栄心は捨てなくてはいけない。そうでなければ、本当ではない。

 そんなことができるのか。できないのかもしれない。

 できなかったら、きっと、大人になろう。大人の態度、大人の対応、大人の、大人の、という枕詞がついている言葉には、みんなどこか諦観があるのが、少し嫌いだけれど、これらは諦めを正当化しているのではなくて、それは仕方がない、ということなのだろう。大人になればいい。僕は疲れて諦めきった目をして、恥を知らないふりをする、そういう大人になればいい、そう、すべて、諦めればいいんだよ、そして愚痴とか詭弁とかをこぼしこぼし、ポジティブシンキングってやつで、自分をだましだまし、生きていくんだよ、大人の生き方、人間が死ぬなんて、今更なんだ当然じゃないか、未だにそんな悩みをもっているなんて、まだまだ若いな、ははは若い、若い、

 嫌だ!

 僕は、そうなってしまえば、考えるのを止めたら終わる。そうなる前に、さようなら。アポトーシス! だ!


 いつのことだったか、自殺に失敗したことがあると、父に打ち明けたら、

「俺は自殺しようとしたことはない。でも、自殺したっていいじゃないかと、思ってたことがあるよ」

 僕はひたすら黙っていた。

「だけどね、大学生のときにある本を読んだんだ。その本には自殺は復讐だって、書いてあったよ。復讐は、何も生まない」

 生まないだろう。死ぬのだから。僕が死んで何かが生まれるなら、喜んで死ぬよ。アポトーシス、なんて言わないで、素直に死ねるよ。

 僕はひたすら黙っていた。

「とにかく死んだら終わりだよ。死ぬな。賢治」

 しかし、なぜか、この時ほど生きようと思ったことはないかもしれないな。


 ああ、こうしている間にも、僕は生きている。


 生きることは、歩みつつ握りしめること。

 それだけだとしたら。


 あれから僕がずっと持っている台本を、返そう。何も言わずに手渡すのだ。僕は台詞を一行だけ、加えた。佐藤は気づくのだろうか。僕の独り善がりに。

 私が、哀しんであげます! あなたのこと。哀しむのはいやなんです。どうか、死なないでください。

 それにね、死ぬことが、こわくないのでしょう? なら、どうして生きるのがこわいの。どうして生きないの。生きていくことは、誇れることなんですよ。


 僕は、生きてきた、誇りは、それだけです。死にたいなどと言っている僕が誇ることでは、ないのかもしれないけれど。誇らせてください。生きること、当然などと、誰も言わないでくれ。

 明日で、十八歳になる。

 これからだって、生きていく。きっと、僕は、……生きていいと思う。


  追記

 

 もう、一つ年を重ねた。

 これは、恥の記。燃やさない。もっといいことを思いついた。

 このノートは、ここに、こうして、置いていく。

 拾われるか捨てられるか知らない。僕の手元にある必要もない。

 あと、さようなら。読んでくれた、誰か、温かい人。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ