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第1話:泥に咲く徒花(中編)

第二章


既に涙すら枯れ果て、彷徨うように帰路に付いた。

美沙の足取りは重く、靴底が地面を擦る音だけが響いていた。

郵便受けを開けると、広告チラシに混じって、奇妙な手紙が落ちてきた。

闇を煮詰めたような、漆黒の手紙。

表は「鈴木美沙様」と、銀色のインクで丁寧に書かれていた。


裏は「貴女に道を指し示します。業を負う覚悟があれば、お越しください」という一文と、住所のみが記されていた。


(何これ、悪戯…? でも、この重さ、この冷たさ……)

手紙からは、この世の物ならざる異様な存在感が漂っていた。

美沙の指先が震える。


手紙を握りしめ、美沙は胸の奥で何かが動き出すのを感じた。

眼前の地獄から目を逸らし続け、冷え切っていた心に、微かな怒りの炎が灯る。

(……何が『業を負う』よ……?

私には最低限の尊厳も、人権すらないじゃないっ……!)


くすぶっていた炎が、ゆっくりと燃え上がっていく。

(悪戯なら、それでもいい……。行ってやるわよ!私に失うものなんて、もう何もないんだから……!!)

美沙の瞳に、僅かな光が宿った。



第三章


翌日、美沙は有休を取った。

指定された住所は、再開発から取り残された、入り組んだ路地の突き当たりにあった。

看板すらなく、 錆びた鉄の扉があるのみだった。

やはり悪戯だったのだろうか?

一瞬躊躇われたが、美沙は意を決して扉に手をかけた。

重い扉は、軋みを上げて開いていく。

地下に続く暗い階段を降りていくと、次第に仄かな光が見え始めた。

そこには、別世界が広がっていた。


重厚な革装丁の古書が詰め込まれた本棚が、高い天井まで届き、壁の殆どを覆い尽くす。

天井には、古びたシャンデリアがあり、怪しい光を揺らめかせている。

床は漆黒の大理石で、歩くたびに美沙の足音が静寂の中で不気味に響き渡る。


部屋の中央だけが不自然に広く、そこにはアンティークのテーブルと、二脚の椅子…。

その一脚に、黒いヴェールを纏った女性が1人座っていた。

机には真鍮製の羅針盤と、一本の羽根ペン。そして、黒い手紙の束だけが置かれている。


「鈴木美沙様…ですね。お待ちしておりました。私、ノワールと申します。どうぞお掛けください」

ノワールと名乗る女性が、美沙を椅子へと促す。


「…どうして、私の名前を?あなたは一体…」

「それらは不要な疑問です…。貴女は『道を指し示される』為に来られたのでしょう?」

ノワールは美沙の疑問を遮る。その声は静かだが、有無を言わさぬ力を帯びていた。


美沙の口からは、事の顛末が堰を切ったかのように溢れ出した。

その姿は、まるで神父に救いを求める教徒のようだった。


最初は、僅かな頼まれ事だった。

気の弱い美沙は断りきれず、詩織の頼みを呑んでしまった。

次第にエスカレートしていく中、美沙は詩織の要求を拒んだ。

そこから、陰湿なイジメへと発展していった……。


「……なるほど。その同僚たちから、最低限の尊厳さえ奪われたのですね」

「助けて…ください。あいつら、あいつらだけは許せないんです……!」

美沙は嗚咽しつつ、ノワールに懇願した。

涙が頬を伝い、大理石の床にぽたりと落ちる。


「いいですか美沙さん。私は慈善家でも、復讐屋でもありません…。あなたが今日まで彼女の奴隷として甘んじてきたのは、あなたが『波風を立てない』という安価な保身を、自分の尊厳よりも優先した結果です。……その甘えを、今この瞬間に捨て去る覚悟はありますか?」


ノワールは凍てつくような声で告げる。それはまるで、死刑の宣告のかのように響き渡った。

美沙は怒りと悔しさに震えつつも、力強く頷く。


第四章


「…では、私から三つの道を指し示しましょう」

羅針盤の針が出鱈目に動き、微かな音を立て始める。


「一つ目は、暴力。 明日、彼女を足腰が立たなくなるまで叩きのめしなさい。あなたは尊厳を取り戻し、相手は大きなトラウマを負うでしょう。しかしあなたは警察に引かれ、前科という新たな傷を負う」


「二つ目は、逃避。 明日から会社を辞め、今の世界から消えるのです。これは敗北ではない、生存戦略です。ただし、恥辱の記憶は死ぬまであなたに残り、心を悩ますでしょう」


「そして三つ目。……明日から会社に戻り、再び地獄の日々を送る。しかし、その日々を耐え抜き「業」を背負うのであれば、相手が必死に築き上げた『清廉な美女』『幸福な花嫁』という虚像を、全て私が溶かして差し上げましょう。その覚悟があるのなら、この道を選びなさい」


「さあ、道は指し示めました。何を選択されるかは……あなた次第です」


「…三つ目を…三つ目を選びます!あいつに復讐出来るなら、いくらでも耐えてやる…!!」

怒りと悔しさに身体を震わせながら、美沙は力強く答えた。

羅針盤の針が、ぴたりと止まった。

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