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舞4話:狂った王(前編)

黒の審判 第4話

狂った王


序章


「…『誠意』とは、本来人間の魂が紡ぎ出す最も純粋な結晶の一つでございます。

私心を捨て、真心を持って過ちを認めれば、それは時に断絶した心を繋ぎ、鋼よりも強固な信頼を築く礎となるでしょう」

真鍮の羅針盤が、キイ……キイ……と、夜の静寂を削るような音を立てていた。


「ですが、その美しき言葉も、ひとたび『歪んだ支配欲』という毒に侵されれば、牙を剥く。それは、傲慢な主人が、平身低頭する奴隷の首を絞めるための、逃げ場なき鎖へと姿を変えてしまうのです。……さて。今日のお客様は、自分が『鎖に縛られた奴隷』であることに、ようやくお気付きになられたようです」

羅針盤の針が、凍りついた氷が割れるような鋭い音を立てて止まった。



第一章


「……で? 誠意っていうのは、口先だけで済むものなのかね?」

夜の居酒屋に、粘りつくような低い声が響いた。


店長の岡崎慎一は深く頭を下げ、床のタイルの目地をじっと見つめていた。視界の端には、高級そうな革靴を履いた男が、威圧的に座っているのが見える。


男の名は葛西典明。半年ほど前から平日の20時に必ず現れる常連客だが、彼はミスとも言えない些細な粗探しをしては、岡崎をターゲットに執拗なクレームを叩きつける「怪物」へと変貌していた。



今日は「ビールのグラスの冷え方が足りない」との事だった。


「申し訳ございません、只今すぐに新しいグラスをお持ち致しますので…」


「グラスの交換? ……岡崎さん、君は学習能力が欠如しているのかな?」

葛西は鼻で笑い、テーブルの天板を指先でコン……コン……と規則正しく叩いた。その乾燥した音が、岡崎の磨り減った神経を直接削り取る。



「私が怒っているのは、君の『不誠実さ』だ。こんなグラスを持ってきても、謝罪すれば済むと思っている。その性根に腹が立っているんだ。誠実さの伴わない謝罪は、侮辱に等しい」


岡崎の背中に、嫌な汗が流れる。

葛西は決して声を荒らげない。

しかしその内容は、岡崎の全人格を否定し、逃げ場を奪う「謝罪の無限ループ」だった。


「……失礼いたしました。決してそのような意図ではございません」


「だったら、きちんと見せてくれないか?私が納得できる、君の『誠意』とやらを。明日もまた来るよ。一晩かけて、じっくり考えておきたまえ」

葛西が店を出た後、岡崎は崩れるように椅子に座り込んだ。

特にこの一ヶ月程、葛西のクレームは常軌を逸していた。

重箱の隅をつつくように文句を付けては、岡崎を長時間拘束する。


警察に相談したのも、一度や二度ではない。

しかし、明確な暴言を吐くわけでも、物を壊すような事もしない。

実際の被害が出ていない以上、警察は「民事不介入で対応出来ない」と一蹴された。


丁寧に対応すればするほど、葛西は「主人の権利」を拡大させ、岡崎を「罪人」として扱う。

もはや、店を開けるのが恐ろしい。スマートフォンの通知音が鳴るだけで、動悸が止まらない。


(……あいつは、謝らせたいんじゃない。僕が壊れるのを、特等席で眺めたいだけなんだ……)

震える手で片付けをしていた岡崎の視界に、一通の手紙が入った。

いつの間に置かれたのか、夜の帳をそのまま封じ込めたような漆黒の封筒。

彼は吸い寄せられるように、その住所へと向かった。

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