第7話 追放命令
追放命令は、紙一枚で通達された。
馬車を降りて間もなく、辺境の役所に立ち寄るよう指示され、そこで渡された文書だった。封蝋は王城のもの。形式だけは、きちんと整っている。
イリスは静かに目を通した。
居住地の指定。行動範囲の制限。爵位の剥奪。王都への立ち入り禁止。王族・貴族との接触制限。財務・行政への関与の禁止。
淡々と、事務的に。
そこには感情も、迷いもない。
「……徹底していますね」
思わず、そう呟いた。
役所の文官は、居心地悪そうに咳払いをする。
「規定どおりです。……殿下の、ご判断で」
その言葉に、イリスは何も返さなかった。
判断。
確かに、判断だろう。彼なりに考え、選び、切り捨てた結果だ。間違っているとは思わない。彼は“彼の立場”として、正しいことをしたのだ。
ただ――
その判断に、彼女の存在が不要になっただけ。
それだけのことだ。
***
文書の最後には、所持品に関する条項が記されていた。
現金は、規定額まで。
私物は、個人で購入したもののみ。
帳簿、記録、王城関連資料の持ち出しは禁止。
イリスは、その一文をしばらく見つめてから、文官に返した。
「確認しました。異議はありません」
文官は、ほっとしたように息を吐く。
「……あの、何かご質問は」
「いいえ」
本当に、なかった。
奪われるものは、すでに分かっていた。だからこそ、彼女は事前に“整理”を終えている。
持ち出さなかったのではない。
**持ち出す必要がなかった**のだ。
***
役所を出ると、集落の人々が遠巻きに様子を窺っていた。
王都から来たというだけで、注目を集める土地だ。ましてや、追放された貴族となれば尚更だろう。
だが、彼らの視線に敵意はなかった。
あるのは、戸惑いと、警戒と、わずかな同情。
年配の男が、恐る恐る声をかけてきた。
「……あんたが、新しく来た人かい?」
「はい。イリスと申します」
「そうか。ここは、あまり豊かじゃない。期待されても困るが……」
「期待はしません」
即答だった。
男は一瞬、きょとんとした表情を浮かべ、それから苦笑する。
「正直だな」
「正直でないと、困るので」
それ以上、会話は続かなかった。
だが、イリスはその短いやり取りに、微かな安堵を覚えていた。
ここでは、役割を押し付けられない。
王太子妃でも、調整者でもない。
ただの一人の人間として、立てる場所だ。
***
夜。
簡素な宿の一室で、イリスは文書を改めて広げていた。
追放命令。
それは、彼女を縛るためのものだ。だが同時に――彼女を王城から切り離す“保証”でもある。
「……これで、正式に終わりましたね」
誰も聞いていないのに、そう口にする。
不思議と、胸は軽かった。
怒りも、悲しみもない。あるのは、静かな確信。
もう、あの城の都合で動くことはない。
彼女は、紙を丁寧に折り、封筒に戻した。
そして、個人用の帳面を開く。
そこには、辺境の地名と、簡単な数字が書き込まれていく。
人口。土地。水源。交易路。
追放命令が、彼女から“奪わなかったもの”が、そこにあった。
考える力。
判断する力。
全体を見る視点。
それらは、どんな命令でも剥奪できない。
***
一方、王城。
同じ追放命令の写しを、王太子レオンハルトは机に叩きつけていた。
「これでいい。これで、完全に終わりだ」
そう言い聞かせるように言う。
だが、胸の奥に引っかかるものがあった。
――彼女は、抵抗しなかった。
――一言も、不満を言わなかった。
それが、なぜか気に障る。
「……何も、持っていかせなかった」
呟いたその言葉が、妙に虚しく響いた。
彼はまだ、理解していない。
本当に恐ろしいのは、**持っていかれたもの**ではなく、
**もう戻らないもの**だということを。
その夜、辺境では静かに灯りがともり、
王都では、また一つ倉庫が閉ざされた。
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