第25話 器を測る者
エリオット・レーンは、辺境に三日滞在した。
大商会の当主のように目立つことはせず、兵のように威圧することもない。ただ市場を歩き、倉庫を見、街道を観察する。
そして、数字を見る。
「……過不足がない」
倉庫の在庫表を前に、小さく呟いた。
増えすぎていない。減りすぎていない。
余裕はあるが、浪費はない。
「中心にするには、ちょうどいい規模だ」
補佐役が眉を寄せる。
「中心に?」
「ええ」
エリオットは穏やかに笑う。
「中心とは、巨大である必要はありません。信頼が集まれば、そこが中心になる」
***
その日の夕刻。
イリスはエリオットと向かい合っていた。
小屋には最低限の灯り。余計な人間はいない。
「あなたは、王国をどうするつもりですか」
前置きもなく、エリオットは問う。
「どう、とは?」
「王都が弱り、国外が動き始めています。あなたは、どこまで関与しますか」
イリスは、少しだけ考えた。
「必要な範囲まで」
「曖昧ですね」
「曖昧でなければ、歪みます」
エリオットは目を細める。
「あなたは、王になる気はない?」
「ありません」
即答だった。
「王とは、名です。私は構造を整えるだけです」
「ですが」
エリオットの声がわずかに低くなる。
「構造を整える者が、最も強い」
沈黙が落ちる。
イリスは静かに答える。
「強さは目的ではありません」
「では、目的は?」
「流れが滞らないこと」
その答えは、一貫していた。
***
エリオットは立ち上がり、窓の外を見た。
兵の焚き火。市場の灯り。荷を運ぶ人影。
「王都は、中心を“固定”しようとしました」
彼は言う。
「あなたは、中心を“流動”させている」
「固定は、脆い」
「流動は、不安定だ」
短い応酬。
「不安定を許容できるかどうかが、王の器です」
その言葉に、イリスは初めてわずかに表情を動かした。
「あなたは、私を王にしたいのですか」
「いいえ」
エリオットは微笑む。
「王に相応しいかを見ているだけです」
空気が、わずかに張り詰める。
「もし、王都が自壊した場合」
彼は続ける。
「あなたは王位を受けますか」
静寂。
イリスは、即答しなかった。
王位は、欲しいものではない。
だが――
放置すれば、国は裂ける。
「……必要であれば」
小さな声だった。
「必要であれば、受けます」
エリオットは、初めて満足げに頷いた。
「それが聞きたかった」
***
一方、王都。
駐屯維持費は限界に近づいていた。
「撤退を検討すべきです」
財務官が言う。
「今なら“再配置”の名目が立ちます」
軍務卿は不満を隠さない。
「撤退は弱さだ」
「継続は破綻です」
言葉がぶつかる。
王太子レオンハルトは、沈黙していた。
机の上には、辺境の報告書。
混乱なし。暴動なし。反乱なし。
――従順だ。
だが、従順であることが、逆に苛立たせる。
「……彼女は何をしている」
誰にともなく呟く。
答えは出ない。
だが、王都内部の空気は変わり始めていた。
剣を抜いたのは王都。
だが、削られているのも王都。
そして今、国外が王国を見始めている。
中心は、王都に固定されたものではない。
それを、最初に理解したのは――
辺境に立つ、名もなき調整者だった。




