第22話 抜かれた剣
決断は、夜のうちに下された。
「辺境へ、駐屯を行う」
王太子レオンハルトの声は、低く、硬かった。
軍務卿が深く頭を下げる。
「規模は?」
「中隊規模。秩序維持と通行監視の名目だ」
名目。
その言葉が、この決定の本質を物語っていた。
武力衝突ではない。だが、圧力だ。
「補給はどうする」
宰相グレゴールが問う。
「王都から出す」
「現在の財政では――」
「短期だ」
レオンハルトは言い切った。
「長期にはならない。辺境が折れれば終わる」
その言葉には、まだ希望が残っていた。
――彼女は、戻るかもしれない。
そんな淡い期待が。
***
三日後。
辺境へ向かう街道に、王国旗を掲げた兵が現れた。
規律正しい足並み。鎧の擦れる音。旗の翻る音。
集落の入口で、人々が立ち止まる。
レティシアが前に出る。
「王国騎士団所属、中隊長ルーカスだ」
先頭の男が名乗る。
「辺境の秩序維持のため、しばらく駐屯する」
言葉は丁寧だが、拒否の余地はない。
レティシアは、目を細める。
「秩序は乱れていない」
「王都の判断だ」
ルーカスの視線が、わずかに揺れる。
彼はレティシアを知っていた。元副団長。
「……命令だ」
その一言で、線が引かれる。
***
その日の夕方。
小屋に集まったのは、長、レティシア、カイン、そしてイリス。
「来ましたね」
カインが静かに言う。
「ええ」
イリスは帳面を開いている。
「維持費の試算は」
カインが問う。
「中隊規模なら、一日あたり食料と燃料でこの程度」
数字を示す。
「王都の現在収支から見ると、三か月が限界です」
レティシアが眉を寄せる。
「三か月も持つのか」
「理論上は」
イリスは淡々と答える。
「ですが――」
「ですが?」
「兵がいることで、商人は動きを変えます」
カインが頷く。
「流れは重くなる」
「ええ」
「そして、王都の税収はさらに落ちる」
静かな結論だった。
レティシアが、拳を握る。
「だが、兵がいる限り威圧にはなる」
「短期的には」
イリスは視線を上げる。
「ですが、兵が長くいればいるほど、“ここは戦場かもしれない”と商人は判断します」
カインが続ける。
「そうなれば、完全に王都を捨てる者も出る」
沈黙。
王都は威圧のつもりで剣を抜いた。
だが、その刃は両刃だ。
***
翌日。
駐屯地が設けられ、兵が街道を監視する。
表向きは穏やかだ。
だが、空気は変わった。
商人たちは護衛を増やし、通行を慎重にする。小さな取引が減る。
フィオナが、帳面を見つめている。
「……遅い」
「何がですか」
「回るのが、少し遅い」
イリスは頷く。
「ええ。兵は流れを重くします」
その時、長が入ってくる。
「兵が、倉庫の検査をしたいと言っている」
レティシアが立ち上がる。
「名目は?」
「安全確認だと」
カインが小さく笑う。
「始まりましたね」
イリスは立ち上がる。
「拒否はしません」
「いいのか」
「拒否すれば、対立になります」
彼女は静かに言う。
「ですが――」
視線が鋭くなる。
「検査の時間を、正確に記録します」
レティシアが理解する。
「遅延の証拠を残すのか」
「ええ」
「そして?」
「数字にします」
剣に対抗するのは、怒りではない。
損失だ。
***
夜。
王城に報告が届く。
「駐屯は問題なく進行しています」
軍務卿が言う。
「辺境側の抵抗は?」
「ありません」
レオンハルトは、わずかに安堵する。
だが宰相は、報告書の端を指で叩いた。
「商人の通行量が、微減しています」
「微減だろう」
「はい。ですが――」
宰相は静かに言う。
「王都側も、同じ割合で減っています」
その意味を理解するまで、数秒かかった。
剣を抜いたことで、流れはさらに細くなった。
そしてその細さは、王都にも跳ね返っている。
レオンハルトは、拳を握る。
もう、抜いた。
戻せば弱さになる。
進めば、削れる。
剣は、鞘に戻らない。
そして辺境では――
イリスが、静かに帳面を閉じた。
「三か月は、持ちませんね」
彼女の声は、冷静だった。
剣は抜かれた。
だが戦場は、まだ数字の上にある。




