第18話 選ばれる側
辺境の朝は、相変わらず静かだった。
だがその日、地平線の向こうに立ち上る砂煙だけが、いつもと違っていた。
「……多いな」
見張り台に立っていた青年が、目を細める。
荷馬車は一台や二台ではない。十を超える列が、ゆっくりと街道を進んでくる。積まれた荷の量も質も、これまでとは明らかに違った。
集落にざわめきが広がる。
レティシアは即座に状況を確認し、自然と集落入口へ立った。剣は抜かないが、手は届く位置にある。
「商人だな」
その声には、警戒と同時に期待も混じっていた。
***
荷馬車の列が止まり、一人の男が降り立つ。
三十代後半。落ち着いた身なり。派手さはないが、質の良い外套。動きに無駄がない。
「王都経由ではない」
レティシアが低く言う。
男は軽く一礼した。
「初めまして。私はヴァイスハルト商会の代理として参りました」
その名に、周囲がどよめく。
ヴァイスハルト商会。王都でも有数の大商会だ。
男は続ける。
「ここが、最近“回っている場所”と聞きまして」
その視線が、自然とイリスに向く。
イリスは一歩前に出た。
「歓迎します。条件を伺います」
男は、ほんのわずかに口角を上げる。
「噂どおり、ですね」
***
提示された条件は、これまでよりも規模が大きかった。
鉄製農具の安定供給。塩の大量搬入。乾物と布の交換。さらに、近隣小都市への再流通を見越した量。
集落にとっては、魅力的だが――同時に重い。
「……受けるか?」
長が低く問う。
レティシアは小声で言う。
「断る理由はないだろう」
だがイリスは、すぐに答えなかった。
提示された数量。運搬経路。支払い条件。集落の現在の生産力。
頭の中で、数字が並ぶ。
増やせば、確かに利益は出る。
だが、急拡大は歪みを生む。
「条件を一つ、変更したい」
静かに言った。
商人は、目を細める。
「どの点を?」
「量を、三割減らしてください」
周囲が驚く。
「何故です?」
「今の流れを崩したくありません」
イリスは続ける。
「急に量を増やせば、管理が追いつきません。人も、倉庫も、水も。続きません」
商人は黙って聞いている。
「利益は減りますよ?」
「続かなければ、意味がありません」
即答だった。
レティシアは横で息を呑む。
これは“取りにいく”場面だと思っていた。
だが、彼女は“取らない”。
商人は、しばらく沈黙した後、静かに笑った。
「理解しました」
あっさりと頷く。
「三割減で、継続契約としましょう」
長が、思わず問い返す。
「それで、商会は利益が出るのか」
「出ます」
商人は迷いなく答える。
「無理をしない相手と長く取引する方が、結果的に利益は安定します」
その言葉に、空気が変わる。
これは試しだった。
利益に飛びつくかどうか。
イリスは、選ばれる側の基準を理解していた。
***
契約は成立した。
荷が下ろされ、倉庫へ運ばれる。だが慌ただしさはない。イリスが量を絞ったことで、作業は自然な流れのまま進んでいる。
フィオナが帳面を覗き込む。
「……増えすぎないように、してるの?」
「ええ」
「なんで?」
「溢れると、こぼれます」
フィオナは小さく頷いた。
「こぼれると、減る」
「そうです」
レティシアは、少し離れた場所で腕を組んでいる。
「……戦じゃない」
ぽつりと呟く。
「これは、根を張る動きだ」
イリスは聞こえていないふりをした。
***
荷馬車が去る頃には、集落の空気は明らかに変わっていた。
不安ではない。
期待でもない。
**選ばれた**という自覚だ。
イリスは空を見上げる。
王都は、まだ大きい。
だが、大きさだけでは中心にはなれない。
中心とは、流れが集まり、また流れていく場所。
ここは今、その条件を満たし始めている。
そして、選ぶ側ではなく――
**選ばれる側へと、立場が変わった。**
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