第17話 王都の焦燥
王城の回廊は、以前よりも静かだった。
人が減ったわけではない。だが、足音が軽くない。書類を抱えた文官たちの顔には余裕がなく、衛兵の視線は落ち着かず、侍女たちの会話も小声で途切れる。
焦燥は、音を消す。
***
王太子レオンハルトは、執務室の窓辺に立っていた。
眼下に広がる王都は、まだ壮麗だ。塔はそびえ、城壁は揺るがない。だが、彼には分かる。街の“呼吸”が浅くなっている。
「……またか」
机の上に置かれた報告書を、乱暴にめくる。
南方の商会が、王都への供給を縮小。
北門の倉庫、備蓄三割減。
軍需品の到着遅延。
「制裁を出せ」
低く命じる。
控えていた宰相グレゴールは、すぐには答えなかった。
「商人ギルドへの圧力は、逆効果です」
「逆効果だと?」
「彼らはすでに、王都以外の拠点を確保しています」
レオンハルトの眉が寄る。
「……辺境か」
その名を口にするのに、わずかな抵抗があった。
グレゴールは頷く。
「正式な自治宣言はありません。しかし、交易量は明らかに増えています」
「誰が動かしている」
問いは、半ば自問だった。
宰相は静かに答える。
「中心は見えません。ですが、判断の速度と整合性から見て――同一の思考です」
その言葉は、遠回しな肯定だった。
レオンハルトは、机に拳を落とす。
「なぜだ。なぜ、あの地味な女がいなくなった程度で!」
声は荒い。だが、その奥には焦りが混じっていた。
地味。無能。華がない。
自分が貼ったはずの評価が、今になって不安定に揺らぐ。
「殿下」
グレゴールは、落ち着いた声で言う。
「問題は“彼女がいないこと”ではありません」
「何だと?」
「“彼女のように考える者がいないこと”です」
言葉が、刃のように落ちる。
レオンハルトは反論しようとして、口を閉じた。
事実だった。
会議は増えた。議論も増えた。だが、結論が出ない。決めても、繋がらない。部分は整うが、全体が歪む。
それは、以前は起きなかったことだ。
***
軍務局では、別の火種が燻っていた。
「補給が遅れている?」
若い将校が声を上げる。
「訓練日程に支障が出る」
「一時的なものだ」
上官はそう言い切るが、目は泳いでいる。
兵士たちはまだ知らない。だが、兵站の遅れはやがて戦力に直結する。
レティシアの元部下である若い騎士が、窓の外を見ながら呟いた。
「……副団長なら、どうしただろうな」
答えは返らない。
***
その夜。
王太子の執務室に、一通の非公式書簡が届けられた。
差出人は、大商会の一つ。王都を長年支えてきた家だ。
内容は簡潔だった。
――今後、交易の一部を新拠点へ移行する。
新拠点。
その名は明記されていない。
だが、誰もが理解していた。
レオンハルトは書簡を握りしめる。
「裏切りだ」
吐き捨てるように言う。
グレゴールは首を横に振った。
「いいえ。合理です」
商人は、感情で動かない。
回る場所を選ぶ。
王都は、選ばれなくなりつつある。
「……呼び戻せばいい」
ふいに、レオンハルトが言った。
自分でも驚くほど、小さな声だった。
「何をですか」
「……あの女を」
沈黙。
グレゴールは、ゆっくりと答える。
「殿下が、そうお命じになるなら、使者は出せます」
「……」
「ですが」
わずかな間を置く。
「戻る理由が、彼女にあるでしょうか」
その問いは、王太子の胸に重く落ちた。
理由。
かつては、王太子妃の座が理由だった。
だが今、その座は彼女を拒絶した。
拒絶したのは、自分だ。
***
王都の夜は、以前よりも暗い。
灯りはまだある。だが、どこか薄い。
窓の外を見つめながら、レオンハルトは初めて実感する。
これは一時の混乱ではない。
中心が、ずれている。
そしてその中心は、自分の手の届かない場所へ――
静かに、遠ざかっている。
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