第16話 戻れない距離
決断は、静かな場所で下された。
王都でも、辺境でもない。
その中間に位置する、古い宿場町の一室でのことだった。
***
商人ギルドの代表たちは、円卓を囲んでいた。
誰も声を荒げない。誰も感情を前に出さない。
ここに集まっているのは、感情で商売をする者ではなかったからだ。
「王都への供給は、今後も不安定だろう」
一人が言う。
「改善の兆しは?」
「ない。対策は場当たり的だ。責任の所在も曖昧」
別の男が、淡々と資料を閉じた。
「……だが、辺境は?」
その問いに、数人が視線を上げる。
「安定している」
「量は少ないが、約束が守られる」
「何より――判断が早い」
その“判断”の主体について、誰も名を出さなかった。
出す必要がないからだ。
「王都を切るのか?」
沈黙。
そして、最年長の商人が口を開いた。
「切るのではない。優先順位を変えるだけだ」
それは、商人にとって最も冷静で、最も残酷な答えだった。
「中心は、常に“回っている場所”に移る」
誰も反論しなかった。
それが、現実だったからだ。
***
数日後。
辺境の集落に、見慣れない荷馬車が入ってきた。
数は少ない。だが、積まれている荷は質が良い。塩、鉄製品、保存の利く乾物。
人々がざわめく。
「……商人だ」
「王都を通っていないぞ」
集落の長が対応に出る。
「誰に話を通せばいい?」
商人は少し考え、答えた。
「判断できる人に」
その言葉が、波紋を広げる。
人々の視線が、自然と一方向に集まる。
イリスは、その空気を感じ取り、一歩前に出た。
「条件を伺います」
商人は彼女を見て、わずかに目を細めた。
「……あなたが?」
「いいえ」
イリスは、はっきりと言った。
「私は、条件を整理するだけです。決めるのは、この集落です」
商人は、一瞬だけ驚いた顔をした。
そして、静かに笑った。
「なるほど。噂どおりだ」
噂。
まだ、広まるほどのものではない。だが、確かに届いている。
「では、話そう」
商人は条件を提示する。
無理のない量。継続前提。支払いは現物と労力の一部。
誰もが理解できる、現実的な取引だった。
集落の長が、イリスを見る。
イリスは、小さく頷く。
それだけで、十分だった。
***
同じ頃。
王城では、別の報告書が机に置かれていた。
「……辺境が、交易拠点に?」
王太子レオンハルトは、信じられないという表情で紙を見つめていた。
「正式な宣言はありません。しかし、商人たちが……」
「なぜだ!」
怒鳴り声が、会議室に響く。
「なぜ、王都を差し置いて!」
宰相グレゴールは、ゆっくりと答えた。
「差し置いたのではありません」
「何だと?」
「王都が、“選ばれなくなった”のです」
その言葉は、刃よりも鋭かった。
レオンハルトは、何も言えなくなる。
彼の脳裏に浮かぶのは、一人の女の姿。
何も言わず、何も奪わず、ただ去っていった存在。
「……まだ、間に合うのか」
呟きは、かすれていた。
宰相は、静かに首を横に振る。
「距離が、できてしまいました」
「距離?」
「ええ」
彼は、窓の外を見た。
「物理的な距離ではありません。判断と信頼の距離です」
それは、一度開くと戻らない。
***
夕暮れの辺境。
イリスは、集落の外れで荷馬車が去っていくのを見送っていた。
誰かに呼ばれることもない。
称賛も、感謝もない。
それでいい。
重要なのは、ここが“選ばれた”という事実だ。
フィオナが、隣で小さく呟く。
「……王都、遠いね」
イリスは、微笑んだ。
「ええ。もう、遠いですね」
それは、距離の話ではない。
考え方の距離。
選択の距離。
戻らない距離。
この瞬間をもって、物語ははっきりと変わった。
これはもう、
“追放された元婚約者が戻る話”ではない。
**新しい中心が、静かに世界を引き寄せていく物語**だ。
その第一章は、すでに終わっている。
そして今――
第二章もまた、確かに幕を下ろした。




