52話 ぽこのお暇②
翌朝、ぽこはいなくなった。
食卓の上に、両手ほどの大きな枯葉が置いてあった。
『暫く、お暇を頂きます。ぽこ』
流麗な文字に驚いてしまう。
お暇ってどういうことだ?
暫くっていつまでのことだろうか?
出て行ったわけではないだろう。戻ってくるつもりだから、置手紙があったわけで。
思い当たるのは、昨夜の事件しかない。
何度思い返しても、どっちが悪いわけでもない。
どうしようもないことが乗り越えられず、別れる恋人たちもいる。
恋人たち?
己の内声にため息をつき、顔を振る。
置手紙から受けた衝撃が強くて、理解が追いつかない。
ぽこのお気に入りの羊毛の防寒着はなかった。
玄関を出て家の周りを探し、河原も探すがいない。
この寒い中、どこに行っちまったんだ?
実家には戻れないと言っていた。
ジョアンだろうか?
調子がいいが、やることはやるし、積極的で、何よりぽこを好いている。
ぽこさえよければ、いつだってかっさらっていくだろう。
日課の水くみをしながら、そこまで考えて、苛立ちをため息で逃がした。
ぽこはそんな女じゃないはずだ。
朝、何を食ったのかわからないまま雪下ろしの仕事に出かける。
考えまいと思っても、一日の間に、何度も考えてしまう。
仕事中も、クエスト褒賞を貰って銀貨を数える間も。
そして、結論に達した。
腹が減ったら帰ってくるだろう。旨い飯でも作っておくとするか。
ぽこはあんなだが食いしん坊だ。きっと腹を空かせて帰ってくるに違いない。
メニューを考え、ぽこに最初に作ってもらった、きのこのスープに小麦粉の練ったのを落としたやつを作った。
日が暮れても、ぽこは帰ってこなかった。
一人で食べると、うまい料理も味気なく、何より静かすぎた。
玄関扉の鍵を開けたまま、一人で二階のベッドで寝る。
あんなに悩まされていたベッド問題だが、やはりたぬきのぽこがいなければ寒い。
寝ているときにぽこを抱きようせようとして空振りして目が醒める。
いてもいなくても、夜中に起きるのなら、いた方が断然いい。
文句の一つだって言ってやれるのに、どこ行っちまったんだ?
次の日は、朝も夕も昨日の残りを食べた。その翌日もぽこの好きな豚肉の煮込みを作ったのに帰ってこず、また二日かかって食べた。
晩秋に塩漬け肉を作ったとき、俺は、ぽこが途中でいなくなっても仕方ないと思いながら作ったと思い出した。
ついこの間まで、独り身を気楽でいいと言っていたのに、弱くなったと自覚する。
五日目の夕方は、飲みに出ることにした。
どうせ帰ってこないのなら、飲んでも同じだ。
くよくよしてたって、なるようにしかならない。
一人で酒場に入れば、先に来ていた八百屋の親父に一人で来たことを指摘された。
適当に返事をし、最初っからヴァダーを頼み、早いピッチで杯を開ける。
宿屋の丁稚が使いに来たついでにタルトを一切れ注文して、立ったまま食べ始めた。
「ほぉ、上等な酒を仕入れるじゃねぇか」
「気前のいい客が泊ってるんだ」
まだ少年の域を脱していない丁稚は、口いっぱいにタルトを頬張りながら返事する。使いに出された駄賃で買い食いしているのだろう。
酒場の主人が奥から出してきた酒を持って丁稚はすぐに帰った。入れ違いに、違う客が入ってくる。
その内、常連が揃い、いい具合に酒がまわり始めた。
「お暇をもらうって何だぁ?」
うっかり漏らした言葉に、八百屋の親父も、肉屋も粉屋も、酒場の主人さえもため息をついた。
「ベテランさん、何しでかしたの?」
むしろ、何もしてないんですが。
「おっかないねぇ」
あぁ、本当に女ってのはおっかない。
「迎えに行った方が後々楽だよ」
迎えに行くってどこへ?
「不満があるってことさ。そういやベテランさん、宿り木は」
「帰る!」
席を立ち、勘定を支払って外に出た。
元を正せば、押しかけ女房ならぬ、押しかけたぬき。
たぬきなのが問題で、たぬきだからこそのもふみは唯一無二で、だとすればたぬきであるからこそ良いわけで。
ぽこの手触りを思い出し、また悪態をつきながら帰途につく。
家に灯りはなく、暗闇の中手探りで二階へ上がる。
ぽこを呼ぶ。
返事はなかった。





