91話 ぽこと別れの挨拶
「この仕事謹んでお受けいたします」
いつもは厳めしい表情のクエスト屋所長が、何度も頷く。
「良かった! ようやく一歩踏み出せたな!」
痛いくらいに背中を叩かれ、クエスト屋所長の湿った声に反省した。
あぁ、この人は俺を大切に育ててくれたのだ。
十年という長すぎる年月、苦しんでいたのは己だけではなかったと知る。
「あぁ、今日はいい日だ!」
クエスト屋所長は何度も同じことを繰り返し、天井を見る。
そんなの見せられたら、こっちまで湿っぽくなってしまう。
「はい。ぽこと二人で、まぁなんとかやります」
昨日は余所余所しかったぽこだが、今日はずっと腕にくっついている。
いつもなら振り払うが、今日はされるがままだ。
昨日とは違った意味で咳払いされる。
「あの家はどうするつもりだ?」
「それなんですが、落ち着いてから考えようと思っています」
「まぁ、焦らずともいいわな」
冒険者はクエスト屋に資産を預けることができ、遠く離れたところからも家の売買ができる。気心のしれたこの親父になら安心して任せられるだろう。
「いつ出る?」
「来週には」
「エミリアの護衛を依頼しよう。二人の乗合馬車の代金は俺がクエスト代として出す」
「ありがたく頂戴致します」
護衛任務としては破格の高値だ。
俺とぽこだけなら、徒歩で行くつもりだった。
クエスト屋所長の餞別なのだろう。
❄
その後、市場の馴染みの店へ挨拶に回った。
「新婚旅行だと思って気楽にやるといいよ」
「増築したってのに、大変だねぇ。まぁ、勝負ところってわけね」
粉屋の夫婦に礼をし、ぽこは最後の籠を奥さんに売った。
「こんなに⁉ 頂けません」
手の中の籠代を見たぽこが慌てるが、奥さんは、ぽこを抱きしめる。
「馬鹿をお言い! これはね、あんたがベテランさんを見限って、インマーグに帰ってくるときに必要なもんだよ。いいかい? これはあんたが持っておくんだ」
粉屋の奥さんが、ぽこの肩越しに俺を睨みつける。
「泣かせたら承知しないよ」とでも言いたげで、ぽこの母親のようなつもりだったのだろう。
ぽこは、粉屋の奥さんに何度も礼を言った。
クエスト屋所長も粉屋の奥さんも、金をくれたわけだが、こんなことは例外だ。
二人揃って歩き出した後で、頬を濡らしたぽこの手を繋いだ。
俺の腕に半身を隠すようにして歩く。
「別れがこんな寂しいなんて思っていませんでした」
「大事にしてもらってたのが改めて実感できるな」
頷いたぽこの額が腕に当たる。
「やっぱりインマーグに残りたかったら、いつでも言ってくれ」
「それは大丈夫です」
即答だが涙声だ。
立ち止まり、道路の端に寄ってから抱き寄せる。
「ふわっ⁉ だっ旦那様、人前ですよ?」
「少し時間があるから、ゆっくり心の準備をしよう」
「……はい」
俺は薄情な人付き合いしかしてこなかったが、ぽこはそうではない。
家出をした後、必死に自分の居場所を作ってきたのかもしれない。
ぽこが落ち着くまで、暫くそのままぽこの柔らかさを堪能する。
もう離すつもりはない。
家出したばかりのぽこが落ち着くのを待っている間に、育ってしまった己のエゴを、受け入れることにした。
突然変わった俺の態度に、ぽこが戸惑っていて、その反応も楽しめる。
「息が……」
もがくぽこを離すと、真っ赤な顔で恥ずかしがっている。
自分からしてくる分にはいいのに、俺からされると照れ臭いとはどういうことか。
「こんなの誰かに見られたら何て言われるか」
火照った顔を冷ますためか、両手で顔を仰ぎ、進行方向を見た。
八百屋の娘が、口を開けて俺たちを見ていることにぽこが気づいた。
「アンナ! こっこれは違うの!」
「ちょっとちょっと! 突然進んだって感じ? アンナ姉さんに話してごらんなさいよ~」
連れ去られるぽこを見送って、八百屋の主人に挨拶した。





