88話 ぽことたぬき癖①
「いいですよ。話しましょう」
ぽこは、熊の敷物に直に座った。俺も向かい合うように胡坐をかく。
「どこから話したものやら」
言葉で隙間を埋めねば、話し合いすら中断しそうな無言の圧に、顎髭を撫でる。
「まずは、ぽこの誕生日のお祝いを台無しにしてすまなかった」
頭を下げ、たっぷり時間を取った後、頭を上げる。
「いいですよ。ぽこももういい歳になりましたから、結婚の見込みのある男へ嫁いだ方が、ぽこのためになると思ってくださったんですもんね」
その通りだが、そうではない。
何を俺は話し合おうとしたのだろうか。
ここで俺が、ぽこに一緒にいて欲しいと頼むとする。
それで、王都に連れて行くのだろうか?
中央での仕事を受けるかどうか、打診後に考えた。そして、手紙が来たら、ぽこと相談がしたかった。
だが、今の状況ではとても、相談どころではない。
事情が複雑に絡み合い、一言ではとても言えない。
「嫌味を言うのはやめてくれ。俺は話し合いがしたい」
「一方的に別れ話をされたのに、話し合い?」
「誤解だ」
ぽこが顔を傾げる。
「あぁ、いや。わからん。自信がない。話し合っても、結局別れ話になるのかもしれん」
ため息をついて、頭を抱える。
「ぽこは、最後まで話を聞けばいいんですね?」
いつもの優しい声に、顔を上げた。ぽこの顔を見たら、寂しそうにほほ笑んでいる。
ぽこには、目的を果たす実行力に、煮え切らない俺を待てる気の長さがある。その上、レナのどんぐりのブレスレットを許してから、心まで広くなったようだ。
「俺が煮え切らないのは、幾つも理由がある」
「人間とたぬきですし」
ぽこの言葉に頷く。
「俺は、たぬきの暮らしを知らんから、ぽこがどのくらい我慢して、人間の生活に馴染もうとしているのか、想像もできない」
ぽこの我慢強さは折り紙付きで、爆発したら家出をする程とも知っている。
「大したことないですよ」
「俺が知りたい」
「何を話せばいいのか――」
「今まで話さなかったのは、話したくなかったからだと思っていたが、どうだい?」
「家出娘としては、そうですね」
ぽこが頷いた。
「俺には聞く準備があると知っていてくれたら、それでいい」
「私が人間になる話は、断固拒否なんですね?」
腕組みをして、ぽこをじっと見る。
「お話を聞く番でしたね」
ぽこの準備ができたところで、次の話だ。
「俺には、物心ついたときには爺さんしかいなかったから、家族ってもんも知らん。だから、ぽこを家族から奪っていいのかもわからん」
ぽこが、俺の背後に視線を移した。暖炉の灰を見ているのだろう。
昨日燃やしてしまった上蓋は、灰となったが、一部形を残している。
「ぽこがたぬきなのは問題じゃあない。子を成せずに、それで互いの幸せを失くすのが嫌なんだ」
「旦那様も、子供が欲しいですか?」
「正直分からん。家族を知らんからな。だから、自分のことより、ぽこの希望を叶えたい」
「私は、何度も考えました。ぽこの理想の家庭には子供がいて欲しいです」
「なら、俺も欲しい」
「種族変更の古の薬は必須になりますね」
「あぁそうだ。これはレナに提案されたんだが、ぽこが人間にならなくても、俺がたぬきになるっていう案もある」
ぽこが暫く黙った。
「それは、実は私も考えたことがあります。旦那様が私にたぬきでいて欲しいって言った後です。でも、私はたぬきの里を出てますから、その案はないと思ってます」
俺がたぬきになるのなら、たぬきの文化をより知ることで判断つくと思っていた。
「私が旦那様にたぬきになって欲しくないのと、旦那様が私に人間になって欲しくないのは、似てますね」
「そうだな」
互いを思いやって、一歩踏み出す方向がずれている。
意外だった。ぽこは、どんな手でも使うのかと思っていた。
ぽこが、また遠い目をした。暖炉で薪が爆ぜる音がする。
「ぽこは、旦那様に夢中です」
気付いたら、ぽこが俺をまっすぐに見上げていた。
「最初は優しいところや、ぽこの意見を尊重してくれるところが好きでした」
七日後に出て行くと言われたまま撤回されておらず、この話がどこに続くのか分からない。
「旦那様にしてもらえる優しいことを、全部お返ししたくて、料理をしたり、仕事について行ったりしても、かなわないんです。旦那様の思いやりは深くて、底も広さも見えません。何をしても、笑顔でいいよって言ってくれるのが嬉しくて、寂しいです」
「ぽこは頑張りすぎだ」
「ぽこにできることは何でもしたい」
「十分してもらっている」
「ぽこは、旦那様のことを思うと、胸が苦しいです。好きなのに苦しいんです。これっておかしなことですか? 旦那様がズルしてるから苦しいんでしょうか?」
「ズルをしたくないから、お前さんに正直に話して、相談したかったのさ。それでこんな話になっちまってよ。相談するのもズルかもしれんがね」
ぽこが顔を傾げる。
「苦しいのは、何か理想と現実に違いがあるからかもしれん。俺はぽこの理想とは違うだろう?」
理想と現実の差に気が付いたとき、恋から醒めるのかもしれない。
頼りがいのある年上の男が、煮え切らないズルい男だと気がついたときとか。
「いいえ。それを言うなら、ぽこが理想のぽことは違います」
理想のぽこが何なのか聞かずともわかる。
何と言えば、ぽこに俺の気持ちが通じるだろう。
「人間でなくたって――」
熊の敷物の上で向かい合ったままのぽこを、力任せに抱き寄せた。
動けずに固まったぽこの顎を、右手で上に向けさせる。
何か言おうとした唇を塞いだ。





