86話 ぽこと誕生日会②
「あぁ、ぽことの結婚のことを考えていた」
「えっ⁉ まっ待ってください! 私、心の準備が!」
「いい話しじゃあないんだ」
ぽこの顔が一瞬で真っ赤になり、次に蒼白になった。
「俺はぽこに幸せになって欲しい。子供も欲しいんだろう?」
つい先刻、子だぬきの愛らしさを語ったばかりのぽこは、否定せずに下を向いた。
「だから、古の薬を」
「ご家族と仲たがいしたままでいいのかい?」
「人間になれば、もうたぬき界には戻れませんから、同じことですよ」
何度目か聞いた返事だ。ぽこは変わらない。
意固地になって、成果を求める。それはぽこらしいと思う。魚釣りもそうだった。
それがいいように転ぶときもあれば、そうでないときもある。
「それを後悔しないと言えるのは、ぽこが若いからだ」
俺がたぬきになる話は、今は言うつもりは全くない。
自分の気持ちの整理がついて、ぽこに準備ができてから相談するつもりだ。
「俺だってぽこと一緒にいたい。でもな、それ以上にはっきりしているのは、ぽこに人間になって欲しくないってことだ。たぬきのままで幸せになっ」
「旦那様は酷いです!」
ぽこの鋭い声に、最後まで言えずに言葉を飲み込む。
目の前のぽこは、大きな丸い目からとめどなく涙を流し、唇を噛んでいた。
「誕生日だからって、抱きしめてくれて、とびきりのご馳走も食べさせてくれたのに!」
自分の思考に夢中になり、それを説明するために、今日の趣旨を失念していた。
後悔が押し寄せるが、遅い。
「ぽこに幸せになって欲しいから、手放すんですか? 一緒にいたいとか、バディだとか言ってるのに、旦那様はご自分の何かを守るために、私を遠ざけるんですね」
ぽこが、熊の敷物まで走り、黒い箱を持った。
「こんな物!」
暖炉へ向かって勢いよく放り投げ、空中で重さのある内箱が外れて落下する。
蓋だけが、狙い通り暖炉の火にくべられた。
落ちた内箱と布の巻物を拾って投げるのを、抱きついて食い止める。
背後では、新しい燃料に炎が燃え移り、火の粉を上げている音がする。
「ぽこ、それはいけない」
ぽこの父親は、遠く離れてしまった娘を想い、苦労しないようにこれを贈ったはずだ。
俺の短慮で、二人の間にある深い愛情の証を台無しにしてしまいそうで、焦る。
「歳の差? 種族差? それに身分差ですか? これを見て、そう思ったんでしょう⁉」
「その通りだ」
「だから、いらなかったのに!」
怒りに震えるぽこの身体は力が入り、腕の筋が浮き彫りになるほど箱と布を掴んでいる。
なるべく優しい手つきで二つを取り上げると、ぽこは抵抗しなかった。
布の手触りは、ぽこの頬のように滑らかだった。触ると冷やっこいのに、すぐに温かくなる。この世の物とは思えない。
「旦那様は、私が実家に捨てて来たものをほじくりかえして、私を突き放すんですね」
力を抜いたぽこを恐る恐る離したら、涙を溜めた瞳で睨まれた。
突き放してなどいないと言いかけて、ズルいと言われたことを思い出す。
何も言えない。
ぽこが鼻水を啜る。
「今すぐ出て行きましょうか? それとも、荷物をまとめる時間をくれますか?」
「……一緒にいてくれ」
絞り出した本音を聞いて、ぽこがため息をつく。こんな冷たい声を聞いたのも初めてだ。
ぽこを抱きしめたままの姿勢で、どうしようもなく、床を見たら、自分の膝が見えた。
家着のズボンでさえ、補強の当て布がされている。
失いたくない。
「いいですよ」
快諾に顔をあげてぽこを見た。
にっこり笑顔が張り付いているが、目が怒りの炎に燃えている。
「ただし七日で出て行きます」





