48話 ぽこと釣り
朝目覚め、腕の中のぽこがくぅくぅ寝息を立てているのを眺めるのが習慣になっている。
少し前までは目覚める度に、過去の失敗を悔やんでいた。今とは大違いだ。
身動ぎもしていないのに、ぽこがすぐに目を覚ましてしまうのは、何故だろうか。
たぬき姿のぽこが、布団の中で大きく伸びをし、腕から這い出て、俺のたぬき寝入りを見る。
軽い四つ足の音がして、階下に降りて行き、奇妙な爆発音が聞こえてから、俺はゆっくり起き出すのがいつものパターンだ。
「おはよう。ぽこ」
「おはようございます。旦那様」
ぽこが火を起こし、昨夜の残り物で朝食を用意してくれている間に、俺は井戸から水瓶に水を汲む。
朝食を取りながら、今日の予定を確認する。
「昨日から今朝にかけては、雪はあまり降らなかったから、今日は雪下ろしはないだろう」
雪が多い地域だから、冬になると滅多と外部から人は来ない。新人冒険者どころか、冒険者も来ないが、身体は、なまるどころか引き締まる。
降雪のない晴れ間は貴重だ。
「肉も食い飽きてきたし、今日は一緒に魚釣りに行かないか?」
「魚⁉」
「あぁ、そこの川だが」
近所を流れる川は、真冬でも凍らず、そのままインマーグの街へと流れる。
「いいですね!」
食器を片付けたら、早速納屋から釣り竿を出して、いつもの河原に向かった。
疑似餌を入れてある箱を開けたら、ぽこは悩んだ末に派手な色の疑似餌を選んだ。
慣れた手つきで釣り糸を手繰り、ポイントを探っているから、魚釣りには腕に覚えがあるらしい。
ぽこと暮らしてわかるが、たぬきというのは、案外人間を真似て生活しているのだろう。
簡易椅子に座り、近くで焚火を起こして、火にあたりながら釣りをする。
暫くすると、ぽこが早速中くらいの鱒を一匹吊り上げた。
「上手だな」
「まだまだですよ」
平らな胸を反らして、ぽこが喜び、また疑似餌を投げた。
手首を使ってフックし、強弱をつけて魚を誘っている。
大したもんだ。
家に戻り、コーヒー豆と水を持って来て、焚火でコーヒーを淹れる。
「それ何ですか?」
ぽこがいつのまにか隣にいた。鼻をひくつかせている。
「これは外国の飲み物で、コーヒーという」
「すごくいい香りがしますよ」
「だろう?」
ぽこの分を手渡し、自分は簡易椅子に座って釣りを始める。
俺の左側には、ぽこが釣った鱒が三匹ある。俺の魚はゼロだ。
「旦那様、ちっとも釣れてないじゃないですか」
「んー? あぁ」
釣り竿を膝で挟んで、コーヒーを啜る。
ぽこが呆れたような顔をした。
「魚……食べたいわけじゃなかったんですね?」
「釣れるかもしれない。釣れないかもしれない。成果なんて大したことではない」
釣り竿で糸を垂らしているだけなのだから、釣れるわけはない。
ぽこは、俺に釣るつもりがないのが分かったらしい。
「釣らないのに、釣りに来て楽しいですか?」
「ぽこは楽しそうだ」
「釣りも兄仕込みですよ。それに、美味しいですしね。フライとか」
「香草焼きもいい」
「いいですねぇ! 小麦粉をつけて、外はかりっと、中はじゅわっと焼くのが好きです」
「堪らんね。頑張って釣ってくれぃ」
「もう! ぽこばっかり頑張ってるじゃないですか」
ようやくぽこがコーヒーを啜った。
この寒さの中だ、俺の感覚ではすっかり冷めているが、ぽこには飲みごろらしい。
「苦いです」
「そう言うと思ったさ。ほら」
婦人会で出されて、食べきれずに持ち帰った菓子をポケットから出してやる。
クッキーを齧って、またコーヒーを啜り、ようやくぽこが笑顔になる。
「最高です」
「だなぁ」
川のせせらぎの音を聞き、陽光が川に反射して美しい。希少なコーヒーを鼻と口で楽しむ。そして、仕事は休みだ。
これ以上の贅沢はない。
「俺は釣りが好きでね」
ぽこが片方の眉を上げて俺を見上げた。
疑っているらしい。
釣り竿は握っているだけだし、一匹も釣っていない。
ぽこは何も言わなかったが、疑似餌や釣り竿の種類だって、釣り好きとはとても言えない品ぞろえだ。
「晴れた日に、日光浴をしながら、何もしないっていうのがいいのさ」
「釣り、してますよね?」
「釣りをしてりゃ、何をしてるのかとか、何をしていたとか、とやかく言われないところがいいのさ」
ぽこが笑った。
「時間を贅沢に使うってことですね」
ありがたいことに理解してもらえ、それが嬉しい。
「昨日は、籠編みは捗ったのかい?」
ぽこの顔が赤くなったように見えるが、コーヒーは冷めているはずで、理由がわからない。
「いいえ、ちっとも」
「そうか。それで、大丈夫だった?」
「心配してくれたんですね。ありがとうございます」
商工会議所から出てきたときの様子から、心配するようなことはなかったのだと分かってはいたが、いつもなら何でも報告してくれるぽこが、珍しく何も言わないので、心配してしまう。
「籠編みと称した、何もしないを楽しむ会とでもいいましょうか」
俺の釣りにかけた言い方がおかしくて、唇の端が上がる。
「そうか。ならいいんだ」
御婦人方を外で待っていた子供たちに掴まって、いい標的になっていたが、この辺りの子供たちは、皆寒さに負けず元気だ。
歩けるようになったばかりの子でも、一丁前に参加して、子供たちの誰かしらが面倒をみる。
そういえば、婦人会の中にもお腹の大きな奥さんがいたが、この雪の中、婦人会のお喋りに参加するのだから、元気だ。
ぽこの腹を見てふと、考えた。
俺と本当に結婚して、もし子供ができたら、ぽこの腹も大きくなるのだろうか。
ぽこは働き者だから、仕事量を減らすのに苦労しそうだ。
そして、大いなる疑問が浮かんだ。
「あのよ。俺とぽこに子供ができたとするだろう?」
「ひゃい⁉」
「そしたら、子供は人間なのだろうか? それともたぬき?」
「古の薬を飲まない限り、旦那様とぽこの間には子供は生まれませんよ」
あっさり言われて、啞然となる俺。
ぽこは当たり前のように、言葉を続ける。
「だって、人間とたぬきじゃないですか。だから、ぽこは古の薬が必要だって言ってるんですよ」
そうか……。
ぽこが当たり前のように人間に化けるから、そういうものだと受け入れていたが、たぬきだ。
何度も自分でも言っているのに、おかしなことだ。
ぽことの生活に馴染み、なんだかこんな生活がずっと続いて、いつかは子供ができるのかもしれないと、漠然と考えていた。
「本気になってもらえましたか? 迷宮は無理でも、図書館ってやつに連れて行ってもらえますか?」
見上げるぽこの黒い瞳は真剣で、そういえば、気づかないふりをしていただけで、いつだって真剣に訴えてくれているのだと気が付いた。
俺が考えたくないだけだ。
「ぽこが、人間になっちまったら、もうたぬきには戻れないのかね?」
「そうです。それでも、ぽこは人間になって、お嫁さんになりたいです」
いつだって、ぽこには覚悟がある。
俺には?
「あんなふわふわ、もこもこで肌触りがいいたぬきは他にはいないだろう」
「えっ」
「あれがなくなるのは寂しい」
ぽこが顔を真っ赤にさせて、そっぽを向いた。
そのまま離れて行き、魚釣りに専念し始めた。
その日は、日が傾き、暗くなるまで釣りをした。
二人で見上げた、夜空に輝く星が美しかった。
俺は、釣りをしても成果がなくとも構わず、ぽこは魚を釣りたい。籠編みに出かければ籠を作りたいだろう。
遠くない内に、愛想を尽かされてしまうかもしれない。今、この時間をもっと長引かせたい。
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