80話 ぽこと二つ名
「ところで、レナっていつ帰るの?」
ベッドの飾り細工をするために、ぽこにどいてもらいたい。
膝の上から立たせるなり、ぽこはそう聞いた。
「あたしがいたら邪魔なわけ⁉」
そら、そう来るのが当たり前だ。
ぽこはレナさんに苦手意識があるようだが、レナさん相手だとぽこにも遠慮ってものがない。
「旦那様とぽこのこと、いつパパに言うのかなぁって思って」
ぽこが唇を尖らせて、両の人差し指を突合せてこねくり回す。
「レナがいたら、粉の値段が地味に上がりっぱなしだしさ。粉屋の奥様は喜んでるけど」
レナ効果でパンが余分に売れているのは知っていたが、まさか原料の粉類の値段まで影響しているとは。レナ恐るべし。
細工用の刀で彫り出した模様を見るために、木くずに息を吹きかける。
ぽこの好きな花を彫れば、ぽこを訪ねて来た客が喜ぶだろうと思って始めたことだが、出来上がった模様をぽこに褒められるのも悪くない。
ぽこの為に何かをしたい衝動に突き動かされる。
「言っとくけど、あたしは聞かれたことは全部言うからね。肝心なことはきちんと自分で説明しないと!」
ぽこが、唸る。
父と娘ってのは、どこの家でも特別な関係で結ばれているという。
親のいない俺にはわからぬことだ。
「狐との化け合戦、あんたはどうするつもりなの?」
またもやぽこが唸る。
「化け合戦?」
突拍子のない話しに、思わず声が出てしまった。
子供を寝かしつけるときのおとぎ話じゃあるまいし、何だって?
「たぬきと狐の化け合戦です」
ぽことレナが真剣な眼差しで俺を見る。
二人そろって、温かい飲み物が入った杯で手を温めている。
ぽこは、淡い色の髪の毛が、肩の上でふわふわと揺れているし、レナの豊かな長い髪の毛は緩く波打って腰まで届いている。
丸く大きな目で、方向性は違えど、いずれ劣らぬ美人だ。
本当はたぬきだとは思えぬほどの化け具合。
「どんな合戦なのか想像もつかないな」
二人は目をますます丸くして、笑い出した。
「赤壁山七変化、暁のレナ」
爆風が上がり、煙の中からレナの艶めかしい太ももが先に出される。
変化の術を使ったレナは、服がいつもと違っていた。
何重にも重なった異国風で、やはり胸元は開いている。頭にはいくつもの櫛が刺さっていて重そうだ。
「そこまでやる⁉」
ぽこが呆れ声を出すが、すぐにこちらもきゅうっポンっと煙を上げて爆発した。
「赤壁山七変化、彼誰時のぽこでっす!」
こちらも異国風だが、丈はいつものように短い。折り重なった生地の上から大きなリボンがかかっていて、目を惹くことこの上ない。
艶やかな二人に呆気に取られてしまう。
何の話だったか?
二人は、向き合い、指を絡ませ合って、互いの姿を褒め合う。笑い声が響く。
「あぁ、旦那様ごめんなさい。つい夢中になってしまって――。狐との化け合戦には負けられないんです。たぬき界の沽券に関わる大勝負なんですよ」
「へいへい」
説明されてもわかりようがない。
そもそも、ぽこと出会うまで、たぬきはただのたぬきだった。
人間に化けることも知らなかったし、釣りを始めとした人間の生活に通じ、奇妙な巾着、古の薬なんていう文化を持った生き物だと想像したこともなかった。
赤壁山に住んでいるとは知っているが、拠点も知らない。
俺はただぽこを受け入れているだけだ。
「毎年恒例の行事で、赤壁山一帯に住むたぬきときつねが化け合戦をするんです。負けた方が、禁忌地区に入り込んだ人間を追い出す役を担うんですよ」
「人間を? ほぉ」
山奥に入り込んだ奴らが、たまに妙なところで見つかるが、あれはたぬきと狐どものせいらしい。
一つ謎が解けたようだ。
「あ~ぁ、そんなことまで教えて、ドン・ドラドに怒られても知~らないっ」
「言い出したのはレナだから、連帯責任だね」
「図ったなぁ⁉」
「ぺっぺけぺ~♪」
あぁ、今日は細工が捗る。
ただし、五月蠅いがね。
「帰らなかったら、それが返事ってことだよ……」
帰り間際のレナに、ぽこはようやっとそう言った。
ぽことレナが並んで歩くのを後ろから見守りながら、インマーグの街までレナを送った。
明日の夜、いつもの飲み屋で落ち合う約束もされた。
三連の月に照らされて、夜でもうっすら明るい。
笑顔でぽこが、何やら話しかけてくるのをぼんやり眺める。
ぽこの屈託のない笑顔は久しぶりだ。
七変化ねぇ。
よくわからんが、二つ名みたいなもんがついているなら、父親だけでなくぽこもたぬき界で名の知れたたぬきなのかもしれない。
服でさえ、普段のインマーグ地方の服と化け合戦の服では、全く違っていた。
ぽこには、俺の知らない世界がある。
俺といるってのは、本来いるべき世界から引き離されるということだ。
それはぽこの幸せなのだろうか?
急に虚しくなった。
「もうすぐ満月ですね」
ぽこが嬉しそうに空を見上げる。
満ちる前だからこそ足りたような形が、光でぼやけて柔らかささえも感じる。
「足るを知る。難しいことだ」
「え?」
「この頬のことだ」
前を歩いていたぽこの頬を、むにっと摘み、ぷちんっと千切り、食べる真似をした。
何も考えず、この柔らかさを俺のもんにできたらなぁ。
今、幸せなのは、ここで留まっているからなのだろう。
赤くなった頬をさするぽこと並んで家に帰る。





