75話 ぽこと実験③
「スライムの膜がいいかもね」
「スライム?」
復唱してしまう俺とぽこに頷いて、ウシュエが箱から白く乾いた板を出してきた。
暖炉にかかっていた薬缶の湯と水瓶の水を混ぜて、板を浸す。
白い板は、湯を吸って透明になり、量が増した。
「そもそも、羊の腸ってのは衛生管理上問題があるでしょう。塩分濃度が高いし、薬の成分の一部は塩水につけられるとエネルギーが置き換えられるわけ。例えば――」
わけのわからない呪文が始まった。ぽこが何か言いたげに俺を見上げるが、口の動きだけで「黙って聞いておけ」と送る。これ以上の厄介ごとはごめんだ。
ウシュエが呪文を唱えながら、湯の中から透明の膜を出した。
馴染みのある弾力に、ぴんとくる。
「さっきの白い板は、スライムの膜だったのか」
「あなた、私の話聞いてたかしら?」
呪文ではなく、スライムの膜の話にだったらしい。
難しい話しはさっぱりわからない。
俺は盾役なのだ。そういうのは魔術研究所に所属するヤツが知っていればいい話。
「スライムの膜は、流動性と安定性に優れているから、様々な成分と拮抗しないってお話でしたね」
さっきのウシュエの呪文めいた話しを理解してたのか。
どうもぽこはたぬきなのに、こういう話でもついていけるようだ。
ぽこの返事にウシュエの興が乗る。
「そう。スリングショットで打つ程度の強さがあって、ぶつかったら割れるという条件を満たすのではないかしら」
ウシュエがスライムの膜を掌の大きさに切って、そこに治療薬を流し込んだ。麻紐で縛ると、理想的な物ができる。
持ち上げて液漏れがないか確かめ、前触れなく壁に投げつけた。
スライムの膜が割れて、中の液体が壁に飛び散る。
ぽこが俺にしがみついた。ウシュエの機嫌は直っているが、まだ怖いらしい。
「いいわね。どうかしら?」
ウシュエが得意げに両手を上げてみせる。
「さすがウシュエだ」
「凄いです!」
ぽこは言葉では褒めているが、汚れた壁が気になるらしくて、そちらばかり見ている。
ウシュエは汚れなぞ気になる性格ではない。
衝撃実験に丁度いい壁があっただけのことというだろう。
「そうね。薬玉とでも呼びましょうか。治癒玉にしびれ玉、毒玉に――」
ぶつぶつとウシュエの独り言が続く。
「スライムの膜はエルダーフラワーの代金から引いておくわね」
玄関扉の鍵が開いた。
もう帰ってもいいらしい。
安堵のため息をこっそりついて、席を立つ。
俺の脇からぽこが壁に寄り、それをウシュエと俺が眺める。
ウシュエは興味を失ったのか、俺たちが訪ねたときにしていた読書に戻った。
紙の束がめくられ、指で文字をなぞりながら、小声で何か呟いている。
「ウシュエさん。お願いがあるのですが」
汚れた壁を巾着から出した布で拭いて綺麗にしたぽこが、ウシュエへ声をかけた。
「何かしら?」
既に意識は、本にあるらしく、煩わしそうな返事が返ってくる。
「私に、薬の基本を教えてください」
ウシュエは、文字をなぞる手を止めた。
「私は薬の知識がありません。でも、薬って、いいことだけじゃないですね?」
「どうしてそう思うの?」
ウシュエが、顔を書物から上げて、ぽこの返事を待つ。
薬や魔術に関する知識は、師から学ぶか魔術研究所で習うしかない貴重なものだ。おいそれとは教えて貰えない。
「私、この間、薬酔いをしました。それに、ウシュエさんは旦那様が丸薬を連続で使うのを禁止しています」
ウシュエは言葉を挟まずに、ぽこを試すような視線をぽこにやった。
ウシュエの視線は鋭いが、ぽこは怖気づかない。
「薬酔いしたときに思ったんです。頭痛に吐き気、体温が上がって、平衡感覚が狂う。酔っ払う感覚に似てますが、風邪の症状に似ています」
そんなことを考えていたのか……。
俺まで驚いてぽこの話を聞いてしまう。
「旦那様は、この間、ひどい風邪を引きました。あれって、もしかしたら、風邪だけじゃなくて、丸薬の悪い部分が出たってことじゃ……」
ウシュエは静かに、薄い口を開いた。
もう本は見ておらず、ぽこに集中している。
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。だから、続けて使ってはいけないのよ」
ぽこが頷いて、巾着を握る。巾着の中には、ウシュエから預かった丸薬が入っているはずだ。
そうだったのか。
随分ひどい風邪だったとは感じていた。
酒を呑みすぎると、次の日の朝、酷い目に遭うように、薬も使いすぎてはいけないとは。本当に治癒薬ってのはわからないことだらけだ。
不意にわけのわからぬ治癒薬頼りという状況が怖くなる。
「私に、治癒薬の使い方を教えていただけないでしょうか?」
「いいわ」
再びのぽこのお願いをウシュエはすぐに快諾した。
意外な返事に、俺の方が驚いてしまう。
ウシュエが今度は俺を見る。
「私、丸薬の副作用の研究がしたいの。でも、オズワルドに渡すと、実験にならなくてね」
用法用量を守らないからだ。
「ぽこちゃんに治療薬の基本を教えれば、実験の続きができるってわけね」
ウシュエの薄い唇の端が上がり、頬が赤く染まる。
「よろしくお願いします!」
ぽこが、頭を下げた。





