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たぬきの嫁入り2  作者: 藍色 紺
第7章 春の来訪者
24/48

68話 ぽこのいない間のこと

 日が長くなりつつある中、林から見える家に灯りが灯っていると、元気が出る。


 今日の仕事は、ドブさらいだった。

 インマーグの街は水に恵まれている。街中を川が流れていて水量は豊富だし、教会の近くに湧き水を引いてきた水飲み場があるくらいだ。

 湧き水の点検整備も、川へ流す汚水の整備も季節毎に行われる。

 街に定住する者の義務として、今日はドブさらいをしてきたわけだ。


 汚れ仕事だったから、家に入る前に湯あみをせねばならない。

寒いのを覚悟して納屋から風呂セットを出していると、家からぽこが出てきた。


「旦那様おかえりなさい!」


 抱きつこうとして、俺から出る異臭に踏みとどまる。


「川で水浴びしてくるよ」


 いつもなら、ここで湯は暖炉で沸かしておくと言ってもらえるのだが、今日のぽこは申し訳なさそうに耳を寝かせた。


「すみません。今日はレナが来ているので」


 危うく「まだ?」と言いかけて、とどまった。

 朝、仕事に出るとき、俺と入れ替わりでレナは来たのだ。一日中いるってことになる。


「あぁ、構わんよ。星でも見ながら湯あみするさ」


 寒さにひぃひぃ言いながら川に入って汚れを落とす。大きなたらいで、柑橘類の皮と湯に浸かる。

 湯に浸した木綿の布を軽くしぼって、目の上に当てると、肺の底から息が出た。

 まるで圧縮された疲労が体内から出るようだ。

 ようやく人心地ついた。


 枯れた小枝を踏む音がして、瞼の上の布を取ると、ぽこがいた。

 手渡してくれる木の杯の中を見ると、ヴァダーの湯割りだ。


「ありがとよ」


 一口飲むと、食道の形が分かる。酒の呼気が喉の奥から出る。

 ますます疲労がにじみ出る。

 低く唸って、湯にさらしていた布で顔を拭う。


 ぽこは何も言わずに家へ引き返した。一人でゆっくりしたい俺に気を利かしたのだろう。



 重くなった脚を引きずるように家に入る。


「おじさん、おっかえりー!」


 レナの低い声に片手を上げて答え、暖炉前のいつもの席に座り込む。


「何々なぁに? お疲れなのね」


 上機嫌のレナが、俺の背後に回って、肩を揉み始めた。

 ぽこが小さく抗議の声を挙げるが、今は料理が優先らしく、こっちまでは来ない。


「レナはそろそろ帰ったら?」


「水臭いこと言うわね! ぽこはおじさんの家族なんでしょう?」


 レナが、俺が誤解を解くためにぽこに言った話を持ち出してくる。


「ぽこが家族なら、あたしも家族よね?」


 肘で背中をぐりぐり押され、疲労困憊のおっさんは呻くしかない。

 レナはツボを突くのがウマい。


「レナは一緒に住んでないから、違うでしょ!」


 ぽこの反論に、レナが背中を押すのをやめてしまった。


「あら、一緒に住むのが家族の条件ってわけ? なら、この間までいなかったあんたは、妻失格よ」


「なっ、なんでそれを知ってるの⁉」


 食事の用意ができたようなので、食卓に移動する。

 食事の用意は三人分あった。

 なんだかんだ言いながらも、二人は仲がいいのだろう。


「豪華だな」


「でしょう? 今日は朝から畑の間引きをしたので、新鮮野菜が沢山ですよ」


 極小の赤いラディッシュ、ニンジンの葉、たんぽぽの葉のサラダ。白いアスパラガスが湯がかれ、新じゃがはふかしたばかりで湯気が出ている。

 これに、ぽこお手製の酢と卵、脂で作ったソースをかけて食べるのがウマい。

 冬の間は、新鮮な野菜が乏しいから、野菜だらけの食事は春の楽しみと言える。


 荒い生地のパンを薄く削いで、暖炉で炙ったチーズを乗せる。

 濃いうま味に濃厚な香りが口中に広がった。


「春に食べるこいつは堪らんね」


 夏草をたらふく食った牛の乳から作られるチーズは、翌春には熟成が進み、独特の香りを放つ。

 厳しい冬を越えて食べるこの味は、春の楽しみだ。


「おいしー!」


 レナと二人で先を争うように食べる。熱いのが食べられないぽこは、まだサラダを食べている。


「人間の食べ物は本当においしいわ」


 レナの言葉にぽこが何度も頷く。


「食いしん坊のあんたのことだから、おじさんのとこにいない間、おじさんよりもご飯の方が恋しかったんじゃないの?」


「そんなわけないでしょ」


「そーぉ?」


 レナが含みのある笑い方をした。


「何よ」


「あんたがおじさんを恋しくても、おじさんの方はどうだかね?」


 ぽこが返事する前に、レナが次の言葉を放つ。


「あんたがいない間、おじさんはエミリアさんの家で食事したのよ。知ってた?」


「えっ⁉」


 ぽこが俺を見て、ようやく手に持ったパンからチーズが落ちた。


「本当ですか?」


 どうしたわけだか、レナは俺とぽこを引き離したいらしい。

 しかも、それがぽこの為だと思っているようだ。


 嘘をつくようなことでもない。やましいことは何一つない。


「あぁ」


「首巻からエミリアさんの匂いがしてるのは、それが関係してるんですか?」


 そういえば、首巻をエミリアに貸した。返してもらって、何度か使ったはずだ。


「ほらね。人間は人間同士が一番ってわけ。朝から何度言ってもこの子、わからないって言うのよ」



 レナはまるで親切でもしているように、鼻を高くする。


「俺が行ったのは、クエスト屋所長の家だ」


「何言ってるの。同じことじゃない」


 レナの目は、ぽこと同じように大きいが、視線はもっと鋭い。

 街の男たちへ向ける視線は煌めき、はつらつとしているが、俺を見る目だけは鋭利な刃物のようだ。

 俺を責め、嫌っている。


 ぽこを俺から引き離したくて仕方ないようだ。


「大体さ。恋の季節に離れている夫婦なんて聞いたことないわ。あ、ごめん。夫婦でもないんだっけ?」


 低く笑って、フォークでサラダを突き、まだ続く。


「未婚なら、あたしにもチャンスがあるわね?」


 無礼な態度をどこまで我慢すべきか悩み、フォークを皿に置いた。


「レナは知らないかもしれないけど、ぽこは傷ものにされましたから!」


 ぽこの宣言に、レナがフォークを落とした。

 レナはぽこを見て、次に俺を見る。視線で殺せるのなら、今ので殺されているはずだ。


「ほら、見て。ここです!」


 ぽこは、大屋根山で落下したときにできた太ももにある傷を出した。

 白い太ももに星型の傷が残ったままだ。


 レナが俺を見る視線に憐れみを感じる。


「どんだけねんねなの?」


 恋の季節は積極的すぎて困惑しかなかったが、ぽこのその方面への知識なんてこんなものだ。

 それに俺はあぐらをかいているわけだ。


「まぁいいわ。作戦を練り直せばいいだけのことよね」


 レナの小声は、ぽこには聞こえなかったらしい。俺だけに見えるように口を見せる。


「絶対認めないからね」


 夫婦認定が進む昨今だが、こういうのは珍しい。


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