68話 ぽこのいない間のこと
日が長くなりつつある中、林から見える家に灯りが灯っていると、元気が出る。
今日の仕事は、ドブさらいだった。
インマーグの街は水に恵まれている。街中を川が流れていて水量は豊富だし、教会の近くに湧き水を引いてきた水飲み場があるくらいだ。
湧き水の点検整備も、川へ流す汚水の整備も季節毎に行われる。
街に定住する者の義務として、今日はドブさらいをしてきたわけだ。
汚れ仕事だったから、家に入る前に湯あみをせねばならない。
寒いのを覚悟して納屋から風呂セットを出していると、家からぽこが出てきた。
「旦那様おかえりなさい!」
抱きつこうとして、俺から出る異臭に踏みとどまる。
「川で水浴びしてくるよ」
いつもなら、ここで湯は暖炉で沸かしておくと言ってもらえるのだが、今日のぽこは申し訳なさそうに耳を寝かせた。
「すみません。今日はレナが来ているので」
危うく「まだ?」と言いかけて、とどまった。
朝、仕事に出るとき、俺と入れ替わりでレナは来たのだ。一日中いるってことになる。
「あぁ、構わんよ。星でも見ながら湯あみするさ」
寒さにひぃひぃ言いながら川に入って汚れを落とす。大きなたらいで、柑橘類の皮と湯に浸かる。
湯に浸した木綿の布を軽くしぼって、目の上に当てると、肺の底から息が出た。
まるで圧縮された疲労が体内から出るようだ。
ようやく人心地ついた。
枯れた小枝を踏む音がして、瞼の上の布を取ると、ぽこがいた。
手渡してくれる木の杯の中を見ると、ヴァダーの湯割りだ。
「ありがとよ」
一口飲むと、食道の形が分かる。酒の呼気が喉の奥から出る。
ますます疲労がにじみ出る。
低く唸って、湯にさらしていた布で顔を拭う。
ぽこは何も言わずに家へ引き返した。一人でゆっくりしたい俺に気を利かしたのだろう。
重くなった脚を引きずるように家に入る。
「おじさん、おっかえりー!」
レナの低い声に片手を上げて答え、暖炉前のいつもの席に座り込む。
「何々なぁに? お疲れなのね」
上機嫌のレナが、俺の背後に回って、肩を揉み始めた。
ぽこが小さく抗議の声を挙げるが、今は料理が優先らしく、こっちまでは来ない。
「レナはそろそろ帰ったら?」
「水臭いこと言うわね! ぽこはおじさんの家族なんでしょう?」
レナが、俺が誤解を解くためにぽこに言った話を持ち出してくる。
「ぽこが家族なら、あたしも家族よね?」
肘で背中をぐりぐり押され、疲労困憊のおっさんは呻くしかない。
レナはツボを突くのがウマい。
「レナは一緒に住んでないから、違うでしょ!」
ぽこの反論に、レナが背中を押すのをやめてしまった。
「あら、一緒に住むのが家族の条件ってわけ? なら、この間までいなかったあんたは、妻失格よ」
「なっ、なんでそれを知ってるの⁉」
食事の用意ができたようなので、食卓に移動する。
食事の用意は三人分あった。
なんだかんだ言いながらも、二人は仲がいいのだろう。
「豪華だな」
「でしょう? 今日は朝から畑の間引きをしたので、新鮮野菜が沢山ですよ」
極小の赤いラディッシュ、ニンジンの葉、たんぽぽの葉のサラダ。白いアスパラガスが湯がかれ、新じゃがはふかしたばかりで湯気が出ている。
これに、ぽこお手製の酢と卵、脂で作ったソースをかけて食べるのがウマい。
冬の間は、新鮮な野菜が乏しいから、野菜だらけの食事は春の楽しみと言える。
荒い生地のパンを薄く削いで、暖炉で炙ったチーズを乗せる。
濃いうま味に濃厚な香りが口中に広がった。
「春に食べるこいつは堪らんね」
夏草をたらふく食った牛の乳から作られるチーズは、翌春には熟成が進み、独特の香りを放つ。
厳しい冬を越えて食べるこの味は、春の楽しみだ。
「おいしー!」
レナと二人で先を争うように食べる。熱いのが食べられないぽこは、まだサラダを食べている。
「人間の食べ物は本当においしいわ」
レナの言葉にぽこが何度も頷く。
「食いしん坊のあんたのことだから、おじさんのとこにいない間、おじさんよりもご飯の方が恋しかったんじゃないの?」
「そんなわけないでしょ」
「そーぉ?」
レナが含みのある笑い方をした。
「何よ」
「あんたがおじさんを恋しくても、おじさんの方はどうだかね?」
ぽこが返事する前に、レナが次の言葉を放つ。
「あんたがいない間、おじさんはエミリアさんの家で食事したのよ。知ってた?」
「えっ⁉」
ぽこが俺を見て、ようやく手に持ったパンからチーズが落ちた。
「本当ですか?」
どうしたわけだか、レナは俺とぽこを引き離したいらしい。
しかも、それがぽこの為だと思っているようだ。
嘘をつくようなことでもない。やましいことは何一つない。
「あぁ」
「首巻からエミリアさんの匂いがしてるのは、それが関係してるんですか?」
そういえば、首巻をエミリアに貸した。返してもらって、何度か使ったはずだ。
「ほらね。人間は人間同士が一番ってわけ。朝から何度言ってもこの子、わからないって言うのよ」
レナはまるで親切でもしているように、鼻を高くする。
「俺が行ったのは、クエスト屋所長の家だ」
「何言ってるの。同じことじゃない」
レナの目は、ぽこと同じように大きいが、視線はもっと鋭い。
街の男たちへ向ける視線は煌めき、はつらつとしているが、俺を見る目だけは鋭利な刃物のようだ。
俺を責め、嫌っている。
ぽこを俺から引き離したくて仕方ないようだ。
「大体さ。恋の季節に離れている夫婦なんて聞いたことないわ。あ、ごめん。夫婦でもないんだっけ?」
低く笑って、フォークでサラダを突き、まだ続く。
「未婚なら、あたしにもチャンスがあるわね?」
無礼な態度をどこまで我慢すべきか悩み、フォークを皿に置いた。
「レナは知らないかもしれないけど、ぽこは傷ものにされましたから!」
ぽこの宣言に、レナがフォークを落とした。
レナはぽこを見て、次に俺を見る。視線で殺せるのなら、今ので殺されているはずだ。
「ほら、見て。ここです!」
ぽこは、大屋根山で落下したときにできた太ももにある傷を出した。
白い太ももに星型の傷が残ったままだ。
レナが俺を見る視線に憐れみを感じる。
「どんだけねんねなの?」
恋の季節は積極的すぎて困惑しかなかったが、ぽこのその方面への知識なんてこんなものだ。
それに俺はあぐらをかいているわけだ。
「まぁいいわ。作戦を練り直せばいいだけのことよね」
レナの小声は、ぽこには聞こえなかったらしい。俺だけに見えるように口を見せる。
「絶対認めないからね」
夫婦認定が進む昨今だが、こういうのは珍しい。





