65話 旦那様と風邪
目覚めると、レナの長い髪が見えた。
ほんの僅かばかり寂しい。
朝一番に見えるのは旦那様がいい。
そう思って、すっかり我儘になった自分に驚いてしまう。
久しぶりにレナに会えたのも、里の様子を聞くのも嬉しかったのに。
早く会いたくて、急いで一階へ降りる。
毛皮上にキルトを敷いて、羊毛の防寒具を被っていても寒いらしく、大きな身体を縮こまらせて寝ている。
「旦那様、朝ですよ~」
揺り動かしながら、くんくん匂いをチェックする。
毎朝している健康チェックだ。旦那様にはバレてないけれど、知られたら嫌がられると思う。
あれ? ちょっといつもと匂いが違うかも。
旦那様は声を出せず、僅かに呻いただけだった。目は薄く開くだけで、腫れぼったい。
「旦那様?」
「か……ぜ」
すぐに激しく咳き込む。
「風邪⁉」
旦那様の額に手を当てたら、凄く熱かった。
そういえば、さっき揺り起こそうとしたときも違和感があった。
「旦那様、どうすればいいですか?」
質問しても、旦那様からの返事はなかった。
苦しそうに小さく呻き、眠ってしまう。
「どうしたのぉ?」
朝寝坊のはずのレナが二階から声をかけてくれた。
「旦那様が風邪ひいちゃったんです! どうすればいいの⁉ 熱が高いんです!」
悲鳴のような声が出てしまい、レナが起き上がって一階に降りてきてくれた。
旦那様の熱を確かめる。
「わかんない。人間ってどんなもん?」
「いつもより結構高いですよ!」
「――。とにかく、ぽこは落ち着きなさいよ」
長い髪をかき上げて、レナが眉間に皺を寄せる。
気だるそうな姿は、こんな時でも色っぽい。
「そうね。あたしたちならとにかく寝るわよね。そんで食べる」
「温かくね!」
外に飛び出し、薪を持てるだけ持って部屋に戻る。
火を起こし、室内を温かくする。
「食べるもの。昨日の残りと、他に……」
料理をしようとしたら、水瓶の中が少ない。
大慌てで料理に使う分だけ水を井戸から汲み、ようやく香味野菜と鶏肉のスープを作る。これなら具材が溶けてしまうから、飲みやすいはずだ。
「目が覚めたみたいよ」
「旦那様!」
寝ていた旦那様が、身体をゆっくり起こした。
めまいがするのか、頭に手をやり、落ち着いた頃に立ち上がろうとして、よろめいた。
壁に背をぶつけて止まる。激しく咳き込んだ。
「寝ていた方がいいですよ」
旦那様は声を出さずに頷いた。
「あたしたちがベッドを占領したからね……。今からでもベッドで寝た方がいいかしら?」
「でも、旦那様は動けませんし……。そうだ!」
巾着から風呂敷を出して、熊を背負ったときのように旦那様を包む。
「や……やめてくれ」
「大丈夫です。ぽこが力持ちなの知ってるでしょう?」
先祖伝来の風呂敷は、化け術で作ったただの偽風呂敷ではない。秘伝の化け術を施しているから、風呂敷に包めば重さが劇的に軽くなる。
難なく旦那様を風呂敷で持ち上げて、二階のベッドへ運んだ。
後からキルトを抱えたレナが上がって来て、ベッドを整えてくれた。
キルトの上に、風呂敷ごと旦那様を降ろす。
旦那様は、安心したようにベッドで横になった。
また熱が上がったみたいだ。
上掛け布団をかけて、大慌てでスープを椀に入れて持って上がる。
匙でスープをすくったら、旦那様は素直に一口啜った。
唇が割れ、白目が血走っている。
旦那様は、スープを一口しか飲まなかった。
首をふって、また寝てしまう。
食べられないんだ……。
「寝たら、きっとよくなるわよ」
レナの声が優しくて、血の気が引いた。
ママが病気になったとき、その言葉はお兄ちゃんたちから嫌ってほど聞いた。
ただの風邪、寝てたらよくなる。
「念のため言うけど、おじさんは本当に風邪だと思うわよ?」
レナと視線を合わせる。レナがゆっくり頷く。
鵜呑みにすることはできない。私たちたぬきは涼しい顔をして嘘をつく生き物だ。
自分で考えねばならない。
どうしたらよくなるだろう?
それから、思いついたことなら何でもやってみた。
お兄ちゃんたちが、元気がないときに毒蛇の黒焼きを食べていたのを思い出した。
雪解けが始まったばかりで、見つかる可能性は低い。それでも、探しに行った。
たぬき姿で蛇が越冬していそうなところを掘るけれど、どうしても見つからない。
家では旦那様が苦しんで待っていると思えば、時間をかけるわけにもいかない。
そうだ! ウシュエさんなら持ってるかも!
ウシュエさんを訪ねて、理由を話した。寝かせておけと言われたけれど、どうしても欲しいと粘って、毒蛇の干物の一部を買った。
目が覚めた旦那様に乾燥した毒蛇の尻尾を差し出したら、無言で押しのけられてしまった。
食欲がないから?
仕方なく、旦那様のためのスープに粉にして入れる。
これなら、飲めるようになったときに摂取できるだろう。
旦那様をベッドの隣に置いた椅子の上で、じっと観察する。
うなされながら寝ていて、汗をいっぱいかく。
ぐっしょり濡れた服を取り替えたり、額に当てた水に濡らした布がぬるくなったら、また冷たい水で洗ってから戻したりを繰り返す。
旦那様が、壁に向いてしまった。
さっきまで、息をするたびにひゅーひゅー鳴っていた音がしなくなった。
息をしているのか不安になる。顔が見たい。
横向きになっている旦那様の身体をゆっくり仰向けに転がすと、さすがにこれは目が醒めてしまった。
細く開けた目で、怪訝そうに私を見る。
「ごめんなさい。顔が見たくて……」
「横向きだと息が楽でね」
「あっ……」
手を離すと、旦那様はまた壁側に横向きになってしまった。
最低限の家事をしながら、旦那様の隣で息を潜めるように過ごして二日経った。
まだちっともよくならない。
レナは、初日に毒蛇狩りに出た隙に、どこかへ行ってしまったままだ。
幼い頃に、寝込んだママの隣で過ごした日々のことばかり思い出してしまう。
堪えきれなくなって、泣き出してしまう。
「ぽこ」
がらがら声の旦那様が、手だけで私にこっちにおいでと合図した。
ベッドに腰掛け、旦那様が私の腕を引っ張るままに身を旦那様に寄せる。
旦那様にしがみついて、ひとしきり泣いた。
その間、ずっと旦那様は、ゆっくり頭を撫でてくれた。
「後、どのくらい寝たらよくなりますか?」
旦那様が首を振った。
「不安で胸が潰れそうです。どうしたらいいですか? 何をしたら治りますか?」
何だって試してきた。
それでもダメだった。
旦那様とママが重なる。
「医者を呼んできてくれ」
「お医者様⁉ どこにいますか⁉」
旦那様の身体から飛び起きる。
「街に行けばわかる」
「すぐです! すぐですよ! 待っててくださいね!」
たぬき姿になって、家から飛び出す。
人間姿だと通れない獣道をたぬきなら通り抜けられるから、早い。
そうだ! 人間にはお医者様がいる!





