59話 ぽこと離れて国境へ④
国境の村に滞在したのは三日間。
その間に、貴族は隣国の要人と何やらしたらしいが、俺には関係ない。
帰りも道案内を仰せつかった。
帰途は、足が弾んだ。
ついつい速足になり、雪に不慣れな依頼者一向を引き離してしまう。
「恋女房が待ってるからねぇ」
護衛四人が俺をからかって口笛を吹いた。
にやける顔を引き締められずに、先頭を歩けることに感謝してしまう。
長い間、仲間殺しの盾として自分を責め続けてきた。
三十五歳、人生を折り返して、ここから肉体も精神も少しずつ壊れる一方になる。
ようやく老いることを許されるとさえ思っていた。
それが、どうだ。
あのボロ家に早く帰りたいとさえ思っちまっている。
生まれ変わったように心が軽い。
俺の気分を写し取ったように、雲一つない空から陽射しが差し込む。
インマーグに帰って、ぽこがいなけりゃ探せばいい。
別れるにしても、ぽこは最後に一度会ってくれるはずだ。
早く会いたい。
行きは七日かかった道を、帰りは五日で帰ってきた。
危険を避ける行動一つ一つに貴族から文句が出なかったからだと思われる。
懐を温かくして我が家の玄関扉を開ける。
家の中は、がらんとしていた。
物音一つしない部屋に入り、荷物を降ろした。一階を見回してから、二階も確かめるが、誰もいない。
期待が急速に萎む。
出るときは、急だったから暖炉の灰はそのままだったように思うが、綺麗に片付いている。暫く留守にしていたにしては、空気に澱みもない。
玄関扉を叩く音がして、階段梯子を使うのがもどかしく、二階から飛び降りた。
そこにいたのは、クエスト屋の受付だった。
驚いたクエスト屋の受付が、入り口で固まっている。
「驚かせてすまん。それで……何か用かい?」
思っていた相手ではなく、声に張りが出ない。
クエスト屋受付とは、つい先刻クエスト終了報告で会ったばかりだ。
わざわざ来る理由が分からずに、警戒してしまう。
「あの、これをお返しに来ました」
クエスト屋受付が、いつぞやに巻いてやった首巻を手渡してきた。
手触りがよくなっているから、洗ってくれたようだ。
おっさんの臭いがついていたから、気に障ったのかもしれない。
「あぁ、こりゃどうも」
用事が終わったはずなのに、クエスト屋受付はそこに突っ立ったままだ。
何か用だろうか?
「もしかして、俺がいない間に来たかい?」
弾かれるようにクエスト屋受付が顔を上げて、視線を合わせる。
「いいえ! そんな無礼なことはしてません。あの……」
何か言いたげだが、何も言わぬ相手を待つような時間はない。
ぽこがいなくなってから、もう十分待たされて、苛立っている。
クエスト屋受付の脇を通って、玄関に降ろした荷物を持った。
納屋に入って荷物を降ろし、ここにもいないことを確かめて、外に出た。
いつもなら、疲れていても仕事道具を片付ける。そうせねば気が済まない性質だ。
だが、今日は片付けはどうでもよかった。
何も言わないクエスト屋を置いて、そのまま、また赤壁山への道を急いだ。
今度は一人で思うように動ける。
ぽこを探して、初めて出会った場所に行った。そのまま丸湖様まで登る。でべそ岩にもどこにもいなかった。
思いつく限りを探し回り、すっかり夜になった頃、また初めて出会った見晴らしのいい野原へ戻った。
夜空から三連の月光が落ちる。
雪原が光りを反射し、ぼんやりと明るい。
遠目に、白い雪の上に、金色の毛並みが見えた。
俺に気づいて、林の奥へと逃げてしまう。
「ぽこ!」
呼びながら追いかけるが、姿が見えない。
雪原の中で一人佇み、耳を澄ます。
風に揺れて、木に積もった雪が落ちる。
さっきのは幻覚だったのか。それとも、狐と間違えちまったんだろうか。
山から狼の遠吠えが聞こえた。
熱を孕んだ遠吠えが、やけに切なく感じる。
あぁ、雄が雌を呼ぶ声だな。
もう春がそこまで来ているのか。
ぽこは、狼の遠吠えに怯えてやしないだろうか。
仕事柄、狼はよく見かけるが、彼らは恋の季節がくればパートナーといつもに増して仲睦まじくなる。
身体をすり寄せ、匂いを嗅ぎ合い、そして子を成す。
脳内で何かが光った。
ぽこは?
もしかして、ぽこにも恋の季節が?
人間に化けているが、ぽこはたぬきだ。
そうだ。普段から何度もたぬきだと言ってるじゃないか。
なら、突然積極的になったのも、自重できないのも納得がいく。
家路をたどりながら、ぽこの置手紙の内容を思い返す。
『暫く、お暇を頂きます。ぽこ』
恋の季節が終わったら、帰ってくるつもりなのだろうか。どのくらいの期間かかるだろう?
真っ暗な我が家を見たら、大きくため息が出た。
井戸から水をくみ上げていると、月明りがこぼれる空から、大きな雪が舞い始めた。
風花か。
冷たくなった手を揉んで、息を吹きかける。
ぽこに初めて会った日も、晴れた空から雪が降っていた。
目の端に過ぎる金色の筋に目を奪われる。
白銀の雪に金色が隠れた。
見間違えるわけがない。
井戸から水をくみ上げていた桶を取り落とした。
隠れた金色の元へ走る。
金色の毛玉も俺へ走り出した。
たぬきが飛び跳ねて、俺の胸元へ飛び込んできた。
柔らかなそれを抱きしめる。
「寂しかったです!」
俺もだ。
ただその一言が言えず、抱く腕に力を込めた。





