57話 ぽこと離れて国境へ②
空の高いところから、皺がれた猛禽類の鳴き声が聞こえる。
あの鳥からは、雪山の裾野を、七つの黒点が回り込んでいるように見えることだろう。
七つの黒点の内訳は、護衛対象である貴族、俺に直接クエストを持って来た執事、護衛が四人、それに道案内の俺だ。
他に御者二人と、療養中の露払い役が一人いるが、こちらはインマーグの街に置いて来た。
馬車で通れる道ではないと主張した結果、八人で出発したわけだ。
最初、貴族なんて優雅なお方は、歩けないと音を上げると思っていた。しかし、足のマメを潰しながらでも歩き通して、今日は三日目だ。
露払い役を無理に出し、クエストを受注して即日出発する無謀さに、我儘貴族を想像していたが、どうやらそうではないらしい。
俺は、極秘クエストの発注主である貴族への認識を改めた。
「ちょっと待ってくれ」
後ろの七人に声をかけ、先に見える違和感のあるポイントまで進むと、積もった雪がぱっくりと割れていた。
割れ目の裾を見て、首を振りながら隊列に戻る。
「この斜面を川沿いに歩く予定だったが、戻って川の向こう岸からアプローチし直そう」
俺の言葉に、貴族が防寒具の間から目を細めた。
「なぜだ?」
「この先で地面に積もった雪が割れている。いつ雪崩れてもおかしくない」
俺の言葉を聞いて、護衛の二人に割れ目を確かめに走らせた。
雪の中だから、普段ならすぐに見てこられる距離でも時間がかかる。
割れ目を確かめた護衛の一人が、貴族に向かって大きく腕で通れないことを示した。
「深さは?」
「人一人半ってとこですね」
声を張り上げてのやり取りが続く。
「降りて乗り越えられないか?」
貴族の言葉に護衛二人は顔を合わせた後、俺を見た。
どうもこの連中は、豪雪地帯の出身ではないらしく、雪山への認識が甘い。
出発してから三日間、何度も危険を回避するために迂回し、その度に揉めている。
先に進みたい貴族と、安全に送り届ける俺との対立のようになってしまい、降りて乗り越えられないかという質問も、直接俺に聞かれないし、護衛たちも返事をしない。
裾野とは言えど、雪山をうろつくのは体力を消耗する。その上、緊迫した状況では、精神まですり減る。
「どれもこれも危険だから回避しなければならないと言うが、足止めのつもりか?」
貴族が俺に射るような視線を向ける。
「この仕事を断ったのに、俺に押し付けてきたのは、そちらでしょう。俺に足止めをする理由はない」
「お前を推薦したのはクエスト屋だな」
「クエスト屋と俺がグルで、足止めしてると仰りたいのなら、道案内はここまでとしましょう」
貴族が奥歯を噛みしめる音が聞こえた。
彼は彼とて、重責を担い、一刻も早く国境を越えたいのだろう。
「この先の道を口頭で教えろ」
雪面に絵を描いて説明する。
「道標は、夏場は見えるが今は雪に埋もれて見えません」
「お前はどうやって道案内している?」
「俺は経験ですね。このくらいの積雪量なら、山のてっぺんがどのくらい見えるとか、そういう勘です」
回り込んでいる赤壁山は標高が高く、山裾も広い。
縫うように流れる川を避けて、斜面を歩くのも、一面白銀で道標のない中目的地に向かうのも、誰もができることではない。
貴族は、山を見上げて苦々しい顔をした。
「道案内を続けろ」
既に露払い役を遭難させているから、やむを得ない選択というわけだ。
「何でぇ、結局迂回すんのか」
護衛四人の誰かの呟きが聞こえてしまった。貴族は護衛を睨むが、すぐに四人共下を向いて表情は読めない。
同じやり取りが続いて辟易しているのは皆同じだ。
やっと進んできた道を後退し、川を渡るときには、まず俺が荷物を持って向こう岸に行き、ロープを張る。他の皆は、足を濡らしながら渡るが貴族はそうはいかない。結局俺が貴族を背負って渡り直す。
鍛えているとはいえ、成人した男を背負い、極寒の川の水に脚を濡らす。
動き通しでも、寒さの無数の針が脚に突き刺さる。
爪先は既に感覚がない。
あぁ、畜生!
本当なら、ぬくぬくと暖炉にあたり、ぽこの毛を撫でているはずなのに。
病みつきになる毛の柔らかさを思い出すと、同時に置手紙のイメージが頭に浮かぶ。
相談すらしてもらえなかった。いや、俺では、ぽこの相談相手にはならなかったってわけだ。
あんな風にこっそり出て行けば、追いかけることもできない。
手放すときがきたら手放してやりたい。そんな風に考えていた以前の己にそれは欺瞞だと伝えたい。
己が傷つかぬように、予防線を張り、もっともらしい理由をつけていただけだ。
肺の奥底が握られたように痛む。
欲しいものを欲しいと口に出さなかった俺が悪い。
言わずとも、積極的なぽこがいればそれでいいと高をくくっていた。
与えるより与えられる方が心地よいのは当たり前だ。
だが、俺はどうすればよかっただろうか。
幾度考えても分からない。
全員が濡れた脚を手入れして、再び歩き出した頃、向こうの空に低い雲ができ始めた。空気が動き、風が吹く前兆がある。
「ここを抜けたら、宿泊する準備をしましょう」
「おい。いい加減にしろ。迂回したばかりだぞ」
「天気が荒れます。その前に雪の家を作らねば」
歩きながら提案する。少しの時間の余裕もない。
「雪の家? そんなもんを作る時間があれば先に進み、あの雲の向こうに出よう」
息を切らしながら、貴族はまた抵抗した。
「急いでいらっしゃるのは理解してます。議論する時間を惜しみましょう」
「ほぉ? どう理解しているのかね」
こうも徹底的に抵抗されたら、思ったように進まない苛立ちを俺にぶつけているように思える。
今まで深く語らなかったのは、厄介ごとにこれ以上首を突っ込みたくなかったからだ。
どうも、貴族は俺に仕事を任せられぬらしい。
先頭に立つ俺の真後ろに貴族がやって来た。話を聞くというのだろう。
「隣国へ行くには、二つのルートがあります。一つは、我々の進む道。もう一つは南へ下る道です」
ここまでは、ロンメル国の地図を見た者なら誰でも考えられることだ。
「南へ下れば、この時期でも雪はありませんから、安全ですが、今回、それは選べないようです」
南へのルートは時間がかかる。もしかしたら、南の領地を通れない事情があるのかもしれない。
雪深い時期に、遭難者を出してでも強行軍で隣国へ行く理由がある。
クエスト屋の仕事は、雑事が多いが、末端とはいえ公共事業だ。
書面に残せず、南へ下れず、急ぎとなれば、事情を知るのは危険な案件である。
俺のような庶民なら口封じに消される可能性だってあるだろう。
「これ以上は知りたくありません」
「なるほど。お前は二つのことを理解しているな」
背後で不気味な笑い声が聞こえる。
「想像以上に我々の状況を理解しているし、己の立場もわかっている」
背中から肩を掴まれ、力がこめられた。
これ以上探るなということだろう。
言われずもがなである。
それ以降、貴族は黙って護衛に囲まれて歩いた。
雪崩が起きそうな地域を切り抜けた後は、既に吹雪いていた。
貴族と執事以外が、硬く締まった雪をブロック状に切り出して詰み、雪の家を作った。
歯を食いしばって動いている俺達はいいが、待っているだけの貴族と執事は寒さに震え、雪の家に入るために身体を動かすのもままならない。
中で、焚火をし、簡単なスープを作って全員で囲む。
貴族も護衛も一塊になってお互いを温め合い、同じもんを食う。
「なるほど、これは温かい」
貴族が最初に笑い、揃って笑った。
暫くすれば、汗をかくほど温かくなる。
「翌朝、吹雪が止んでいれば出発できます」
「そうか。では、今日はここで休むとしよう」
今日はこれで寒い中の労働が終わったと知り、貴族以外は皆破顔し、折り重なって寝た。
❄
朝起きたら、予想通り吹雪は止んでいた。
皆が寝ているのを起こさぬように、外に出て、身体を動かす。
空が白み始め、どこもかしこも真っ白な世界で、木には樹氷ができていた。
山の向こうから登る朝日に目を細める。
樹氷が輝き、美しい。
あぁ、ぽこに見せてやりたいなぁ。
この世に存在する美しいもんを一緒に見たい。





