脱獄
「いやいくらなんでもおかしいでしょう」
留置所にぶち込まれてから五日目。とうとうルカの不満が爆発した。
「何がそんなに不満なの、こんなに良くしてもらってるのに」
昼飯を食べ終えたグローリエンは立ち上がって伸びをして、そのままぼふんとベッドに寝転がった。
時系列的にはアルディが下水工事業者と兵長とともに地下に降りてきた少し後である。
「いや! ……まあ、待遇はいいんですよ」
牢内の環境の事を言われるとルカも反論できない。正直言ってたった五日でここまで改善するものなのかというほどに待遇は劇的に良くなった。
正直もうここに住んでもいいんじゃないのかというほどの環境である。
あっという間にシングルベッドが支給され、一般家庭にはまだない水洗便所が施工され、プライバシーの保護のために鉄格子にはカーテンまでが掛けてある。おまけに洗濯ものは毎日洗ってくれる。
特にこれはルカは本当に助かっている。完全にメレニーのお世話番になっている彼にとって、うんこを下水に流すだけで後はメレニーのおしめを洗ってくれるというのは最高の待遇である。ダンジョンの時は水を自由に使えなくて本当に苦労したのだ。
「そもそもこんなに待遇が良くなることがおかしいんですよ。あいつら何か絶対に隠してますよ」
「それは僕も感じるな」
グローリエンと同じくベッドに仰向けに寝転がっていたヴェルニーが上半身を起こして同意した。
「とはいえ彼らの言ってる『ソーマ』というのが何のことなのか分からない以上、どうしようもないがね。どうやら僕達にそれを譲ってほしい、ということの様なんだが、そもそもそんなものないからね」
結局さぐりさぐり物を訪ねるアルディの真意は彼らには伝わっていなかったのだ。
「分からない以上、どうしようもないですね」
メレニーに授乳しながらシモネッタが同意するが、それなのだ。今まさにメレニーに与えていたものが、彼らの言う『ソーマ』なのだ。
「あらら、メレニーちゃん、もういらないんでちゅか? ルカさん、コップ取ってもらえます?」
「は、はい」
あくまで善良な少年ルカはなるべくシモネッタの方を見ないようにコップを渡す。シモネッタは余った母乳をコップに絞っているようである。
「とにかく、裸で歩いてただけで五日も勾留されるなんて絶対におかしいし、ベネルトンの町がどうなってるのかも気になりますよね? どうにかしてここを出ないと」
「そうなんだよなあ。グラットニィ、怒ってるだろうなあ」
ヴェルニーは頭を抱える。Sランクパーティー『ゲンネスト』のもう一人のリーダーともいえる男、ヴェルニーの幼馴染のグラットニィは非常に気性の激しい男であり、しかもヴェルニーがプライベートでダンジョンに潜ることに反対だったのだ。
それが強行してダンジョンに潜った結果、テレポーターで世界の果てまで飛ばされて何ヶ月も戻らないとなればどれほどの怒りを炸裂させることか。
正直ヴェルニーがここの脱出に積極的でないことは、彼に怒られることからの現実逃避でもある。しかし、逃避したところで何も解決しないのだ。いずれは解決しないといけない問題。ならば解決は早い方がいい。
「仕方ない、そろそろ帰ろうか」
まるで旅行先から帰るような言い方ではあるが、彼には何か脱出の手があるのだろうか。
「でもなぁ……アルディさんにはよくしてもらったし、脱獄したら彼らに迷惑が掛からないかなあ? どう思う? スケロク」
まるで「脱獄する」事自体は何の障害もないような言い方。ヴェルニーは隣でまだ食事をしているスケロクに声をかける。スケロクは料理の中の肉を避けながらゆっくりと食事していた。
「あ、まあ……そ、そこは何とか出来ると、思う」
「あれ? スケロクさん、その喋り方」
いつからか。スケロクはいつもの横柄な態度からおどおどした内気な喋り方になっていた。
「もしかして、服を着てるから……素に戻ってます?」
「あ、ホントだ。なんか最近全然喋らないなあ、とは思ってたけど」
長いこと全裸で過ごしていたので戻るのに時間がかかったが、この自身のなさそうな少しどもった喋り方がスケロクの本来の姿なのだ。こんな状態で脱獄ができるのか。ヴェルニー達はこの状態のスケロクとはあまり接点が無いのでそれが分からないが。
「今日は、あの人格破綻者の兵長が宿直をやるらしいから」
兵長とは、初めてこの町に来た時にヴェルニー達に身体検査をしようとした男である。この牢屋のアップデートとは関わっていない。
「それに、アルディさん達の足音の癖は、もう覚えたんで、彼らがいないときに脱獄して、ぜ、全部兵長の責任としてひっ被せてやりましょう」
喋り方は弱弱しいが性格の悪さはいつものスケロクのままである。ルカ達はほっと一安心したが、しかし重要なことを聞き忘れた。
「って、スケロクさん。どうやって脱獄するつもりなんですか? アルディさん達なら油断してるから扉を開けさせて油断したところを……ってできるかもしれませんけど、今日はあの嫌な男が宿直なんでしょう? 脱獄なんてできるんですか?」
「ま、まあ……問題ないと、思う」
スケロクは食事の手を止めて、手枷で拘束された両手を自分の正面に持ってきて、片手で反対側の手の親指の付け根を掴んだ。
ゴキン、と小さな音がしたかと思うと、片方の手がするっと手枷から抜けた。ルカがそれに驚いているうちに反対側の親指の関節も外し、手枷を抜けると親指を元に戻す。
ほんの十秒ほどのうちに彼を拘束する物は何もなくなったのだ。
「ニンジャを……」
喋りながら彼は衣服を次々と脱いでいき、あっという間に全裸になった。
「舐めてもらっちゃあ困るぜ」
完全復活である。
それだけではない。彼は食事に使われていた油分を手ですくい、胴体や腰回りに塗り付ける。ヴェルニーの食器に残っていたものも含めて。
何をしているのか、とルカが疑問に思う間もなく、牢屋の格子の間に頭を突っ込んだ。かなり苦労をしながらも頭だけは格子を抜ける。
これがどうしたというのか。ただ鉄格子にはまって身動きが取れなくなっただけなのではないか。そう思う間もなく右手を無理やり突っ込み、今度は少し大きな骨の音を鳴らせた。ごきん、ごきん、と関節の音を響かせ、息を大きく吐きながら格子に向かって、いやその外に向かってぬるりと前進する。
これは、肩の関節を外したのだ。ルカがそう気づいた時にはもう上半身は鉄格子を抜け、腰まで脱出していた。
「ふううぅ、ふぅぅぅぅぅぅぅ……」
大きく深呼吸をしながら息を吐き出すと、まるで蛇かスライムのように足の先まで鉄格子を抜ける。いや、すり抜けると言った方が正しいのかもしれない。
彼にとっては、こんな鉄格子など、のれんの様なものだったのだ。ほんの十分ほどで、彼は脱獄に成功してしまった。




