献上
領都チカラン市を擁するマヌルガン領領主の嫡男バハルディンは幼い頃より体が弱く、陰では「深窓の令息」などとあだ名される有様であった。
南洋国家ジャンカタールの男達は他の地域に比べて背が低いものの、腕も足も丸太のように太く、頑健だ。海での漁を主な産業としているこの海洋国家では寒さと荒れた海に打ち勝つ男らしさが何よりも尊ばれる。そんなマッチョイズムの支配する国で領主の息子が虚弱体質だなどと、あまり大っぴらに語られることではないものの、当然ながら衛兵たちはよく知っている。
その「深窓の令息」が冬に風邪をこじらせた。
風邪はどんどん悪化し、とうとう肺炎になってしまったらしい。春の足音も聞こえ始めたころ、ようやく病からは立ち直れたものの、その後遺症なのか、前よりも一層ベッドに臥せっていることが多くなったという。
貴族として領地経営の仕事は世襲制であり、下に二人の弟がいるものの、ジャンカタールのしきたりでは基本的に嫡男のバハルディンがこのマヌルガン領を受け継ぐこととなる。
だが、あの虚弱体質でハードな領主の仕事を果たして完遂できるのか。部下のサポートがあればそれも可能かもしれないが、そもそも「弱い領主」に部下がついてきてくれるのか。
ここ数年領主のデディ・マヌンガルを悩ませているのはもっぱらこの「虚弱な息子」の事であった。
「……この滋養強壮の霊薬を、バハルディン様に、献上する?」
「そうだ」
衛兵長の表情には一点の曇りもない。心底それが最上の策であると考えているのだろう。
それは別に構わないのだが。確かにひょんなことから手にはいった滋養強壮の薬を体の弱い領主の息子に献上しようというのは理に適った、忠臣の考え方ではあるのだが。
いかんせん他人の持ち物である。
しかもその「霊薬」の正体が何なのかまるで分っていない。彼らにとっては知る由もないのだ。まさかそれがただの母乳であるなどと。だがそれ以上に問題が一つあった。
「もう、一口分くらいしか残ってないんスけど」
「おめえがぐびぐび飲むからだろうが!!」
容赦なく衛兵長はアルディの頭を殴りつけた。
「とにかく! 俺はこれを領主様の館のところに持っていく。お前らはこれをどこで手に入れたのかをあいつらに聞きだすんだ!」
そう怒鳴りつけると衛兵長は水筒を持って兵舎から出ていってしまった。
「っんなこと言われてもよぉ……」
アルディはその場に残された、6人ほどの衛兵達と顔を見合わせる。いずれも衛兵達の中でも特に役職についていない一般の兵達、まあ悪く言えば下っ端の人間だ。
今の行動、そのまま見れば自分は手に入れたレアアイテムを上に献上して覚えめでたく。逆に下の人間には自分のさらなる躍進のための肥やしとなるべく無理難題を吹っかけて逃げたようにしか見えないし、実際そうであろう。
「どうする?」
指示が具体的ではない。
聞き出せ、と言われても一体どうすればいいのか。
そもそも彼らが留置所にぶち込まれたのが「全裸で外を徘徊していた」の一点のみなのだ。正直言って大した罪ではない。普通ならちょっと説教して即日のうちに開放するのが道理である。
皆の前で首を落としたルカという少年が怪しいからとりあえず牢にいれたものの、具体的な罪に問えるわけではない。反乱を企てて凶器を持って集合していたというのならば罪に問えるが、七人でいったい何ができるというのか。しかもそのうち一人は赤ん坊で、一人は武器を持たない吟遊詩人。もう一人は何の変哲もない侍女。
何の罪もなく留置所に入れておくには限りがある。少なくとも首の落ちたルカという少年が魔物の類でなく、人に危害を及ぼす可能性がないのならば、即刻解放すべきだ。
それどころか本当にヴェルニーがあの『ゲンネスト』のリーダーであるならば、開放しなければあとあと面倒なことになりかねない。この事実が明るみに出れば、冒険者ギルドの方から横やりが入るかもしれない。冒険者ギルドは国の境なく展開する相互扶助組織であり、このチカランにも支部がある。
仮にそれらを無視して、彼らを拘束し続けることが出来たとしてだ。それでもどうやってあの飲み物の入手方法を割り出せというのか。
実際にはあの飲み物はシモネッタの分泌物なのだからまた搾乳してもらえばいいだけの話なのではある。実際メレニーが飲む分だけでは余っているので快く分けてくれるだろう。だが衛兵達はそんなことは知らない。
「すいません、あの飲み物全部飲んじゃったんでおかわりください、とでも言えばいいっていうのかよ」
そう言え。
「言えるわけねえだろそんなの。普通に拘留し続けてるだけで違法だっつうのにその上荷物にあったレアアイテム勝手に飲んじゃって、足りないからもっとくれ、って。犀並みに面の皮が厚くねえと言えねえよ」
もしこれが悪徳な役人であれば面の皮厚くそんなことを平気で言えたかもしれないが、中途半端な彼らの善良さが足を引っ張ることとなっていた。
「なあ、いっそのこと正攻法で金を払うからあの霊薬を売ってくれって言うのはどうだ?」
「お前、あれが最後の霊薬で、もう入手方法なんか存在しないって話だったらどうすんだよ。しかもそんな金どこにあるっつうんだ」
衛兵にそんな金の余裕はないし、あったところで自腹など絶対に切りたくないところが正直なところ。
そもそも、普通に考えれば冒険者の持っていた霊薬。どこかのダンジョンか何かで手に入れたレアアイテムに違いない。
再度入手しようというのならばもう一度その冒険先に出向いて行って入手する必要があると考えるのが普通であろう。
Sランク冒険者のヴェルニーが全裸になってしまうほどの過酷な冒険の末に手に入れた霊薬。もう一回行って取ってこいとは言えないし、ましてや代わりに自分達がそこへ出向いて行って取ってくるなどできるはずもない。
しかし実際にはヴェルニーは最初から全裸であったし、「普通の考え」を取り除くと実際にはあの霊薬はその冒険者自身、シモネッタの乳から分泌された液体である。その上赤子のメレニーは毎日何度もそれを口にしているのであるが、当然ながら彼ら衛兵の頭にそんな非常識な日常が浮かぶことなどあり得なかったのだ。
「八方塞がりだぜ……」
行き詰まっていた。




