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ソーマ

「兵長、あいつらどう考えてもおかしいですよ。ここの留置所の環境が『天国』だとか」


 ルカ達の様子を見に行った衛兵は地上階の広間に衛兵たちが集まっているのを見て声をかけた。あの様子ではルカ達はもう眠りに落ちているだろう。


 しかし、声をかけられた衛兵達は反応が無かった。打合せ用の大きなテーブルの上に広げられたルカ達の荷物を物色しながら何か話をしているようである。


「どうしたんスか? 何か変な荷物でも見つかったんで?」


「変……ね」


 テーブルの上に広げられた荷物に不審なところはない。シモネッタの鎧の異常な大きさが目を引くが、その他と言えば彼らの装備品、ヴェルニーの大剣やスケロクの小太刀に暗器(隠し武器)、ルカのリュート。後は冒険者どころか旅人でも持っているような野営のための装備一式である。


「おいアルディ、これの匂い嗅いでみろ」


 何の変哲もないヤギの胃袋か何かで作られた水筒。兵長はそれを差し出してアルディと呼ばれた若い衛兵に飲み口の匂いを嗅がせた。


「あ……」


 ふわりと香るほのかな甘い匂い。


 だがはちみつのような甘ったるい匂いではない。心が落ち着くような、どこか懐かしい、それでいて心を激しく掻き乱すようなかぐわしさに眩暈がし、一瞬その場に崩れ落ちそうになった。


 心が安らぐ。それでいて同時に激しく焦がれて心の臓が早鐘のように走り出す。不思議な感覚であった。


「な、なんです? これ……」


「試しに飲んでみろよ」


 正体不明の液体。飲み口についている後を見てみると白いので、牛乳のようなものかとも思われるが、しかし何の説明も無しにそんなものを飲んでも大丈夫なのか、と一瞬考えた。


 一瞬は考えたが、しかし本能には抗えなかった。


 体が激しく欲しているのだ。目の前の液体を。そう考えると途端に激しく喉が渇きだしたように感じられた。


 アルディはもう矢も楯もたまらず水筒を思いきり掴むと逆さにして、喉を激しく鳴らしながらごくりごくりとその液体を飲み始める。


「お、おい! 全部飲むんじゃねえぞ! こら、やめろアルディ!!」


 全てを飲み干そうとするアルディから兵長が水筒を取り上げた。


「あ、もっと……」


「もっとじゃねえよ、ああくそ、もう一口くらいしか残ってねえぞ……」


 水筒の袋をちゃぷちゃぷと揉みながら中を覗き込んで兵長は嘆いたが、ふとアルディの一種異様な雰囲気に気づいた。


「おいアルディ……お前なんで泣いてんだ」


 そう、彼は泣いていたのだ。


 そして、泣いているのと同時に、勃起していた。


 なんなのだこれは。いったいどんな感情なのだ。彼は今一体どんな状況なのだ。しかしアルディ自身それが分からないようであった。涙を流しながらも、自分の立ち位置を見失って困惑しているようであった。


「実を言うとよ、お前の前にも何人かこれを飲んでみたんだが、不思議と激しい動揺とともに活力がみなぎってくるような感覚があってな……」


 要は確認のためにもアルディにも飲ませてみたのだろう。


「あの男、『ゲンネスト』のヴェルニーだって言ってたよな」


 口に手を当てながら兵長が考え込む。


 その後女衛兵たちに見つかってしまって有耶無耶になった彼らの身元。全裸でうろついている変態がSランク冒険者のリーダーだなどという与太話、あり得ないと一笑に付していたが、そんな彼らの荷物から尋常ならざるアイテムが見つかったのだ。


「荷物の中にはこんなもんまであった」


 兵長はぼろきれに包まれた三つのアイテムを指さし、その一つの布を取り払った。


「お、黄金……? これが三つも? これだけありゃあ、一勝遊んで暮らしてもおつりがくるッスね……」


 ルカ達がダンジョンで見つけた黄金の音叉。もちろん彼らにはこれが何なのかまでは想像がつかないが、冒険者が旅先で見つけたアーティファクトなのだろう、というところまでは予想がつく。


 それも何に使うのかまるで分らない黄金の道具。なんに使うのか分からないからこそ余計に想像を掻き立てる。


「もしかしたら、あいつがヴェルニーだってのはマジかもしれねえな……なんでこんなところに、それも全裸でいたのかまでは分からねえが」


「そ……それって」


 アルディは自分がほとんど飲み干してしまった水筒を見ながら顔面が蒼白になる。


 それも仕方あるまい。大陸一の冒険者と呼ばれるパーティーのリーダーが旅の末に見つけたのであろうアイテムを、勝手に飲んでしまったのだ。これが何かとんでもなく貴重なアイテムであったならば、いったいどれだけの補償をしなければならないのか。


 そうでなくとも他人の持ち物を勝手に飲食するなという話ではあるのだが、まあ遵法意識の低い社会での公務員(衛兵)など、どこもこんなものである。何の法的根拠もなく暴力を振るったりしなかっただけ彼らはまだ平均よりも善良な方だ。それも遥かに。


 とはいえ、実際にはこれはヴェルニー達が大冒険の末に手に入れた神々の飲料ソーマなどではなく、母乳である。


 しかし、ただの母乳などではない。シモネッタの属する巨人(ティターン)族は古くは神にも繋がるといわれた由緒正しい巨人神族。


 そのティターン神族の末裔の、処女の母乳というある種アンビヴァレンツなニュアンスをも含んだ通常の環境下では存在しえない現代に生まれたアーティファクトなのだ。


 どうだろう。霊的な力を持っているような気がしてこないだろうか。しない? まあいいや。


「しかしですよ、兵長? あいつら荷物のことについて何にも言ってなかったですぜ? 実際には大したもんじゃないんじゃ……」


 言いながらもアルディは冷や汗を垂らす。ただの飲み物ではないことは彼が今体験した通りなのだ。


「領主様に、報告すべきか……?」


「はぁ!?」


 兵長の意外な言葉にアルディは素っ頓狂な声を上げた。冒険者の荷物の中にあった飲み物を勝手に飲んでしまって、その尻拭いをよりにもよって領主にやらせるというのか。


 そりゃあ話はつけてくれるかもしれないが、そんな間抜けな相談をしたら首は飛ばないまでも仕事はクビになるんじゃないのか。すでに飲んでしまった自分が何か言えた義理ではないものの、できれば穏便に。具体的に言うと知らんぷりして無かったことにしたい。それが彼の正直なところである。


 だが兵長は全く別のことを考えていたようであった。


「領主様のずっと臥せっておられる息子、バハルディンさまに、これを献上すべきじゃないのか?」

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