世界の果てのその先に
海の上というのは比較対象になるものが無いので高速度で動き続けてもどのくらいの速度で、どのくらい移動したのかというのが分かりづらい。
地球上であれば北極星を目印に緯度を測ることで自分がだいたいどのくらいの位置にいるのかを把握できるが、この世界は平面上に大地が広がっているのでそれを見ることもできない。
その代わり自分達がどの星の真下にいるのかで位置を知ることが出来るが、このパーティーにそこまで星の位置に詳しいものはいなかった。
それでも百キロ以上は移動したのではないだろうか、そう思えたころにようやくレヴィアターノはルカ達の船を海上に降ろした。
もはや海の水は淵の大瀑布の方向へと流れてはいないし、風の向きも変わっているようだ。要は安全領域である。南方ではあるものの、極海からは脱したと言っていいだろう。
最初に現れた時とは違う。まるで赤子をベッドに寝かしつけるかのように優しく水面に船を浮かべると、それきりレヴィアターナは海面に姿を現すこともなかった。
「レヴィアターナ! あなたはいったい何者なんだ? なぜ僕達を助けた?」
ルカが海に向かって問いかける。
聞きたいことはたくさんある。
なぜ自分達を助けたのか。世界の果てに飲み込まれそうになった船舶が世界魚レヴィアターナに助けられたなどという記録は今までどこにもない。
だからこそ定期的にカスカータル・ボルドの向こうには新世界が広がっているのではないか、先達はそこがあまりにも理想郷であるから戻ってこないのではないか、などと夢想した冒険者が宇宙に散華することとなっているのだ。
もちろんレヴィアターナをこれほど近くで目撃して生きて帰ってきた者もいない。
聞きたいことはそれだけではない。あの竜のダンジョンの第八階層の奥の、星空の玄室。そこにあった船に乗り込んだらテレポーターによってここに送り込まれた。そこにはいったいどんな意図があるのか。
送り込まれた先のレヴィアターナに聞くのは筋違いではあるかもしれないが、ではもしかするとあのダンジョンを作った魔竜王バルトロメウスと世界魚レヴィアターナには何か関係があるのではないか。
あのダンジョンには、いったいどんな意味が。
少しでもそれに触れられる答えが欲しかった。だが、答えは返ってこない。ただ、海風が吹く。
「海に話しかけてんな……青春か?」
「……ふっ」
結局レヴィアターナは何の答えも返さなかった。当たり前といえば当たり前なのかもしれない。スケロクに突っ込まれてルカは噴き出した。他の仲間も、危機が去った安心感からか、笑っている。
「ああ、空が綺麗だ」
空はいつの間にか真っ暗になっている。太陽はもうとっくの昔に北の大断絶の間に沈んでいた。
レヴィアターナに運ばれて大分北へはきたものの、南極星のオオガラス座がやけに大きく見える。この世界では、星は無限遠に存在する遠きものではなく、天球に張り付いた模様の様だ。
「この世界には、謎が多いね」
しみじみとヴェルニーが言う。
確かにダンジョンも謎だらけではあるが、この世界はそれ以上に謎に満ちている。
太陽は如何なる力で皆を照らし、昇降しているのか。世界の果ての外は、どうなっているのか。死神の騎士イシュカルスは言っていた。この世界は、うつしみに過ぎない、と。そして本来の姿を取り戻そうとしているとも。
「死神の騎士が、この世界の今の姿は、魔竜王バルトロメウスが形作った、と言っていましたよね。そして、あのダンジョンもバルトロメウスが作ったものだと、ヴァルメイヨール伯爵が」
今までに知った情報を組み立ててみると、今のこの世界と、ダンジョン、その二つともがバルトロメウスが形作ったものであり、おそらくそれらは相互に密接に関係していると考えるのが自然。
「なんだか、すごく大きな話になってきましたね」
ルカは先ほどのヴィルヘルミナとの戦いのときに奏でた、春祭りの曲を奏でる。
最初は、なし崩し的にナチュラルズのメンバーに合流しただけであった。そのナチュラルズも、日頃のストレス解消のために全裸で特に目的もなくダンジョンを徘徊していただけ。
悪魔のダンスの謎を解決した時は、ルカは大変に興奮した。一年間誰も解けなかった謎を自分が解いたのだ。当然であろう。
そこからだんだんと、あのダンジョンが自分達が思っていたよりもよほど重要なものだと分かってきた。
その先にはガルダリキの世界が繋がっていると分かり、しかも途中には冥界シウカナルの入り口がある。これだけでも歴史に残る大発見である。
しかしそれどころかあのダンジョンはこの世界の成立にも関わっている可能性があるというのだ。
世界は広い。大地はどこまでも続いている。世界の果ての、その向こうにすら、大地はなくとも世界はどこまでも存在するのだ。
今は手を伸ばしても届かなくとも。人にもし限界があるとするならば、それは人が自ら限界を定めたとき以外にはないだろう。そして他人の定めた限界のその先の世界を見てくるのが、冒険者というものなのだ。
「そもそも、ダンジョンなんて所詮は誰かが舗装した道だ。本来冒険者が行くようなところじゃねえ」
スケロクがオールの柄をさすりながらそう言った。
「この世界を何者かが形作ったってんなら、そんなものを越えて、本当の世界の、その先まで見てやるぜ」
考えてもみなかった言葉だった。傭兵や薬草の採取をするのが本当に「冒険」なのか? とは思ってはいたものの、しかし、言われてみれば確かにダンジョンも誰かが「作ったもの」に違いない。そんなものの調査は本来は考古学者の仕事だ。
誰も見たことのない光景を目指さないで、何が冒険者だと、スケロクはそう言ったのだ。
人の定めた限界の、さらにその先にもしも世界があるとしたら。そんな光景をもし見ることが出来るのならば、誰もがそれを見てみたいと思うはず。ましてや冒険者なら言うに及ばず。
この世界に生まれてきたのだから。
「冬はやがて去り、春が来る」
死神の騎士が残した言葉をつぶやき、ルカはまた春の歌を弾き始める。




