死神の騎士イシュカルス
「行け! 数で押しつぶせ!!」
凪の谷底のヴィルヘルミナが気勢を上げるものの、形勢は変わらない。彼女のペットの巨大な二匹の獅子によって洞穴の入り口部は広げられたものの、結局のところシモネッタとヴェルニーが守っている場所は通路が広がっているわけではないし、それを突き崩す方法もないのだ。
ヨモツイクサどもが武器を手に突進する。しかし入り口しか広がっていないので精々が二、三人、ヴェルニー達の前に出て返り討ちに会う。
ギュオオオォォン、とヴィルヘルミナのフライングVがうなりを上げる。しかしそれに対応してルカがリュートで彼女の波長を乱して中和してしまう。カースの力も同様に届かない。
「爆炎の赤よ、ここに花開け。ローゼロッセ!!」
ドオン、と爆発とともにヨモツイクサ達が大量に吹き飛ばされる。入り口を広くとったことで空気の流入が可能となり、グローリエンの炎の魔法も使用可能になった。まさに万全の体勢なのだ。
「ふう、それにしても多いな。まだ向こうは諦めるつもりがないのか?」
一息ついてヴェルニーが呟く。自分でも正直ここまで持ちこたえられるとは思っていなかったのだが作戦は存外順調である。しかしこんな攻撃をいつまでも続けられると先にこちらのスタミナが尽きそうである。
そんなとき、それまではヴィルヘルミナのギターにのみ反応してリュートを鳴らしていたルカの演奏が聞こえてきた。意図が分からないが反転攻勢に出るということであろうか。
それは、戦いのさなかに流すにはあまりにも静かで、神聖な音であった。
「宵の闇に響く魔女の旋律 大地の民と待ち伏せる風 二人だけの旅が始まる」
その音色に、ヨモツイクサ達の動きも弱まったように感じられた。
「いざ皆で炎に触れよ 煌めく星に手を伸ばせ よき言葉も悪き言葉も 我らがどこまでも届けよう」
余りにも美しすぎるがゆえに、悲しみまでも孕んでいるように感じられる、音色と、歌声。ヨモツイクサ達の動きは完全に止まっていた。
「草原に夢が響く 我らとともに風が歌う
フンケと共に炎の上跳ねよ
今宵はヴァルプルガの夜」
なんと、冥界の軍勢はとうとうヴェルニー達に背を向けて帰り始めてしまったのだ。
「弦の調べは勢い増して 自然の舞も円を描く 生まれたままの足取りで 魔法使いを囲んで廻る」
とうとうヴィルヘルミナと獅子だけを残してヨモツイクサ達は完全に引き上げ始めてしまったのだ。
「ぐうぅ、やめろ! その退屈な音を止めろ!!」
とうとうペットの獅子とともに一人残されたヴィルヘルミナ。ルカは歌うのをやめたが、ヨモツイクサ達は戻ってこない。
「ルカ君、今の歌は……魔法を使ったのか?」
「いえ」
ルカは震えながらリュートを抱きしめた」
「ただの、春の訪れを告げる歌です。冬は死者の領域。それが終わったと感じて、引き上げていったんでしょう」
ともかく、これで残る敵は一人と二匹。
「まだ続けるかい?」
もはや余裕の態度でヴェルニーが尋ねる。しかし一方のヴィルヘルミナは憤怒の形相。
「ふぅーッ、ふぅーッ、ふっざけるな! やってやる。私ひとりだって! てめえらくらいッ!!」
ヴェルニー達はゾッとした。確かにヴィルヘルミナの怒気もすさまじいものであったが、それが理由ではない。その背後にいたいような物影によって金縛りにあってしまったのだ。
「そこまでだ、ヴィルヘルミナ」
低く、重い声。それとともに巨大な鎌の刃が彼女を制止するように引き留めた。
「イシュカルス殿……」
馬上より眺めるその双眸の位置は四メートルにも達しようか、馬も騎士も巨大である。だがそれ以上に異様な点がある。
馬も人も、一切の肉を纏わず空虚なその胸の内を晒す白骨のみ。漆黒の鎧を身にまとい、全身を茨が巻き付き、それは兜の代わりに冠の形を成しており、ところどころに赤い薔薇を咲かせている。
その異様な風体の上にボロボロの黒いマントをたなびかせ、草刈りに使うような大鎌を構えているのだ。
とうの昔に腐り落ちたのであろうその双眸は、暗く赤い、不気味な光を湛えている。
さきほど、黄泉平坂を登り始めの頃に聞こえていた巨大な馬の足音の主はおそらくこの男であろう。なぜかあの時はすぐに興味を失って消え去ってしまったようであるが。
「これはこれは、死神の騎士様が今更何の用で? さきほどは去ってしまわれたというのに何の気まぐれですかしら?」
慇懃無礼なヴィルヘルミナの言葉にもイシュカルスは心揺らがされることはない。
「その者は冥界より何物も奪っていない。これ以上の戦闘は不要」
「ンッ、ゴホッ、ペッ……失礼。喉を傷めたようですわ。騎士様は相変わらずいいお声で。うちのバンドでしたらいつでもあなたを歓迎いたしますのに」
不機嫌に痰を吐いてから、しぶしぶといった感じでヴィルヘルミナは引き返していった。これは、危機が去った、と見てよいのか。
「楽師よ」
どかりと大鎌を担いでルカの方を見る。
「先ほどの歌、なかなかのものであった。あの歌を、どこで?」
まさか自分が声をかけられると思っていなかったルカは戸惑いながらも答える。
「ほ、北部に伝わる、春祭りの歌……冬が終わって春の到来を喜ぶ歌です。そこまで珍しい歌でもないですけど……」
「なるほど。やはり、駒はそろいつつあるようだ」
その暗き瞳は何を映すのか。どうやらルカ達には見えていない何かを見ているようである。
「冬はやがて去り、春が来る」
何のことを言っているのかまるで分らない。ボケちゃったの? おじいちゃん。それとも脳が全部腐り落ちちゃった壊れかけのレディオなの? という具合であるが、とてもそんな軽口を挟める雰囲気ではない。
「うつしみでしかないこの世界が、本来の姿を取り戻そうとしている。世界が元の形に戻る」
「そっ、それはもしかして、ヴァルモウエとガルダリキが元の一つの世界に戻るということですか!?」
「左様」
世界が一つに戻る。それは喜ばしい事なのかどうか。だがいずれにしてもルカには一つ気になることがあった。
「北と南がくっつくなら……もしそうなら、太陽は? 太陽神リウロイが大地に衝突してしまうのでは?」
この世界ではヴァルモウエとガルダリキの間の大断絶を太陽と呼ばれる光球が昇降して朝と夜が訪れる。その大断絶がもしもなくなったとしたら。考えるだに恐ろしい。
「分からぬ……この世界の有り様は一万年前、英雄王とも魔竜王とも呼ばれた男、バルトロメウスによって形作られたもの。前例のない世界の改変、そしてそれが戻るとき、何が起こるのかなど誰にも分からぬ。最悪の場合、この世界は太陽の衝突により塵と化すかもしれぬ」
訳知り顔ではあるが、何とも頼りない情報である。
「だがおぬしらはおそらく、その破滅の運命を打ち破るために現れたに違いない。このダンジョンの謎を解き明かし、見事世界に元の姿を取り戻して見せよ」
そう言って踵を返し、地鳴りのようなひづめの音を響かせて去っていこうとする。
「ちょ、ちょっと待ってよ。死神のくせに何もしてくれないの?」
グローリエンが呼び止めると馬は脚を止め、イシュカルスは背中越しに視線をやった。
「生者の世界は生者が解決せよ。シウカナルは所詮事象の地平面に過ぎぬ。現世に干渉は本来できぬ」
「ええ? じゃあ何のために出てきたのよ。ヴィルヘルミナも追っかけてきたし。嫌がらせしたいだけ?」
イシュカルスは人差し指をぴんと立てる。
「我らの目的は一つ。秩序の維持。塵は塵に、灰は灰に。あるべきものはあるべきところに。冥界の住人を生者が連れ帰ることは絶対に阻止せねばならぬ」
先ほどの言動と一致する。ルカ達は冥界から何も奪っていないと、そう言っていた。それゆえ追う必要はないと。では、「なに」を奪ったのなら追わねばならないのだろうか。
「一万年前に奪われた光。ワルブルージュの魂を我らは奪い返さねばならぬ……」




