衝撃
ルカは、自分のことを「正義」などと言って思い上がったことなど誓って一度もなかった。とはいえ、自分のことを善か悪かでいって「悪」であるなどと思ったことも、やはり一度もなかった。
正義というほどではないが、善と悪で言えば自分は善であろうと。だからこそ自分の方も一糸まとわぬ姿で助けが必要な状態であったにもかかわらず、馬車で襲われていたシモネッタ達を助けた。
「冒険者というのはね、本質的に悪なのさ」
ゆえに、このヴェルニーの一言は衝撃的であった。
もちろん冒険者という者に、いわゆるあまりお行儀のよくないものが一般人よりも多いことは自覚している。
だが「本質的に悪」ということは、例外なく、その大小はあるとしても「基本的には悪」なのだと、そう言われたのだ。
「僕達のやっている冒険が、何もない空間に船を漕ぎ出すようなものだとでも思っているのかい? それは違うよ」
歩き、首の痛みに顔をしかめながらもルカは耳を傾ける。
「人類未踏の地だなんて言っても、実際にはそこを生活の場にしている者は絶対にいるんだ。魔人、冥界の亡者、魔物、動物……下手をすれば自分達とこれまで接点を持っていなかっただけで、人間が住んでいることすらある」
衝撃的な言葉ではあったものの、しかしその説明は十二分に分かりやすい。
「僕達のやっているのは、侵略行為だ」
途端に足が重くなったような気がした。「侵略」だなどと、考えた事すらなかったのだ。
「たとえ本人にその気がなかったとしてもね。それまで平穏に暮らしていた者たちの領域へ土足で入り、それを踏みにじる行為なのだということを決して忘れちゃいけない。衝突は、必ず起こるものだ」
マツヤニを取りに来ただけなのになぜこんなことに……本当に何気なく独り言ちた愚痴であったが、よくよく考えてみれば当然の事だったのだ。なぜ自分達が歓迎されているなどと勘違いを犯していたのか。
「でも、だからと言って立ち止まってもいけない」
だがヴェルニーは言葉を継ぐ。
「前に進まなきゃ、生きている意味なんてないから」
贖いようのない罪を負いながらも、それでも前に進み続ける。しかし決してそれを忘れてはいけない。それが冒険者としての在り方だと、彼は言ったのだ。
ルカの目には、先輩冒険者の後ろ姿が、薄暗い洞窟の中だというのに輝いて見えた。自分が深く考えたことのなかった冒険者という者の本当の姿が垣間見えた気がした。この、ほんの数分にも満たない言葉のやり取りは、衝撃的に彼の心に刻まれた。
「ルカ君……いったい誰と話をしているんだ」
「え?」
それゆえか。一瞬にして彼は自分の位置を見失った。
今話していたはずのヴェルニーが。自分のすぐ目の前を歩いているはずのヴェルニーの声が、後ろから聞こえてきたのだ。
後ろから声をかけてきたのは誰なのだ。確かにヴェルニーの声のはずだが、しかしでは今目の前にいるのはいったい誰なのだ。
「ルカ君! どこを向いているんだ! そっちは前じゃないぞ。君は、いつの間にか後ろを振り向いて、いったい誰と話しているというんだ!!」
ぞわりと全身の毛穴が開き、冷や汗が背中を伝う。
いったい、いつから。
首を固定して無理やり体を反転させるなどという曲芸をして見せたせいか。知らぬ間に自分は方向感覚を失っていたのか。
ゆっくりと、彼は振り返った。
「かかったわね♡」
そこにいたのは、闇の中に深紅に踊る唇。凪の谷底のヴィルヘルミナであった。
「ルカ君! 振り向くな! それは僕の声じゃあない!!」
おそらく誰もが、ヴェルニーですら状況を掴みかねていたのだろう。声をかけるのが遅れた。全てが遅かった。ルカは振り返ってしまったのだ。
「ふぅーはははははっ! 脆いものね、人間なんて。衝撃を受けて心が揺らいだ瞬間、ほんの一瞬出来た隙に別の方向から力を加えれば、こんなにも簡単に崩れてしまうんですもの。もう遅いわよ。お前は禁忌を犯した。出でよ、ヨモツイクサ!!」
周囲は岩場だったはず。そうでなくとも固い地面であったはずであるが、そこいらからずるりと、腕や足が生えてくる。それも一人や二人ではない。
その腕や足から続くように体も、雑草のように壁や地面から亡者のような生気のない顔のアンデッドの兵隊が生えてくるのだ。
「あ……ああ」
そのうちの一人がルカの腕を掴む。ルカは身動きが取れない。死への恐れよりも、自分の犯してしまったミス自体を恐怖しているのだ。自分が足を引っ張ってしまったと。
「ぼうっとしてるんじゃあない!!」
その亡者の腕を大剣が両断した。前方にいたヴェルニーが跳躍して切りつけたのである。
「全員! 走って逃げるんだ!! 第七階層まで退くぞ!!」
もはや後ろを振り向かないことになど意味などないだろう。仲間たちに声をかけるとスケロクとヴェルニーを除いた全員が一斉に坂を駆け上りだす。こうもはっきりと敵対行動をとられるのならば最初から走っていればよかったものを。後悔先に立たず。
「少し蹴散らしたら俺たちもすぐに行く!!」
ヴェルニーとスケロクが殿となる。二人の得物、ツヴァイヘンダーと小太刀が闇の中で激しく煌めき、アンデッドどもの体が次々と肉片となって飛び散る。
「へっ、思った通り一人一人は大したことねえぜ、このままヴィルヘルミナも斬っちまうか!?」
「油断するなよスケロク!」
元々広くもない洞窟の坂道、二人の男が得物を振るえばまるで硬き門を閉ざしたが如し。これを抜くには破城槌でも必要であろう。
「あら、随分と元気ねえ」
二人の前に出たのは凪の谷底のヴィルヘルミナ。その脇にはいつの間に現れたのか、巨大な獅子が二匹、控えている。
「実を言うとねえ、私は楽器の演奏が趣味なの。ルカさんとも親しくなれると思っていたのに」
そう言ってヴィルヘルミナはリュートのような楽器を取り出した。だがルカのものと比べるとネックの部分が随分と長く、そしてボディは二股に分かれたような異様な形をしている。フライングVである。
そしてヴィルヘルミナがパチンと指を鳴らすと二匹の獅子は大きく口を開き、唸り声とともに喉の奥から何か黒いものがせりあがってくる。
めきめきと音を立てながら口は開き続け、最終的にはどう考えてもその獅子の腹の中には収まらないだろうと思えるほどの巨大な円形の振動板が現れた。
てっきり獅子が襲い掛かってくるだろうと思っていたのに虚を突かれたヴェルニーとスケロクは唖然として身動きが取れなかった。
「……ドライ、フィーア」
ヴィルヘルミナが小さく呟き、そして弦を掻き鳴らす。
ギュオオオオオォォォーーーン!!
突如、衝撃波がヴェルニーとスケロクを襲い、二人はルカ達の位置まで吹き飛ばされたのだ。




