寝不足
「ふああぁ……よく寝た」
「まったくだぜ。やっぱ屋根と壁のあるところで寝られると違うな」
朝日の光を浴びながら、ヴェルニーとスケロクが伸びをする。冥界にも朝は来る。谷底からさらに下ったところに来たはずなのになぜか一面開けた土地というのも不思議なものではあるが、もはやダンジョンの中で世界の構造をあれこれ言うのも詮無きことであろう。
「おはよう、ヴェルニー。部屋の中で毛布にくるまって寝て、久しぶりに人間に戻った気分だよ」
グローリエン達も目を覚まして外に出てくる。正直ダンジョンにいる間は人間未満の動物並みの就寝状況であった。見張りを立てて、全裸で寝て……好きでやってるとはいえ何故そんなことを。
「あれ? ルカくんは一緒じゃないの?」
「え? そういえばいないね。いつからいなかったんだろう。昨日はもうすぐに寝ちゃったからよく覚えてないな。やっぱり旅の疲れがたまってたんだね」
「あの童貞、まさかとは思うけどヴィルヘルミナとしっぽりやってたんじゃねえだろうな。自分でさんざん『縁を結ぶな』とか言っときながらてめえが転んでりゃ世話ねえぜ」
「まっ、そこはもう自己責任だね。個人の下半身事情にまでは口出しできないよ」
「ルカ様はあんな年増に転ぶことはないと思ってますわ。メレニーさんもいらっしゃいましたし、間違いなどないです」
何ともドライな三人である。言っていること自体は筋が通っているのが余計にタチが悪い。シモネッタだけがルカを信じているようだが、しかし何もアクションを起こさなかったことに変わりはない。
「それにしても、太陽の感じが何だか地上とは違う気がするね」
「ううん、なんだろう。なんか……遠い?」
三人の興味はすでに別のことに移った。ヴァルモウエとガルダリキの間の大断絶を昇降する地上の太陽は、近い。ゆえにヴァルモウエの北部では灼熱の熱さをもたらし、逆に南部ではあまりにも弱弱しい。そう大きくもない大陸ではっきりと気候帯が分かれている。
それに比べると、目視で距離が測れなくとも「遠さ」を感じたようだ。
「おっと、ようやくルカも起きてき……うわっ」
彼らと同じように朝の日の光を浴びようと家を出てきたルカとヴィルヘルミナを見てスケロクは驚愕の声を上げた。
「お、おはようございます」
目に隈があり、足元も覚束ない。まさか夜通しでヴィルヘルミナと何やらやっていたのではないか、とも思われたが彼女の方も疲れて見える。まさか二人とも音を上げずに体力の限界まで挑んだということはあるまい。すっきり寝起きのヴェルニー達とは雲泥の差である。
そしてルカの方にも約一名、すっきりとした顔の女性がいる。メレニーだ。
ああ、なるほど。と、ヴェルニー達は納得した。ヴィルヘルミナがルカを誘惑したかどうかは置いておいて、そんなことに関わらず彼女が二人を寝かせなかったのであろう。
「ああ、東から昇った日がもうあんなに高く。ルカさん達はもう帰られるのでしたっけ?」
「東から?」
大断絶の間を昇り降りする太陽はヴェルニー達からすれば北のイメージがある。しかしまあ西の端に住む者からすれば東になることもあろう。ヴェルニーはそれをスルーした。
「ええ。何から何まで世話になってお返しもできず申し訳ありませんが、いったん帰らせてもらいます。一宿一飯の……一飯はないか、一宿の恩義は決して忘れません」
丁寧にお辞儀をし、一行は荷物を支度してからとりあえずマツヤニの状況を見に行った。一粒の雫がたまったか、といった程度。瓶がいっぱいになるまでひと月、というのはどうやら偽らざるところのようだ。
仕方あるまい。二、三日カマソッソを待って、来なければ一旦は町に戻る他ないだろう。
「それでは、どうもありがとうございました」
「谷底までは見送っていきましょう」
見送ってゆく、とはいっても足の遅いヴィルヘルミナは一行の一番後をついていくことになる。
何もない荒涼とした大地を歩き、やがて岩場のような場所の洞窟の入り口につく。ここからは上り坂が続く。相変わらず後方からは引き摺るような足音のヴィルヘルミナがついてきているのが気配で分かる。
「歩くのが遅くてすみませんね。気にせずお行き下さい」
ならば最初から家で見送ってくれればいいのにともルカは思ったが、事実としてはここまで彼女にはよくしてもらってばかり、特段不審な点もない、という状況で無下にはできない。
むしろ迷惑ばかりかけて、その上で厚意をふいにしてしまったような無礼な状況で見送ってまでくれるなど感謝しかない。そのはずなのであるが、どうしても不信感がぬぐえない。
「ところでヴェルニーさん。なぜこんなところにまでマツヤニを取りに来なさったんで?」
洞窟内に入ってしばらくするとヴィルヘルミナが声をかけてきた。歩く速さにも余裕がある。ヴェルニーは振り返ってこたえようとしたのだが……
「ああ。実は……」
振り返ろうとした彼の後頭部をルカが信じられぬほどの強い力で掴み、強制的に前を向かせたのだ。彼にこれほどの力があったなどと、知らぬ事実にヴェルニーは一瞬恐怖を覚えた。
「る、ルカ君……なにを?」
「振り向かないで!!」
鬼気迫る声ではあるが、何者かにとり憑かれているだとか、そんな雰囲気は感じられない。
だが異常事態が起こったことだけは分かる。全員が歩みを止めた。
「他の人も。決して後ろを振り向かないでください」
思わず全員の体が硬直する。しかし「振り向くな」と言われたのは確かなのだ。全員がそのまま前に歩き始めた。
「あらあら、どうしたんです? ルカさん。そんな怖い声を出して」
ヴィルヘルミナだけがそれまでと変わらぬ調子で、いや、少し楽しそうな様子の声で言葉を発する。彼女の言葉には誰も答えを返さなかった。
「ルカ様、いったいどうしたんですの?」
「思い出したんです」
ようやく冷静さを取り戻したようなルカの声。メレニーを抱く腕に力がこもる。
「まさか、冥界に関わる『禁忌』についてですか?」
博識なハッテンマイヤーも何か気づくところがあったようである。彼女には直接昨日禁忌について話してはいないが、知識を持っているのだろう。
「冥界から戻る道のさなか、決して振り向いてはいけないという禁忌を」




