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あえたのか

「待たせてしまってすまないね」


 大分日も傾きかけてきたところ。谷底であるためにもはや全く陽の影が見えず、判別することは難しいが、おそらくは外の世界と同じようにこのダンジョンの八階層にも夕暮れの時間が訪れていた。


 ヴェルニー達が玄室から丁字路の交差点に戻ってきたところ、果たしてまだ凪の谷底のヴィルヘルミナと名乗る女性が待ってくれているだろうかということは正直かなり危ぶまれたが、彼女はそれまでと同じように岩場に腰かけて座っていた。


「こんな時間になってしまってすまないが、シウカナルへの案内をお願いできないだろうか」


「うふふ」


 初めて彼女が感情を見せた。


 フードを目深にかぶったその奥に鎮座する瞳が怪しく光り、雪の上に舞った椿の花のような赤い唇が笑みを湛えて歪む。


 妖艶であるがゆえにこの上なく怪しい。正直言ってヴェルニーは彼女のこの不自然な笑みだけでももう案内を依頼したことを後悔し始めていた。


「失礼。お客人が来るなんて随分と久しぶりのことで。思わず笑みが漏れてしまいましたわ」


 そう言いながら立ち上がるとヴィルヘルミナは背を向け坂を下ってゆっくりと歩き始める。


「さあ、ついてきてください。今日はもう日も暮れます。私の家にお泊りになるといいでしょう」


 願ってもない申し出。渡りに船というものではあるが。


「よかったですね、ヴェルニーさん。こんな場所で夜を明かさなくて済みそうで」


「ルカ君、君は少し他人を疑うことを覚えた方がいいかもね」


 冒険者としてはあまりにも真っ直ぐすぎる少年。生き馬の目を抜く様な社会なのは何も冒険者に限ったことではないのであるが、そのあまりにも不用心な態度にヴェルニーは危機感を覚えた。


「さあさあ、ぼうっとしていると日が暮れてしまいます。ついてきてくださいな」


 さて、ヴィルヘルミナの方はというとヴェルニー達の会話を気にすることもなく先導して歩き始める。とはいうものの、まるで老人のようなゆるゆるとした歩みは逆にヴェルニー達を焦らせるほどに遅かったが。


「冥界の住人……ということは、ヴィルヘルミナさんは死者、なのですか?」


 実は誰もが気にしていた質問を臆することなくシモネッタ姫がぶつけた。彼女もあまり警戒心を感じられないのは温室育ちの王族ゆえか。それとも自らの身体能力に驕りがあるからか。


「いえ」


 ヴィルヘルミナは振り返ることなく答える。


(わたくし)はもともとガルダリキの魔人(デーモン)。死者ではありませんわ。大昔に身罷(みまか)った息子に一目会うためにこの地に迷い込んだのです」


 いきなりセンシティブな部分に触れてしまった。とはいえ死者の国にわざわざ住んでいるということは、多かれ少なかれ死にまつわる何かをその素性に秘めていることは当然である。周りの人間はそういうことも含めて質問しづらかったのであるが。


「あ……それは、すいません。お辛いことを。息子さんには会えたんですか?」


 気まずそうに謝罪をするものの、さらに突っ込んだことを質問してしまうシモネッタ。「教育を間違ったか」とハッテンマイヤーが一瞬嫌な表情を見せる。


 一方のヴィルヘルミナはこの質問に気を悪くしたのか、それとも別の感情を抱いているのかは分からないが、立ち止まってしまった。気まずい沈黙の空気が流れるが、しかしすぐにまた彼女は歩き始める。


「会えたと言えば会えた、会えなかったと言えば会えなかった、そんなところでしょうかね」


 何とも要領を得ない答えである。これ以上話したくないのか、けむに巻こうとしているのかとも思われたが、しかし彼女は催促を受けることなく続きを話し始めた。


「この国の姿は、事象の地平面。映るはずのないものが映る幻燈のようなもの。次元を失った全ての過去がここにあり、また未来もここにあります」


 まるで禅問答のような答え。これが何を意味するのかは博識なハッテンマイヤーですら理解の範疇の外にあった。


「この世界を構成する三軸は何か、わかりますか?」


 相変わらずヴィルヘルミナは後ろを振り向くことなく問いかける。


「それは、大地を構成する縦と横の軸、それに高さを合わせた三軸ですか?」


 ハッテンマイヤーが答える。X、Y、Zの三軸があれば地上のすべての「位置」を指し示すことが出来る。


「それにもう一つ軸を足すとしたら?」


「それは……」


「それは、時間ですか?」


 答えに窮したハッテンマイヤーの代わりにルカが答えた。


 ルカは抱っこ紐に揺られて眠っているメレニーの寝顔を見ながらリュートを優しく奏でる。吟遊詩人とは、過去の時から託された(うた)を、未来へと時を越えて繋ぐ仕事である。時の流れを見事に目の前でさかのぼって見せた幼馴染みの顔を見ていたら、自然とそんな考えが頭に浮かんだのだ。


「左様。分かってらっしゃる。この世界に生まれ出た全ての情報は、事象の地平面において一つ次元を落とし込んだ表面に余すことなく完全に含まれるのです」


「つまり、時の流れを失って過去も未来も全てがある世界……それが冥界だと?」


 あまりにも観念的で理解の範疇を越えた話。誰もがその難解さに首をひねっていた。それは答えた当のルカでさえ同じであった。


「左様。それを掬い上げて手に入れようなど、本当の英雄にしかできますまい。だから、会えたと言えば会えた、会えなかったと言えば会えなかった」


 ルカ達の理解できる範囲で言うならば、息子の姿を見ることはできた。しかし未だ時の流れの中に身を置いていたヴィルヘルミナは息子と言葉を交わし、できることならともに帰ろうと、それはできなかったということだろうか。それともこれは想像力を働かせすぎであろうか。


 いずれにしろ彼女は今その息子とともに生きているわけではないのだろう。


「ただ、過去にはそれに成功した『本当の英雄』もいたとは噂には聞きます」


 死者を冥界から連れ帰った。そんな話は神話ですら聞いたことがない。ハッテンマイヤーはもちろん、ルカも聞いたことがない話である。


「そんな話、聞いたことが……」


「さて!」


 それまでかたくなに振り返って話をしようとしなかったヴィルヘルミナが突如として振り向いた。息がかかりそうなほどに顔が近づいてしまい、ルカは発しようとしていた言葉を飲み込んだ。


「ようこそ冥界シウカナルへ。もう少し歩けば私の家で休めます。そこには塩梅も良く松の木も生えております。夜が更けてしまう前に進みましょうか。あと一息ですよ」


 まるで息を吹き返したかのように溌溂としたヴィルヘルミナの笑顔。

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