はじめての子育て
「しかし、状況は厳しいね」
サキュバスの三姉妹と別れてしばらくたつ。夜になるとこの「竜のダンジョン」の第七フロアはほとんど外の世界にいるのと変わらないように感じられる。虫の鳴き声やフクロウの声、空を見上げれば満天の星。座って寄り掛かった石壁の感覚が無ければダンジョンの中であることを忘れそうだ。
ルカ達は衣服は来ておらずとも布は持ち歩いている。本来は怪我の手当てや道具の補修に使うものであるが(決して出産の準備に使うものではない)、今は簡易的なメレニーの抱っこ紐として利用し、ルカがメレニーを抱きかかえている。理由は分からないが、メレニーは彼のもとにいるのが一番落ち着くようである。
コンスタンツ達に強要して母乳はヤギの胃の水筒いっぱいに確保したものの、そもそも子育てをしながらダンジョン攻略などできるものなのか。当然このメンバーの中に、子育ての経験のある者など、いない。
「で、グローリエン。おめえは何してんだ?」
グローリエンは床にぺたんと座っているシモネッタの目の前で炎を灯し、何やらぶつぶつと呟いていた。
「催眠術ってやつだよ。母乳は手に入れたけど、いつまで持つか分からないし、腐る可能性だってあるでしょ?」
それは分かる。実際その通りなので母乳が尽きる前にダンジョンの外に出て、山羊でも飼わないといけないな、とルカは思っていたのだが、それがなぜ催眠術とつながるのかが分からない。
「サキュバスの三人、出産したコンスタンツ以外も母乳が出てたでしょ? 体質の変化を誘発すれば、母乳が出せるんじゃないかと思って、シモネッタに試してるのよ」
「おいおい、サキュバスと人間を一緒にすんなよ。あいつらはそういう特殊性癖に対応するために出せるだけだろ!」
「まあ、やってみて損はないじゃん。……シモネッタ、あなたは子供の、メレニーのお母さん。ルカとの間に生まれたかわいい赤ちゃんのために、母乳を出しましょうね」
「ちょっと?」
ルカのツッコミを無視してグローリエンはフッと息を吹きかけて小枝に灯していた火を消した。
「……わたしは、おかあさん」
「どう? シモネッタ。気分は?」
「う~ん、なんだかふわふわする感じですけれども、特に変化はありませんわ」
「グローリエンさん? なんか変な催眠術吹き込んでませんでした?」
「気のせいよ、ルカ。催眠術はこれから毎日、母乳が出るようになるまで続けるわよ。出なくてもたまにメレニーに吸わせてみるのもしてみようか」
何とも不安なことを人に断りもなく勝手に実行するパーティーである。ルカは釈然としない気持ちになりながらもメレニーが寝ているので大きな声も出せず、その場に座り、そして道具袋からアイテムを取り出した。
「きれいね」
黄金のY字棒。ヴァルメイヨール伯爵から手に入れたものよりも少し大きい。サキュバス三姉妹から受け取ったものだ。
サキュバスが言うには以前にこのフロアをうろついていた魔人から奪ったものだという。(そのデーモンは精気を吸い尽くされて死んだとも)
「これで、二つ目……他にもいっぱいあるんでしょうか」
「ありそうな感じはするよねえ」
結局コンスタンツ達もこの黄金の棒が何なのかは知らなかった。美しい装飾が為されているものの、やはり魔力などは感じない。
たとえば、複数ある同種の宝物を集めると何でも願いが叶うだとか、神と交信できるだとか、そんなおとぎ話は世界中にあるが、実在するという話は聞かない。
そんなおとぎ話の源流となったものがこれなのか。一か所に集めたりだとか、どこかの祭壇に捧げることで初めて魔力を帯びて使えるようになるだとか、そんな話を妄想する。
しかし現状何のヒントもないのだから所詮は妄想どまりである。
「考えたって仕方ないよ。今日はもう休みましょう」
「そうですね」
メレニーの体温が温かい。こんなダンジョンの奥底で、まさか童貞のまま父親になるとは夢にも思ってなかったが、しかし悪くない。そんな不思議な気持ちだった。
ルカは寝る前に通路の奥に視線を送る。
明日はいよいよ冥府に繋がる通路があるという第八階層にチャレンジする。そこで冥界のマツヤニを手に入れられれば、今回の冒険はとりあえず撤収する手はずだ。
「ようやく帰れる」という気持ちと「まだ帰りたくない」というアンビバレンツな気持ちが同居している。体は疲弊しきっているものの、脳は興奮状態だ。もっとこのダンジョンを知りたい。この世界を知りたい。
『八階層に降りる階段の手前に、同じ物がもう一個あるわ』
まどろみの中、サキュバスのうちの一人、末妹のゾフィーの言葉を思い出す。このアーティファクトは一体いくつ存在するのか。なんに使うものなのか。なぜ黄金でできているのか。
このダンジョンは、何のために作られたものなのか。
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「ルカ、おめえひでえ顔してんぞ」
「そういうスケロクさんも」
全員である。
一応歩哨に起きている人間がメレニーの面倒を見ることにはなっていたが、彼女が夜泣きをすれば結局その大声でみな目を覚ましてしまうのだ。全員が夢と現の境をさまよいながら朝を迎えることとなった。一度寝付いてしまえば夜泣きを全くしない子というのも存在するが、どうやらメレニーはそうではなかったようだ。
「ルカ君、なんか、変な匂いが……」
「ん、まさか……いや、でも、こんな匂いなのか?」
危惧した通り、うんちであった。湿度の高いダンジョンの中、グローリエンの魔法を使えば空気中から水を抽出できるとしても、これからは一日に何度もおしめを洗わなければならない。
「ううっ、まさかメレニーの下の世話をすることになるとは……」
泣きそうな顔になりながらルカが彼女のおしめを交換し、洗濯をする。
「メレニー、まさかとは思うけどこの状態の記憶残ったりしないよね?」
全くいやらしい気持ちは起きないものの、かつての(今もそうだが)幼馴染みの糞だらけの尻を拭き、性器までも綺麗に清掃する。なんとも気まずい。
「なんというか、誰か代わってあげようとかいう人はいないんですか……特に女性陣」
「昨日は『メレニーは僕が育てる』とかなんとか言ってたじゃない」
勢いで言った言葉を呪いながら、今度はコンスタンツ達にもらった母乳を与える。水筒の飲み口に布を当てて出すぎないように加工した飲み口から、メレニーは満足そうに母乳を飲んでいる。
「サキュバスの母乳なんか飲ませて本当に害はないのかしらね……あ、ほらルカくん、飲み終わったらげっぷさせてあげないと」
頭を肩に乗せて縦に抱きかかえて背中をさする。げっぷですら一人ではできないのだ。
「けふうぅぅ……ごぽっ」
「あっ、吐いた! タオルタオル!」
本当に、こんな状態で冒険などできるのであろうか。




