そして父になる
「メレニーならここ。私の子宮の中よ」
「貴様ァ!!」
幼馴染みを奪われ……奪われ? 捕らえられ……捕らえられ? なんだろう、よく分からない。よく分からないが、メレニーを孕ま、され……違う。孕まれて、ルカは怒り狂った。
ストラップを外し、リュートでコンスタンツに殴り掛かる。
「あっ、待って」
しかしコンスタンツが小さな声を上げて腹部をさする。ただでさえ何が起こっているのかよく分からないのだ、予想外のアクションをされてルカは立ち止まった。コンスタンツはいとおしそうに自らの腹部を撫でている。
「今……蹴ったわ♡」
なんと、メレニーはコンスタンツの胎内で生きているのだ。生命の神秘。
「え、ホントに?」
ルカはリュートを脇に置いて、コンスタンツの腹部に耳を当てる。確かに小さな命の胎動を、彼は感じた。
「ああ、なんだか酸っぱいものが食べたいわ」
「あ……ハッテンマイヤー、確か疲労回復のためのレモンが荷物の中に」
「畏まりました、シモネッタ様」
流れが変わったと言わざるをえまい。
「ルカくん、妊婦に手を上げるなんてサイテーね」
「ぅ……」
「いいのよ。ルカもお父さんになるってことに、きっと戸惑っているのよ」
「僕お父さんなんですか」
グローリエンに責められて、コンスタンツに庇われる。なんなのかこれは。ルカは静かに脇に置いたリュートを再び身に着け、曲を弾き始める。柔らかく、温かい曲。心を落ち着けるにはうってつけの曲だ。
「僕にできるのは、せめて胎教に良い音楽を奏でること……」
その美しい音色に誰もが酔いしれる。日もだんだんと傾いてきたダンジョンの中(これもまた奇妙な現象であるが)、安らかな時が流れた。ここにいる誰もが、生命の喜びを噛み締めていた。生きる喜びを五感で感じていた。
だがそんな中、少しずつコンスタンツの息が荒くなってきた。いったい彼女の身に何が起きたのか。
「うぅ……陣痛が……」
「なに? 生まれるのか?」
容体が変化したのだ。どうやら生まれそうらしい。みるみるうちにコンスタンツの息が荒くなっていく。
「ひっひっふー、ひっひっふー」
「男は外に出て! ゾフィー、ありったけのお湯を沸かして、それと清潔な布を用意して!!」
「外ってここダンジョンなんだけど……」
突如としてイングリッドが元気になり、女性陣に指示を出し始めた。
外、とはいうものの、なぜか外のような作りのダンジョンの中。まさか別の階層に行くわけにもいかず、仕方なく男性陣はダンジョンの通路を曲がった先に移動した。
そもそも敵味方共に全裸が普通のこの集団で男性陣が退避する必要性があるのかどうかはともかくとして。
(……何やってんだ僕)
遠くで女性陣の喧騒を聞きながら、少し位置的に離れたことでルカは冷静になってきた。
本当に、何やってるんだ、と。なぜこんな流れになったのか、と。
とりあえず、一時はメレニーが行方不明になってしまったのかとも思ったが、どうやら彼女は生きてはいるようだ。但しコンスタンツのお腹の中で。これはホッと一息ついていい状態なのかどうか。
メレニーはレベルドレインを食らって胎児まで戻ってしまったのだろうか。無事出産されたとして、彼女は元に戻るのか。疑問は尽きない。
尽きないが、今はどうすることもできない。何しろ出産は命がけの作業なのだ。気ばかりが焦るが何もできることがなく、ルカは手持無沙汰でその辺りをうろうろと歩き回ることしかできなかった。
「落ち着けよ、ルカ」
スケロクが声をかける。
「情けねえよな。こういう時男はなにもできねえんだもんな。だがなルカ、お前も父親になるんだ。せめてどおんと構えて落ち着いていろ」
「えっ……僕、父親になるんですか? 僕の子なんですかあれ?」
その言葉を聞いた瞬間、ヴェルニーの平手打ちが彼の頬を叩いた。
「見損なったぞルカ君。この期に及んで認知しないとでもいうつもりか!?」
「ええ……?」
「女と違って、男は子供が出来て何か変わるわけじゃない。実感もないかもしれない。だから、ゆっくりと、子供と一緒に成長して、そして父になるんだ。君の戸惑いも、誰もが通る道なのかもしれない。だが、決して母親の前でそんなことは言うなよ」
「母親って……コンスタンツですか?」
そもそも彼女はお腹の子の母親なのか。それも何か違う気もする。
「分かりました……覚悟を決めます。でも、顔は叩かないでください。首が取れると面倒なんで」
「そこはすまなかった」
女と違って、男が親になるには、父親になるには、時間が必要なのだ。この戸惑いも、そのために必要なことなのだろう。だがこの数分のやり取りで、ルカの表情も変わったように感じられる。
「大変、足から……」
「まさか、逆子?」
通路の向こうから、女性陣の喧騒が聞こえてくる。
「メレニーは頭から飲み込まれたから、どうやら逆子状態みたいだな……どちらにしろ僕達に出来ることは何もないが」
「あっ、そこはそういう扱いなんですか」
ルカは大分混乱している。
てっきりサキュバスの精神汚染か何かを受けてヴェルニーもスケロクも正気を失っているのかとも思ったが、別にそういうわけではないらしい。メレニーがコンスタンツのレベルドレインを受けて膣に吸い込まれたことはちゃんと覚えているようである。
いずれにしろ彼らには待つことしかできない。いつの間にか完全に日も暮れ、辺りを暗闇が包んでいる。通路の向こうではどうやらグローリエンの永続光で照らして出産を続けているようだが。
遠くから聞こえてくる喧騒に紛れて、虫の鳴き声が聞こえてくる。どうやらこのダンジョン、ヴェルニーが言っていた通り本当に生態系が構築されているようだ。
「おぎゃあ、おぎゃあ」
そんなとき、ついに赤ん坊の声が聞こえてきた。ルカ達三人は顔を上げて通路の向こうに気をやる。
ゆっくりと、サキュバスの一人、ゾフィーが歩いて近づいてきた。
「生まれましたよ。元気な女の子です。お父さん」
矢も楯もたまらずルカは走ってコンスタンツ達の下に駆け寄る。髪も乱れ、大分焦燥しているようであったが、コンスタンツは赤ん坊を抱きかかえて寝ていた。
「メレニー……」
「名前、考えてくれていたのね」
考えたも何もメレニーである。
ルカがおそるおそる指を伸ばすと、それを小さな、小さな手がぎゅっと握った。
「メレニー、あなた、パパが分かるのね……」




