レベルドレイン
柔らかい道と書いて柔道と読む。
おそらくスケロクはその意味をこの時、十二分に理解していたことであろう。自分よりも軽く、柔らかい体にのしかかられて身動きが取れなくなってしまっていたのだから。
「ハッテンマイヤー、これって、シックスナイ……」
「上四方固めです!!」
「いえ、完全にシックス……」
「上四方固め! 上四方固め!!」
口は禍の元。滅多なことを言うものではない。スケロクが下になり、イングリッドが上。互いの上半身と下半身が陰陽陣のように入れ違いになって絡み合った状態。間違いなく上四方固めである。
「ふふふ、サキュバスを甘く見たわね。淫魔に寝技で勝とうなんて百年早いのよ」
余裕のイングリッドに対してスケロクは言葉を返さない。腹に押しつぶされて言葉を発せないのか、それとも何か逆転の目を探っているのか。
「本当ならガードポジションからファックスの形に持っていきたかったけど、準備ができていないとファックスの形には持っていけないわ。しかしこの形に持ってくれば『準備』が出来る。口淫矢の如し。覚悟するがいい!!」
そう言ってイングリッドは前方に飛びかかる。具体的に言うと、イングリッドにとっての前方なのでスケロクにとっては下……いや、具体的に言うのはやめておこう。危険だ。
「甘く見てるのはてめえの方さ」
そうだ。この男が何もせずに一方的にヤられるなどあり得ないのだ。相手の攻撃の瞬間を、無防備になるその一瞬を待っていたのに違いないのだ。
スケロクはヨガの秘術によりストレッチなどというレベルではない、体のありとあらゆる部位を自由自在に操作することが出来る。イングリッドは自分の体の下でスケロクの腹部が異様な動きをするのを感じた。
不随意筋を随意に動かし、自律神経を律する。血流を操作して血を止めることも、逆に早めることも。そして体の一部に血流を集中させることもできる。
すなわちその力を使用して、体の一部に血流を集めて、硬直させたのだ。
「キャアッ!!」
次の瞬間、イングリッドが悲鳴を上げて転がった。固め技から脱したスケロクは即座に起き上がって間合いを取った。
「め、目が……目に刺さった!!」
ナニが。
ナニが刺さったのか分からないが、どうやらナニか硬くて細長いものが彼女の右目を突いたようである。ナニかは分からないが。
「どうする? まだ続けるか?」
「クッ……」
進退窮まったイングリッドは周囲を見回して何か勝ち筋がないか探しているようだ。
「というか、結局おめえは何がしてえんだよ」
冷静になってみればそうである。初手から淫魔としての誘惑に失敗しているのだ。ならば隙を見てもうそのまま逃げればいいのになぜ戦うことになったのか。
「……淫魔にだって、誇りはあるわ」
それほどまでに、ヴェルニー達の「全裸探索スタイル」は彼女たちの誇りを傷つけたのだ。なにか一矢報いねば。たとえ命に代えても。そう思ったのだろう。
人はパンのみにて生きるに非ず。とくにこんな場所で生きていくにはなおさらだ。それは、ナチュラルズの面々にしても同じはずである。
彼らほどの実力があれば危険なダンジョンなどに潜らずともどこぞの豪商の用心棒でもしていればとりあえず食うに困ることなどないのだ。それをせずに冒険者を続け、そしてダンジョンへと足を運ぶのはひとえにその冒険者としての矜持と未知への憧れゆえ。心も生きていなければ、人とは言えないのだ。
「スケロク……」
ヴェルニーが小さく呟くと、スケロクは頷いた。彼も冒険者だ。分かるのだろう。
「ざぁんねんだったな! てめえらみてえなザコに誇りなんざ必要ねぇんだよ! 家に帰ってミルクでも飲んでろ!!」
分かってなかった。人の心とかないのかコイツ。
「動くな!」
「くそっ、なにすんだよッ!!」
全員が注目していたのとは別の方向から声が聞こえた。振り向くと、メレニーがサキュバスのうちの一人、コンスタンツに捕まっていた。後ろから飛びつかれて足によって首を4の字に固められている。
「クッ、しまった!」
「スケロクが挑発するから!」
少し気を抜けば頸動脈を絞められてしまう。下手すれば首をへし折られるかもしれない危険な状態である。
「くそっ、はなせ! ヘンなとこ首に押し付けやがって、性病がうつったらどうしてくれんだよ!!」
「持ってないわよそんなモン!!」
形としてはコンスタンツがメレニーを人質に取った形ではあるが、しかしその先はどうするつもりなのか。
「逃げるつもりなら追ったりはしない。人質なんか解放して、どこかに消えてくれ」
ヴェルニーもそう声をかけたが、しかし彼女らの精神はもう追い詰められているのだ。もしかするとスケロクの一言が最後のとどめになったのかもしれない。
「ふ、ふふ、こうなりゃ一人でも道連れにしてやるわ。サキュバスを甘く見た事、後悔させてあげる!」
完全に自棄になってしまっている。せめて外見上一番弱そうだったメレニーを道連れにして華々しく散ろうというのだ。慌ててヴェルニーが剣を構えるが、しかしもう遅かった。
「くらえッ! 小陰唇拳法最強奥義、『レベルドレイン』を見せてあげるわッ!!」
「ぐおッ!!」
その言葉と同時にまばゆい光がコンスタンツの股間から放たれた。
上位のサキュバスのみが使えるという、伝説上の必殺技、『レベルドレイン』。通常のサキュバスが使う技のように対象の『精気』を吸い取るのではなく、『強さ』を吸収する技と伝え聞かれる。
その技を使われたものはそれまでに蓄積した技術や、力を奪われ、無力化してしまうという空前絶後の嫌がらせ技。
光によって視界を奪われていたヴェルニー達もようやく目が慣れてきたころ、辺りは異様な雰囲気が包んでいた。
「め、メレニーは? メレニーはどこに行ったんだ?」
ルカが慌てふためく。彼の言う通り、コンスタンツの足にからめとられて身動きが取れなかったはずのメレニーがその場から消失していたのだ。
その代わり。
その代わりと言っては何なのだが、他にももう一つ、発光が始まる前との相違点にルカ達が気付くのはそう時間がかからなかった。
「その……お腹は?」
コンスタンツの下腹部が、異様に膨れている。
そう、まるで妊婦が如き様。此は一体如何なることなのか。
「メレニーを……メレニーをどこにやった!!」
脂汗を滴らせながら怒号を上げるルカ。しかしコンスタンツは余裕の笑みを浮かべ、自らの下腹部を指さして言った。
「ふふ、まだ分からないの? 彼女はここ、私の胎内よ。レベルドレインによって赤ん坊の状態まで弱体化させ、私の胎内に引き込んだ」




