悪魔公爵アストリット
「俺は今めちゃくちゃ機嫌が悪ぃんだよ」
ダンジョンの中に緊張感が漂う。まるで空気が今にも割れそうなガラスになったかのようだ。
「スケロク……」
ヴェルニーが声をかけるが、それ以上の言葉が出なかった。目の前で仲間を失った男に、かけられる言葉などないのだ。
今この男と戦う事は得策ではない。それだけは間違いない。目の前にいる上級魔人が何者であるかの情報は一切無い。だが、これまでの立ち位置、挙動から見てユルゲンツラウト子爵以上の実力者であることは間違いないだろう。
そして如何にして暗黒回廊の向こうにいた筈なのに反対側に回り込んだのかも不明である。今戦わなければその謎が解けるというわけではないが、少なくとも疲弊しきっている今は闘いは避けたい。それがヴェルニーの本音だ。
「分かってる、ヴェルニー」
ふう、と小さく息を吐く。当面の衝突は避けられただろうか。とはいえ向こうが「見逃してくれる」とは限らないが。
「素晴らしい戦いだった。ひよっことはいえ、ユルゲンを倒すとはな」
パンパンと拍手をする。強者の余裕というものか。スケロクは歯を食いしばり、怒りをかろうじて抑えているようだ。
「ふざけんなよこのくそデーモンが!!」
メレニーの怒りが爆発した。
「なに余裕ぶっこいて拍手なんかしてんだ偉そうに!!」
「ちょ、ちょっと。メレニーさん?」
やめろ。何をブチ切れているんだ。相手を刺激するような事をしないでくれ。その場にいる誰もがそう思った。先ほどまで怒りを何とか押し殺していたスケロクですら、怒髪天となったメレニーを見て急速に冷静さを取り戻していった。それにしてもなぜここまでキレているのか。それが分からない。
「あたしのルカをひどい目にあわせやがって!」
そこか。
「あ、あの~、メレニー? あのね? 僕もこうして助かったわけだしね? ここは穏便にね? もうよくない?」
これを「助かった」と言っていいものかどうか。相も変わらずルカの首は取れたままではあるが、しかしまあ生きているのは生きている。というか、メレニーは知らないことではあるが、ルカの首が落ちたのとあの魔人達は何の関係もないのだ。
事情を知っている者からすれば、どうかここは大人しくしていてほしい。しかし本当の事は言えない。少なくともメレニーのこのブチ切れ様を見たら。
「よかないよ! 人の生き死にを、拍手して喜ぶような奴なんて生かしておいていいはずないだろ!!」
まあ一理ある。
しかし一理あるものの、なぜよりによってお前がキレるのだ、という気がしないでもない。
ヴェルニー達からしてみれば、「お前がデーモンを挑発して、どうせ戦うのは俺達なんだろう?」というところだ。
先ほどの戦い。戦闘への貢献度で言えば最も役に立っていないのはハッテンマイヤーであることは間違いないが、その次は誰かと言えば、間違いなくメレニーであろう。(その次はルカ)
そのメレニーが、勇ましい事を口にしてデーモンとの戦いの口火を切ろうとしているのだ。ヴェルニー達からすれば、そりゃあモチベーションが上がらないのも無理はあるまい。
ちらりとルカはデーモンの方を見る。
仮面をしているのか、それとも元々そんな顔なのかは分からない。しかしその相貌は杳として知れず、表情を読むこと此れ能わず。
もちろんルカが気にしているのはあのデーモンがここで退いてくれるのかどうか、という事である。
「我が名は、アストリット。悪魔公爵の渾名を冠する者なり」
公爵。貴族位の最高位階であり、人間であれば王の親族であったりすることが主であるが、ガルダリキにおいてはおそらくそれほどの実力者である、ということを指すのだろう。
そんな奴とは、絶対戦いたくない。
戦うにしても、今はイヤだ。それがナチュラルズの全員一致の見解である。
「何が公爵だ偉そうに!」
「いやあの、メレニー? 偉そうにじゃなくって偉いんだと思うよ、実際。だからね? そういう人に対してはある程度敬意を持ってだね」
ルカが自ら火消しに入る。ルカを殺されたことを根に持っているのならば、殺された本人が宥めればきっと聞くはず。道理である。
「ルカは黙ってて!! あたしが許せないっつってんのよ!!」
無理が通れば道理は引っ込む。
「メレニーさんの言うとおりですわ」
ニューチャレンジャーカムズヒア!
「私のルカ様を害した者の仲間、私も許せませんわ」
「その意気です、シモネッタ様」
黙っていたら面倒なのが増えた。
どうやらいきり立つメレニーを見てるうちに「もしかしたらルカへの絶好のアピールポイントになるのでは?」と判断したようである。そしてそれをハッテンマイヤーも後押しする。
「とにかくルカに謝れ! 貴族の豚め!!」
「あっ」
止める間もないほどの早業であった。メレニーがあろうことかアストリットに石を投げつけ、しかも頭にヒットしたのだ。
ナチュラルズのメンバー全員に冷や汗が流れる。
アストリットの方は特に反応はない。さきほど自己紹介をしたきり黙ったままだ。これはいったいどういう感情なのか。
内心激怒しているのか。それともあまりに実力差がありすぎてガチョウがガァガァ鳴いている程度に思っていて、歯牙にもかけていないのか。その心を推し量る方法は、ない。空気が凍るような緊張感。
間違いなくアストリットは、あのユルゲンツラウト子爵よりも強いのだ。それもはるかに。ナチュラルズのメンバーは、慎重にアストリットの動きを観察し、警戒している。おそらく奴が本気になれば、それこそルカのように一撃で首をとばされるようなこともあるかもしれないのだ。
「なんとか言ったらどうなんですの」
「ちょっと!!」
調子に乗ったシモネッタがアストリットの頭をバシバシと叩く。本人的には軽く叩いているだけのつもりなのかもしれないが、大きさのスケールが常人とはかけ離れているのだ。叩く度にアストリットの身体がガクガクと揺れ、ローブに縫い付けられている装飾品がボトボトと床に落ちる。もしダメージになっていなくともこれだけされて「気にしない」などという事はないだろう。
「そうだよ! なんとか言えってんだよ」
さらにメレニーがげしげしと脛を蹴る。この二人、放っておくと際限なく調子に乗りそうだ。
「ちょっと! 本当にやめて! いくら何でも失礼が過ぎるでしょ!!」
ルカも必死で二人を止めようとするが、いくら何でも遅きに失した感が強い。
「ルカさあ、気にしすぎなんだって。こいつ絶対ビビってんよ。大したことないってこんな奴」
挙句にアストリットに肩を組んでぐいと引っ張りながらそんな事を言う。もう完全にホラーもので最初にやられるヤンキーの仕草である。
「この方もきっと、小物のくせに公爵なんて分不相応な役目を与えらえてどうロールプレイしたらいいか悩んでいるんですわ。ねえ、アスちゃん」
ケツの穴のような呼び名で公爵を呼びながら、シモネッタは引き続き彼の頭をバンバンと叩く。
「あなたもお辛いんでしょう? よかったら私が相談に乗って差し上げますわ」
挙句の果てに勝手に人生相談を始める始末。ここまで来るともうナチュラルズの面々は「なるようになれ」と事態を静観することにした。それにしてもなぜここまでされてノーリアクションなのか。
「あのさあ」
ここで戦々恐々としていたナチュラルズの一人、グローリエンが声をあげた。
「もしかして、公爵はここにいないんじゃない?」
「え?」
その刹那、乱暴に扱いすぎたのか、とうとう公爵の頭部が床に落ち、ガランと音を立てて転がった。首の部分から覗くローブの中身は、どうやら何者か生物の骨の集まりのようである。
「公爵は最初っからここにはいなくて、それは写し身かなんかなんじゃない?」
そうかなるほど、とヴェルニー達は安心する。要はこの場の観察をするためだけに作られた端末に過ぎなかったのだろう。ならばここまでの無礼もチャラだ。
と、安心しきりのところ、公爵の転がった頭部が唐突にまた口を開く。
「お前らホント覚えとけよ」




