鉄球
「な……」
思わず言葉を失い、それだけでなく手も止めてしまった。
目の前に現れた鉄球、これは何を意味するのか。
もちろん目の前でユルゲンツラウト子爵がこれに変身したのは見ている。これが防御の体勢なのも分かる。しかしこれでいったいどうするつもりなのか。まさか体力が回復するまで防御に徹するつもりか。だとしたらあまりにもお粗末すぎる。
ヴェルニーは道を開ける。
簡単な話だ。さっきは設置型の罠でほんの五秒ほどだったから耐えられたが、相手が防御に徹するのなら改めて蒸し焼きにすればいいだけの事。グローリエンの魔法の通り道を開けたのだ。
しかし不動の構えを見せて防御に徹すると思われたユルゲン鉄球はグローリエンが杖を振り上げるより先に動き出した。
いや、動き出したなどという生易しいレベルではない。まるで砲弾が発射されるかのように突然横移動をして通路の壁にめり込んだ。
関節を折りたたんで球状になっているユルゲン。手足と背中にある無数の外骨格の継ぎ目を「脚」として利用して転がり出したのである。
「転がり出した」などと言ってよいものかどうか。そんなレベルのスピードと迫力ではない。通路の壁にめり込み、そのまま壁の向こうに逃げるのかとも思えたが、ユルゲンは回転を生かして壁を登り始めた。
「下らねえ悪あがきだ。転がってやり過ごそうってか!」
「丸まった状態で外は視認できない。その場しのぎに過ぎない」
そう言って剣を構えるスケロクとヴェルニーであったが認識が甘かったと言わざるを得ない。何しろユルゲンが「壁を登り始めた」と思った頃にはすでに天井を走りはじめ、今度は反対側の壁を転がり降りる。
こちらの位置を確認するために顔を出すだろう、そこを狙えばよいと考えていたヴェルニーの期待は見事に裏切られた。ユルゲンはそのまま頭を出すことなく鉄球の状態のままスパイラル上に通路の内部を転げまわったのだ。
「まさか! このまま滅多矢鱈に転がりまわって蹂躙するつもりか!!」
どんなに強い相手でも攻撃の瞬間というものは無防備になる。そこをカウンターで狙って行けば必ずダメージを与えられるものだが、このユルゲンの鉄球形態の攻撃は完全に攻防一体の型であった。
「暗黒回廊に逃げ込め!!」
回転を続けながら螺旋状に進んでくるが、規則的な動きではない。動きの予測がしづらく、ヴェルニーの言うとおり「滅多矢鱈」な攻撃を凌ぐために彼らは暗黒回廊にまで引き返していった。
「む、何だこの場所は。真っ暗で何も見えん」
ユルゲンは一旦回転を止め再度ヴェルニー達の位置を確認しようとしたがそこは暗黒回廊の中。ヴェルニー達はユルゲンよりも奥に逃げ延びて、息を潜めている。
「ふん、暗闇に隠れて反撃の機会をうかがう、か。もしくはただ逃げ回っているだけか? いずれにしろ時間の問題だ」
少し息を整えて、再びユルゲンは球体になる。彼自身は魔法は使えないが、しかし魔力の気配くらいは感じ取ることが出来る。この回廊に、近くにいることは間違いないのだ。多少時間がかかっても、すでに詰んでいる。球は、転がり出す。
「ヴェルニー、まずいぜ」
「分かっている。何か手を考えないと……」
「そうじゃない。また誰か来やがった」
悪い事とは重なるものである。これ以上まだ何か来るというのか。
「また上階からだ。何者かは分からんが、かなり体重のある足音だ」
ただの巨漢なのか、それともオークなどのモンスターの類か。今はそれすらも分からない状態ではあるが、しかし下手すれば挟み撃ちにされかねない。だからといってまごついていると通路の無効からはユルゲンが迫ってくる。今も回転音と通路を破壊する音が聞こえる。
「暗黒回廊内にもいくつか分かれ道はあった。脇にそれて隠れるか?」
「いや、それはまずい。その通路の先を把握していない以上追い詰められる可能性がある」
あの状態のユルゲンに袋小路に追い詰められたら、それこそ抵抗すらできなくなるだろう。
「その新しい侵入者と、ユルゲンをぶつけたら?」
発言したのはメレニーであった。
「え? いや」
何を言っているんだ。ヴェルニーはそう言おうとしたが、しかしよくよく考えてみればそう悪い考えでない気もしてくる。
「あいつ、転がってる間は外を視認できないんでしょ? じゃあその侵入者をあいつに倒させてさ、アイツが倒した相手を確認しようとして顔を出したところを叩けばいいんじゃない?」
しばし沈黙してヴェルニー達はメレニーの考えを検討する。
「変身を解いた瞬間、俺の小太刀やヴェルニーの剣を差し込む。さっきの攻撃を考えるとそれじゃあ倒しきれないかもしれないが……」
「私の炎を、アイツはわざわざ球形になって凌いでたよね? ってことは人型の状態だと凌ぎきれないから……」
「剣を差し込んで変形を阻害すれば、グローリエンの魔法が効く?」
「いやいやいや、ちょっと待って下さいよ!!」
しかしヴェルニー達三人の会話にルカが割り込んできた。ちなみに彼は今、自分の首を両手で抱えた状態である。
「侵入者が誰か分からないんですよ? もし人間で、ユルゲンに殺されちゃったらどうするんですか!」
「大丈夫だよ!」
それをさらにメレニーが止める。たとえ殺されても自己責任だろう、とでも言いたいのか。それとも何か案でもあるのか。
「殺されても蘇生魔法で生き返らせればいいじゃん」
そう来たか。
「あのね、メレニー」
どう言ったものか。
蘇生魔法。
そんなもの存在しないのだ。とっさに出た口から出まかせである。
「蘇生魔法は、一日に……いや、一生に一回しか使えない魔法なの」
「最初一日に一回って言おうとしなかった?」
「言い間違えただけよ」
これで理解してくれただろうか。大分苦しい説明ではなかっただろうか。グローリエンの脳裏には不安がよぎるが、まあこいつアホだからなんとかなるやろ。
「そんな」
暗黒回廊の中なので声色と音だけの判断となるのだが、メレニーはぽたぽたと涙を落として泣きだした。なぜこんなに情緒不安定なのか。自分の案が受け入れられなかったのがそんなにショックなのか。
「そんな貴重な魔法をルカのために……グローリエンさん、ありがとう……本当にありがとう」
心が痛む。
「みんな、もうあまり時間がない。ユルゲンも近づいてる。僕が決断するぞ」
「いいぜ」
「OKよ」
「わ……分かりました」
侵入者の身に危険が及ぶという欠点はあるものの、しかしメレニーの案自体は悪くはない。
「一気に暗黒回廊の入り口側(第五階層側)まで走るぞ。侵入者は暗黒回廊の手前でその先に進むかどうか躊躇してるはずだ。そこでユルゲンとぶつけ合う!!」
「異議はねえぜ!」
「いいわ」
もはや細かいところを調整している時間はない。ユルゲンはすぐ後ろまで来ている。是非もなし。全員が暗闇の中を走る。
「あと五メートルほどだ! 侵入者もそこにいる!」
しっかりと頭の中に距離感覚を持っているスケロクが暗黒回廊の出口を知らせる。光の中に出た瞬間鉢合わせになるはずである。ヴェルニーの剣を持つ手に力が入る。
「出るぞ!」
その声と共に暗闇から抜け、そして侵入者と対面する。
「うわあッ、姉上!?」
「ジェリド王子!?」




