闇の中
「あの~、ちょっと、いいかな?」
「わっ! 誰!?」
「せむし男のダンジョン」の第六階層、暗黒回廊にてメレニーは突如として何者かに声を掛けられて面食らった。
ガチャリ、と金属音をさせてシモネッタが大盾を構える。『オニカマスの残り滓』と自嘲的にメレニーが名付けたこのパーティーの必勝の構えである。
メレニーが索敵し、敵を見つければ重装兵のシモネッタが大盾を構えて突っ込む。相手の体勢が崩れればあとは全員でタコ殴りである。単純だが強い。
何より良いのがこのダンジョンの中にはシモネッタを越える体格のモンスターがほとんどいないことだ。まっすぐ立つと彼女の身長はダンジョンの通路の天井に届きそうなほどの大きさである。
暗黒回廊の中でもその作戦は同じ。物音がすればメレニーが敵の位置を知らせ、シモネッタが突っ込む。ちなみにハッテンマイヤーは二人の世話が主な仕事である。一応武器は持っているが。
しかし、ここにきて突如二メートルほどの距離まで近づいてきた「何者か」に全くメレニーが気付かなかったのだ。足音もせず、気配も感じなかった。もちろん声の主はスケロクである。
「あの~、ほら、あれ。あの、俺だよ。俺」
オレオレ詐欺である。
「ええと、スケロクさん?」
「そうそう!!」
なんとも要領を得ないスケロクの態度。彼は衣服を着用している時としていない時で性格が豹変するきらいがある。
しかし、気心の知れたヴェルニー達の前で横柄な性格になっているのか、それとも衣服を脱ぐことで自分を解放しているのか、実は彼自身もよく分かってはいない。よって何も見えない暗闇の中、あまり親しくもないメレニーに対しての、要するに立ち位置を掴みかねているのである。
「いや、ちょっと裁縫道具を貸してほしいんだけどな?」
唐突。
これがギルドの喫茶エリアで雑談をしているところに話しかけてきたのならばまだ分かるが、ダンジョンの深層で半歩先すら見えない暗闇の中、突如現れて言うセリフではない。
「え? まあいいけど……」
しかしあまりにも異常なことが起きすぎて感覚のマヒしているメレニーはそれに応じた。ごそごそと荷物のバッグを漁り始める。
「待って下さい」
しかしそれを止める声があった。ハッテンマイヤーだ。
「ダンジョンの中には、『シェイプシフター』と呼ばれる類の魔物が現れることもあると聞きます」
シェイプシフター、つまりは姿形を自在に変化させて、人を騙す魔物である。暗闇の中なのでシェイプシフターの変化自体にはあまり意味は無いが、声色を使って騙している可能性はある。
とはいえ、騙されたからなんだというのか。裁縫道具を盗まれたところでそれほど痛手ではない。
「わ、わかったよ、用心しろってんだろ?」
暗闇の中、メレニーはスケロクの方に手を伸ばす。真っ直ぐ手を伸ばすとすぐにスケロクらしき物体に触れた。
「ん? なんだこれ? なんか、しっとりした質感……どういう布地の服着てるの?」
服など着ていない。それはスケロクの肌である。
「んっ♡」
「なんだこの突起? なんかゴミがついてるよ」
それは乳首である。
「えいっ」
「あぎゃあっ!?」
乳首を千切られそうになった。重大インシデントである。
「わっ、なに? 大丈夫?」
「落ち着いて、メレニーさん。まだスケロクさんと決まったわけではないですよ。油断しないで」
痛みのあまりに声をあげられないスケロクの代わりにハッテンマイヤーが答える。
「今度はもうちょっと下の方を調べてみましょう。何かわかるかもしれません」
とんでもないことを提案してくる。だんだんスケロクは「この女、全てわかった上でわざとやってんじゃないのか」と思い始めた。
「スケロクさんはニンジャと聞きます。という事は何か暗器を隠し持ってるはず。腰の辺りに棒手裏剣を持ってるかもしれないから、それを引っ張ってみましょう」
確実に分かった上でやっている。スケロクは恐怖心を覚えた。というか衣服に何か突起物がついているからといっていきなりそれを引きちぎろうとするメレニーも大概であるが。
「ま、待て。分かった。もう信じなくていいから。そこに裁縫道具置いてくれ。それ拾ってもう行くから! それなら大丈夫だろ!」
「ええ? でも……」
スケロクが偽物で、襲撃されるのを危惧しているのならばそれでいいはずである。というか現状襲撃されているのはスケロクの方であるが。
「裁縫道具無くなっちゃうじゃん」
キレそう。
こっちゃ暗闇の中で乳首引っ張られて、その上でお前の彼氏の治療をするために裁縫道具を借りたいと言っているのに、たかが裁縫道具を失くしたくない、程度の事で何をごねているのか、という所がスケロクの心情である。尤も半分くらいはメレニーの知り得ないことではあるが。
「もういいでしょ? お願いだから裁縫道具くらい貸してよ。お礼はするからさあ。何でそこまで疑り深いんだよ」
半泣きで、大分情けない声色を出していたように感じられた。それがスケロクのニンジャとしての戦略なのか、それとも本心からの行動かは分からなかったが、これは流石にメレニーも「憐れ」だと思ったようである。
「ええ? まあ、じゃあしょうがないか」
そう言って目の前に裁縫道具の入った小さな木箱をコトリと置く。スケロクはその小さな音だけで十分に位置を把握できる。すぐさまそれを拾い上げて引き返そうとしたが。
「あっ、スケロクさん、案内してよ」
「え?」
当然と言えば当然の仕儀であったが。
「いやさあ、こぉんな真っ暗ん中で難儀してたんだよね。でもスケロクさんがいるなら安心だからさ。ルカ達と一緒にいるんでしょ? 案内してよ」
参った。
それではルカの首を縫い付ける時間を取れないのだ。しかしこうなることは火を見るよりも明らかであったはずである。




