地上か、地下か
ルカが目で訴えかける。感情が高ぶり、ヴェルニーに抗議しようと大きく息を吸い込んだところ、血を吐いてしまった。
「無理をするな、ルカ君。地上に一旦逃げて、治療をするんだ。このままじゃ死ぬぞ」
「死……」
シモネッタが青い顔をする。現在このパーティーの中で回復魔法が使えるのはルカだけである。そのルカがこのザマなのだ。
その事実を知ってか知らずなのか、悪魔公爵アストリットはルカを攻撃した。もしくは、三位一体の彼女の体の秘密を看破したルカを危険視したのかもしれない。いずれにしろその狙いは大岩に楔を打ち込むが如く最小の動きで最大の効果を発揮した。
「逃がすと思うか? ルカといったか……それと、老いぼれ。私の能力を無効化する二人はここで必ず始末する」
「ひっ……」
老爺の吟遊詩人ホルヘ・パルドは小さな悲鳴を上げてシモネッタの影に隠れる。先ほどの様な投擲攻撃を恐れているのだろう。如何に老人といえども女子供を盾にして自分の身を守るという行動の是非は置いておいて、これではっきりとわかった。
アストリットはピンチなどに陥っていないのだ。むしろここで一気呵成にヴェルニー達が撃ち込んできさえすれば、それを機に反撃によって全滅を狙っているのである。
それに気づいているからこそ、グラットニィは自分が時間稼ぎをしてヴェルニーを逃がそうとサインを送ったのだ。
状況は先ほどまで、暗黒回廊での作戦を始める前までとは変わっている。アストリットの能力と体の秘密が明らかとなった今、ルカ達は「ここで一気にケリをつける」よりは「一旦退いて体勢を立て直す」方が有利となったのだ。だからこそアストリットは彼らを逃がしたくない。それに気づいたからこそグラットニィは自身が殿を務めてでも退きたい。
そして互いにその意図が明らかとなった今、演技はもう不要であろう。
「さっさと行け! ヴェルニー!! 俺も後から行く!!」
「フフ、そうはいきませんよ」
激しく打ち合うグラットニィとアストリット。しかし、やはり手数が違う。このデーモンを一人で食い止めるのは厳しい。そう思われた時であった。
「加勢するわ!!」
ぼろきれがふわりと宙に舞うように。アストリットとグラットニィの間に流れ、そして鋭利に斬りつける。
「クレッセンシア!!」
あの手数を一人で食い止めるのは難しいと判断したのだろう。風のように割って入り、クレッセンシアが加勢する。上半身二体に二人でもってあたれば、確かに数の上での不足はあるまい。
「行くぞ、ルカ君。走れそうか?」
「な、なんとか……」
か細い声でルカが答える。シモネッタに支えられてやっと立っているように見えるが、傷はいったいどの程度なのか。地上に戻るまで持つのか。ヴェルニーとシモネッタの表情には焦燥の色が見える。
「そうはいかない」
クレッセンシアとグラットニィの向こうにいるアストリットが声を上げる。「この上まだ何か隠し玉があるのか」と後ろを警戒しながらもできるだけ距離を取ろうとするルカ達であったが、聞こえてきたその「音」に思わず足が止まった。
コオオオォォォン……と高く、通る金属の音。確かに聞き覚えのある音。まさかそれをこの状況で聞くことになるとは思ってもみなかった。
「なんだその武器は? 何のつもりだ!?」
初めてそれを見るグラットニィにはそれが何なのか理解できなかったようである。
しかしルカには分かった。
よりにもよって、こんなところでそれを見ることになるとは。よりにもよってアストリットがそれを手に入れているなどとは思いもよらなかったが。
「黄金の音叉……」
「ダンジョンの外に逃げようなどと思うなよ。もしこのダンジョンから出れば、この音叉は私が握り潰し、金塊にしてどこぞへ売り飛ばしてやるぞ」
思わず声を大きくしてしまったルカは苦しそうに胸を押さえる。
これで、ダンジョンの外に逃げるという方法をとることはできなくなってしまった。
「音叉のことは諦めるんだ。外に逃げる。いいね?」
落ち着いた声でヴェルニーが話しかけるが、そんな話を了承できるわけがない。そもそもたとえここで生き残ったとしても、黄金の音叉を手に入れられなければ「詰み」だ。太陽と大地が衝突して、どれほどの被害が出るのか想像もつかないことになる。最悪の場合世界が崩壊してしまうかもしれない。
もちろん、何も起こらない可能性もある。だからと言って何の根拠もなくそこに賭けることが賢い選択と言えようか。
何よりもルカは、悔しかった。魔王バルトロメウスが一万年の時を経て伝えたかった『音』が、潰えてしまうということが。あと一歩でそれが手に入るというのに、バルトロメウスの想いが消えてしまうということが、好奇心からそれを知りたいというだけではなく、我が事のように悔しかった。涙すら流した。
そのとき、ごおっと空気がうなりを上げる音がした。
「情けねえツラしてんじゃねえよ。ガキみてえに涙まで流して」
聞き覚えのある声だった。
ヒカリゴケの薄明かりしかなかったダンジョンの通路の中が、夕焼けのように燃えて、明るくなる。
「あの頃の何もできねえお荷物のお前と、今のお前は違うだろ。パーティーメンバーを全部失ってもダンジョンを目指したってのに、ちょっと仲間に諫められたくらいで諦めんのか? 情けねえ」
炎の赤だ。
もはやここまでかと諦めかけていたルカの目の前に、彼の情熱と同じように赤く燃え盛る炎が現れたのだ。
「ガルノッソ……」
「こんなところでイモ引いてんじゃねえぞ、ルカ! 男だったら最後の最後まで命を燃やし尽くして、やれる限りのことをやってみろよ」
リナラゴスとの共闘の後、何処かへと姿を消していたサラマンダーの能力を得た、ルカが元々いたパーティー『オニカマス』のリーダーだったガルノッソが、再び姿を現したのだ。
「ヴェルニーさん……」
やはり蚊の鳴くような声。傷は深そうである。
「僕に考えがある。第七階層で、アストリットを迎え撃ちましょう」




