三又
「な、なんだこりゃあ……」
グラットニィが驚愕の声を上げる。
体全体を覆っていたローブを切り裂かれて正体を現した悪魔公爵アストリットの体。一つの下半身に三つの上半身の繋がった異形であった。
現在そのうちの一つはぐったりと脱力しており、別の上半身がそれを抱きかかえ、ローブの端を破って縛り、体を支えた。
「まったく、私の正体をも白日の下に晒すとは、少しあなた達の事を見くびりすぎていたかもしれませんね」
アストリットの上半身のうちの一体は木製のフルートを持っており、もう一体は竪琴を持っている。
そう、初めからずっとこの三位一体の状態でアストリットは戦っていたのである。おそらく前面に立って戦っていたのは今グラットニィが切りつけた上半身であるが、『音』による認識阻害をかけていたりしたのは残る二つの上半身。
ホルヘ・パルドがその『音』を自身のヴァイオリンで中和していたものの、もう一つの上半身がさらにその上からもう一体の上半身が認識阻害をかけていたのだ。
敵の「数」を誤認していたとなれば、それはこれほど苦戦するのもうなずけるというもの。大柄なシルエットを覆っていたローブはこの秘密を隠すための工夫であったのだろう。まんまとしてやられていたのだ。
「ここまでの深手を受けたのは初めてだ。まいったな……これは治るんだろうか」
もはやローブは不要と考えたのか、ボロボロになったそれを適当に引っ張ったり破ったり結んだりして、何とか形を整えようとするものの、やはり何ともならず、諦めたようだ。
「とりあえず……」
バキン、と何かが割れる音がする。ダンジョンの通路に木の破片が飛び散った。
「あっ……」
竪琴のフレームが割れた音であった。アストリットのではない。ルカの竪琴が、だ。
何事か。誰の仕業か。如何様にして割れたのか。その答えはすぐに紐解けた。短刀が、ルカの胸の中心に突き刺さっていた。
アストリットが、どこかに隠し持っていた短刀を投げ、それがルカの持っていた短刀を破壊し、そのまま胸に突き刺さったのだ。
「ルカさんッ!!」
驚き、その場にくずおれそうになるルカの身体をシモネッタが支える。彼女の取り落としたメイスが、ガランと大きな音を立てた。
「フッ、まずは一人。こんな小者が障害になるとは思ってもみませんでしたよ」
「野郎ッ!!」
グラットニィが再び踏み込む。ヴェルニーは「よせ」と、「戻れ」と叫んだが、しかし怒りに震えるグラットニィには届かない。
「シモネッタさん、ルカ君の怪我は!?」
「だ、大丈ぐぷっ……」
ヴェルニーの問いかけに、シモネッタよりも先に答えようとするルカ。自分は大丈夫だ、周りの人には冷静になってほしい、という気持ちがあったのだろう。しかし気が早ってしまったのか、最後まで答えきれずに血を吐いてしまった。
血を吐いたということは内臓に傷がついているはず。だがまだ意識があり、出血もそう派手ではないことを考えると短刀は心臓や動脈は傷つけていないのではないか。ヴェルニーはそう考えて慎重にルカの怪我を確認しようとしたところ、遠くで金属音が弾けた。
顔を上げて何が起きているかを確認する。
やはり、すでにグラットニィとアストリットが衝突を開始していた。矢継ぎ早に攻撃を繰り出していくグラットニィだが、アストリットは素手にてそれを受けている。シグヴァルドのように真正面から衝撃を全て殺しているわけではなく、捌いているのだ。おそらく彼ほどの耐久力はないのだろう。しかし一体が動かなくなってもまだ二体の上半身がある。手数には不足しない。
連続して金属音が弾ける。火花を散らしながらグラットニィが連続攻撃を仕掛ける。アストリットはうまく捌いているものの、しかしそれでも戦場で磨かれたグラットニィの剣術は体勢を崩すことなく、よどみなく次の攻撃へと繋ぐ。
「フッ、やりますね。二人では少しきついか」
上半身の内の一体が破壊されたことが、そして幻術を看破されたことが効いているのだ。今なら、付け入るスキがありそうに見える。全員でかかれば、今なら倒せるのではないか。そう見えるのだ。
しかし、そう見えるが、ヴェルニーはその場を離れられないでいた。
「ヴェルニーさん……いってくだ、さい……奴を倒す、チャンス……」
息を大きく吸い込もうとすると血を吐いてしまう。そのため浅く呼吸をし、声も小さくしか発することが出来ない。それでもルカが必死に伝える。
ルカ自身もアストリットの秘密を暴き、ようやくみんなの力を繋いでここまでこぎつけたのだ。これを逃したくない。自分には構うなと。
「ハッテンマイヤーさん、包帯を……」
「あ、はいッ!」
ルカは、シモネッタの体を支えにしながら自らの力で立ち上がる。こんな傷は大したことはない。かすり傷に過ぎないと。短刀を胸から引き抜き、投げ捨てる。
「無理をしないで、ルカさん」
シモネッタが泣きそうな表情を見せ、ハッテンマイヤーから受け取った布を傷口に当て、包帯で固定する。
その光景を見て、ヴェルニーはもはや自分がどうすればよいのか見当もつかなくなってきていた。傭兵として戦場で、いくつもの生と死を見てきた。自分が直接怪我の手当てをする経験は少なかったものの、ルカの傷は相当な深手に見える。
「くそっ、かてぇ守りだ」
ふう、と一息ついてグラットニィが一旦間合いを取る。やはり一人では攻めきれないようだ。
これは好機なのだ。ヴェルニーもそう判断し、ルカをシモネッタに任せてグラットニィに加勢しようと剣を構える。
妙な感覚を覚えた。
あるいはそれは、幼いころから兄弟のように育ったグラットニィとヴェルニーだからこそ分かったことかもしれない。
一瞬、向こうを向いて、こちらに背を向けているはずのグラットニィと一瞬目が合った気がしたのだ。彼が、何かサインを送ってきたような気が、過ぎったのだ。
「……ここは、退く」
ヴェルニーは決断を下した。グラットニィにも聞こえるように。




