一撃
「グラットニィ、慎重に」
「るせぇッ!!」
ヴェルニーが声をかけるが、もはや幼馴染みの言葉も彼には響かない。たった二人残った部下をもアストリットに殺されてしまったのだ。仕方あるまい。
「ふふふはははは! あまりにも脆弱! 人間などに生まれたばかりに、可哀そうに」
ルネの頭部を投げ捨てながら悪魔公爵アストリットは嘲り笑う。ひとしきり笑った後、滲む涙を指で拭きながら言葉を続けた。
「いや、失礼。君達を『下等』だとバカにするつもりはないのだよ。ただ、あまりにも哀れで。だが、気を悪くしないでほしい」
こちらを気遣うような言葉を見せるものの、口の端は未だ狂乱の笑みにひきつっている。
「『弱い』からといって『下等』だというつもりはないのだ。この世界では、それぞれの生き物に、それぞれの『役目』と『居場所』がある。これからは、日の当たらないところで静かに生きてゆくといい。ウサギのようにね」
挑発の意図は明確。
だがそれが分かっていたとしても、怒り心頭のグラットニィの歩みが止まるとは思えない。
ルカは、再び縋りつくように竪琴にしがみついて弦を一本掻き鳴らした。何かが、見えそうなのだ。この異常事態の謎が、もう少しで解けそうなのだ。
「ヴェルニー」
グラットニィには珍しく、小さな声で呟く。
「糸口だけでも俺が見つける。奴は絶対に、おめぇが殺れ」
間合いを詰める。
「何度やっても結果は同じだというのに。冒険者とはよほど頭が悪いようだな」
再び幻覚を見せるのか。奴の本当の姿は一体どこにあるというのか。しかしグラットニィが一足一刀の間合いに入る寸前、アストリットが自分の足元の何かに気づいた。
「ん……奴は」
死体が一つ足りない。
「ああああああ!!」
奇声とともにアストリットの喉元に何かが喰らいつく。
「ぐああああッ!?」
奇襲ならば無音で忍び寄るのが定石、というのは正しいが所詮は定石は定石。全てではない。喰らいついたのはアーセル・フーシェ。突然耳元で叫ばれたアストリットは驚きのあまり体が委縮し、その隙に影の中から這い出たアーセルが攻撃を仕掛けたのだ。
両腕を捥ぎ取られ、すでに息の根が止まっていると思われたアーセル・フーシェ。
しかし彼はただ倒れ伏していたわけではない。弟が、その死体を弄ばれていたすぐ横で、ずっと機を窺っていたのだ。いや、もしくは今意識を取り戻したのかもしれない。しかしいずれにしろ、文字通りこの傲慢な悪魔の喉元に噛みついたのだ。
「行けエェェェ! アーセルッ!!」
最期の力を振り絞って全身のばねを使い、跳ね上がりながらその喉に食らいついたアーセル。それに合わせてグラットニィが剣を構えたまま突進する。
「ぐううぅぅ!!」
アーセルの体を引きはがそうとアストリットが彼の体を掴む。死体とはいえルネやエルの生首を軽く引き千切った怪力だ。同じようにアーセルの体をバラバラにすることなど容易いだろう。
だが彼の「意地」がそうはさせない。彼にとっては自分の命を懸けた最後の抵抗なのだ。脚を大きく開いて捻じるように体を回転させる。ワニのデスロールのように噛みついたまま体を回転させ、その手を振り払い、喉の肉を噛み千切ろうと体を揺らす。
いくら痩せ型のアーセルといえども、その全体重を使って公爵の体を振り回すのだ。
せめてあと少し。グラットニィの刃が届くまで。
「……わかったぞ」
その瞬間、ルカが目を開いた。それと同時に竪琴を掻き鳴らす。乱れ弾きではなく、一音一音、確かめるように慎重に。
「まずい、誰だ!? 邪魔を……」
アストリットが何か言葉を発しようとしたものの、それよりも早くグラットニィの大剣が彼女の腹部を貫いた。
「くたばりやがれ!!」
限界が来たのか、それと同時にアーセルの歯が折れ、白い破片をまき散らしながら制御を失い、人形のように通路の床の上にその体が投げ出された。
「おおおおお!!」
剣を刺し貫いたまま、押し込む。そのまま通路の壁に打ち付け、剣を振り払うと、体の中心から体が裂け、血を吐いてアストリットはその場に崩れ落ちた。
「アーセル!!」
すぐにグラットニィは床の上に投げ出されたアーセルの方に視線をやるが、しかしもう、彼が動きを見せるような気配はない。いや、元々が限界だったのだ。大分前に受けた左腕の怪我によって血を失っていた上に、右腕も切断されていた。失血により、先ほどの動きを見せたことの方が奇跡だったのだ。
「くそぉ……俺は、なんて」
いつもは強気なグラットニィが珍しく悔しそうな顔で泣き言をいう。自分を慕ってきた部下達を全て失ってしまったのだ。それも仕方あるまい。崩れ倒れたアストリットを前に少し空気が緩んだように感じられた。
「下がって! まだ生きているッ!!」
ルカの叫び声。ほんのもう少し、一瞬遅ければそれは致命傷になっていたかもしれない。彼の言葉に即座に反応したグラットニィはアストリットと距離を取るように飛び退き、同時に何か攻撃がわき腹をかすめたのだ。
「まだ生きてやがるのか!?」
アストリットの体はグラットニィの攻撃によって腹が裂けたままだ。中心を穿たれ、そこから切り上げるように斜め上に切断され、かろうじて下半身と繋がっているような状態。
口からも大量の血を吐き、目の焦点は何者も捉えず、生気のない青白い顔。とても生きているようには見えない。今の攻撃を仕掛けたのは何者の仕業なのか。
「ちっ、邪魔が入ったか」
アストリットの声。
間違いない。奴の声だ。しかし確かにアストリットは死んでいる。その切り裂かれた体はピクリとも動いていない。その口元も血を吐いたまま。
「また……幻覚なのか」
「違う」
グラットニィの言葉をルカが否定した。
「初めからおかしかったんだ。奴は楽器なんてどこにも持っていなかったのに、笛の音色が聞こえた時点で。その時点で気づいておけば、もっと早く倒せたかもしれないのに」
ルカは、その正体を掴んでいるようだ。
「よく気付いたな。小僧。正直、お前が何かできるとは思っていなかったぞ」
無造作にアストリットが起き上がる。しかし床に足を張ってしっかりと大地を踏みしめてはいるものの、その上半身はまるで糸の切れた操り人形をぶら下げているかのように頼りない。
それでもローブに覆われた体が形を成しているのだ。
そしてそのローブは力なく倒れる上半身と、まだその中にある何かに引っ張られるように、グラットニィが切り裂いた箇所を中心に破れていく。
「へっ、野郎……とんでもねえフリークスだったってわけか」
グラットニィが独り言ちる。完全に立ち上がることでローブが裂け、その正体が露わになった。
「これが……アストリットの正体……」
一つの下半身に、三人の女性の上半身が備えられた体。それがアストリットの真の姿であった。




