暗黒回廊にて迎え撃つ
ダンジョンの中を、ヴェルニー達が速足で移動する。グラットニィに二発も殴られた彼の顔はボコボコに腫れてしまっているが、おそらく戦闘に影響はないだろう。
今はとにかく、第六階層の暗黒回廊へと向かって急ぐ。
「ふふっ」
移動しながらクレッセンシアがグラットニィの顔を見て笑った。
「んだぁ? 何が可笑しい?」
「いや、さっきはありがとう。私のために怒ってくれて」
「はぁ? 別におめえのためじゃねえよ。ヴェルニーが急にキモい事言いだすからなあ」
「それでも、嬉しかった。あなた、そんな顔してて意外と優しいのね」
「チッ」
調子が狂う。グラットニィは赤面した顔を隠すように顔を背けた。
他人に礼を言われたことが無いわけではない。だが、彼は他人に善意など施したことはない。人を助けるのは、あくまでも冒険者としての仕事であり、感謝の言葉があったとしても、その前提としてまずは報酬ありきの物。
ゲンネストの報酬は高い。それは貧しい幼少期を過ごしたグラットニィの「金のある所からはできる限りふんだくる」という方針によるものであったし、そのため感謝の言葉を述べられても、その顔は苦虫を噛み潰したようなものであるのが常であった。
「第六階層だ。見てくれ、すぐそこが暗黒回廊になっている」
先頭を進んでいたヴェルニーが通路の先を指差す。
光を「喰らう」異形の植物ヤミゴケ。その力により一切の光が存在せず、明かりで照らすこともできない闇の渦。
「できたら、ヴァルメイヨール伯爵とも合流できないか、とも思っていたが、いったいどこに行ってしまったのか……まあ仕方ない。とにかく、暗黒回廊の出口付近で待ち伏せるぞ。一応何がいるか分からないから慎重に進んでくれ」
ほとんどのメンバーは噂で暗黒回廊の話を聞いてはいても、実際に足を踏み入れるのは初めてである。ここは避けて通ることはできない一本道の階層。恐怖心はあるが、これさえ通り抜ければ悪魔公爵アストリットも必ず待ち伏せできる。
「アストリットが、追ってこないという可能性は?」
暗闇の中でルカが尋ねる。
「奴は上層階には行けない。だったら下層に来ることに賭けて追ってきているはずだ。さあ、もう少しで暗黒回廊の出口だ」
会話の少し後、先頭のヴェルニーの真っ暗だった視界にやわらかな光が差し込む。ダンジョン内に生えているヒカリゴケの光はせいぜいが半月の時の月明りといったところ。だがそれでも暗闇に慣れた彼らには閃光のように眩い。
「ルカ君、索敵を頼む。奴が来るまでの間、僕達は作戦を練る。といっても、大したものがあるわけじゃあないが……」
その折、遠くから何やら美しい旋律が聞こえてくる。笛の音だ。悲しくも美しく、そして儚い笛の泣き声。湿っぽくかび臭いダンジョンの中には似つかわしくない音。ここで聞くと、まるで死者の魂を悼む鎮魂歌のように聞こえる。
ヴェルニーはちらりとルカと、それにホルヘ・パルドを見るが二人は楽器を演奏などしていない。
「音に魔力がのせられておる。こちらの位置を確認しようとしておるな」
老爺の言葉を聞いてヴェルニーはハッとした。元々ルカが得意としていた索敵の方法である。
「もう来てしまったか……」
ならばおそらくこれは、アストリット公爵によるものだろう。暗黒回廊に入るにあたって、敵の位置を確認するためにアクティブソナーを使っているということだ。もはや時間が無い。暗黒回廊を挟んでこちら側と向こう側に置いて魔人と冒険者が対峙しているという状況。
ホルヘ・パルドが「アストリットは何か振動の様なものを使ってこちらの認知を歪めている」と言っていたが、おそらく奴は吟遊詩人と同じように何か楽器を使うということなのだろう。
「無茶な作戦だが端的に話す。クレッセンシアは暗黒回廊の出口付近で潜み、アストリットに奇襲を仕掛ける。スケロクの能力をコピーしているなら、魔力をほとんど持たない彼と同じく奴のソナーには反応しないはずだ」
「一人で戦えというんですか!?」
シモネッタが抗議の声を上げる。彼女にとってはもうクレッセンシアは授乳した間柄。つまりは自らの子供も同然の相手である。そのクレッセンシアを危険な目に合わせるような作戦に納得がいかないということだろう。
「危険なのは分かっている。しかし彼女以外に暗闇の中で、魔力も発さずに戦える人間はいないんだ」
「でもっ……」
それでもなお引き下がろうとしないシモネッタであったが、彼女の抗議を止めたのは他ならぬクレッセンシアであった。
「いいの、シモネッタ。私、やるわ」
そう言って、暗闇に向き合う。
「意地汚い生き方をしてきた、ツケを払う時が来たのよ、きっと」
ゆっくりと、光一つない黒の空間に足を進める。
「私だって、綺麗な生き方をしたかった……でも、できなかった。最期の時くらい、誰かのために」
闇の中に消える。
静寂の中、少しずつ笛の音が近づいてくる。ヴェルニーがちらりと視線でルカに視線を送る。するとルカは演奏していた曲の調子が変わった。索敵はもう不要、戦いに切り替えるのだ。味方にバフをかけるルカの調べは周囲の味方に敏捷性と鋭敏な感覚を与える。
老爺の吟遊詩人ホルヘ・パルドは喉元にヴァイオリンを乗せて構える。静かに精神を集中して気持ちを落ち着けている。アストリットの持つ「認識阻害」の力。その力の正体を現在朧気ながらも掴んでいるのは彼だけである。その能力を彼は「妨害できるかもしれない」と言っていたが、果たしてどうか。
「グラットニィ」
「おう」
続いてヴェルニーは長年連れ添った相棒に声をかけた。
「戦闘が始まったら、僕たち二人も突っ込む。忍び足で近づいてくる相手なら別だが、戦闘音をさせている敵が相手なら、暗闇の中での戦いも経験が無いわけじゃない」
「そうこなくっちゃな」
グラットニィは笑みを見せた。死地に赴く男の顔には見えない。彼はシモネッタの背中をバン、と叩いた。
「そう落ち込んだ顔すんじゃねえって。俺は少なくともあの嬢ちゃんを死なせるつもりはねぇぜ」
戦いが、始まる。




