息子の死
「何のつもりだ、リナラゴス」
苦悶の声を上げるリナラゴス。未だ顔色が悪く、油汗を額に浮かべているが、必死の形相でアストリットの脚にしがみついている。
「よく分からないが、逃げるぞルカ君!」
好機と見てヴェルニー達は通路の奥へと逃げる。ヴェルニーに抱えられたグローリエンは相変わらずぐったりとしている。できれば安静にして体力の回復を待ちたいところではあるが、そうも言ってられない状況である。
「ルカ君、シモネッタさん達が来ているなら合流した方がいい。それに、さっき通路の奥で聞こえた悲鳴、あれはゲンネストのメンバーの声だ。別の通路を通って回り込むぞ」
「はい!」
アストリットは焦る様子もなく、リナラゴスにしがみつかれたまま見送るようにヴェルニー達を眺めている。
「さて、やってくれたな、リナラゴス。デーモンに生まれ変わっておきながら、公爵である私に刃向かうというのか」
「ふっ、うぅ……」
アストリットに冷たい目で見降ろされて、ようやくリナラゴスは彼女の脚を放して距離を取った。どうやら股間の痛みも大分引いてきたようで、壁に手をつきながら立ち上がった。まだ中腰ではあるが。
「私は別に……貴様に忠誠を誓った覚えは無いぞ」
「フフ、そうだったな。貴様ら半魔人は力を授けたイェレミアスにすら忠誠を誓っていないのだったな。まったく、中途半端な能力だ、あいつは」
そう言ってアストリットは右手をかざす。グローリエンの肩を破壊した右手。アーセルの短刀を破壊した右手。そしておそらくスケロクを死に至らしめた右手。
「私は、裏切り者を生かしておくほど寛容ではないぞ」
だが、当然ながらリナラゴスもただでやられるような易い相手ではない。
「エルフは……全ての種族の上に君臨する貴種だ。デーモン如きに……負けると思うな!!」
痛みから中腰で立っているのがやっとであったが、その誇りと、そして目の前で愛する女を害された怒り。己を叱咤し、姿勢を屹立させる。
「ベネルトン最強の剣士ヴェルニーを苦しめたこの私のフェンシング技術、とくと味わうがいい!!」
この男は「懲りる」ということを知らないのか。あれだけ痛い目にあっておきながら、未だそこに固執するのか。
「な……」
先ほどと同じスタイル。両手を頭の後ろで組んで、腰を振って空を切る音をひゅんひゅんとさせる。
しかし、いいのか。
おそらくはこのアストリット公爵は、女性ではないのか。
女性に対して全裸フェンシングをするのは、道徳的に非常に問題があるのではないか。もっと言えばセンシティブではないのか。性的同意書を取った方がいいのではないか。
「ひっ、非常識だぞ。そんなものを振り回して!」
ここまでの戦いがあって、ようやっとまともな突っ込みが入った、というところであろうか。そもそもちん〇んを人に向けて振り回してはいけません。それは人を愛するための物ではありますが、使い方によっては人を傷つけることもあるのですよ。
「うう……この圧倒的存在感、グロテスクな造形、そこはかとない甲殻類の香り。全てにおいてアナーキズムの風を感じる」
精神的にも身体的にも限界に近かったリナラゴスであったが、嫌悪感に歪むアストリットの顔を見ていると、何となく興奮してきた、いや、モチベーションが上がってきた。
「勝機! 喰らえッ!!」
喰らえ、というのは別に口に含めというわけではない。今ならば。リナラゴスのファイトスタイルに面食らっている今ならば、アストリットの隙に付け込んで一発逆転のジャイアントキリングを狙えるかもしれない。
そう考えて息子による突きを繰り出したのであったが、全く予想外のことが起きた。
「よくも……よくも私にこんな汚いものを掴ませたな」
直前のリアクションから考えててっきり大柄な体の割に顔を赤面して逃げ惑うなどの乙女チックなリアクションを考えていたのだが、予想に反して真正面からリナラゴスの息子を掴んで止められてしまったのである。
「あ、あの……その、息子の命だけは」
「問答無用!!」
バキン、と硬質な音が響いた。直後にリナラゴスの叫び声。
アーセルの短剣を粉砕した公爵の右腕が、今度はリナラゴスの息子を粉々に握り潰したのだ。
男の象徴と、誇りを、その全てが打ち砕かれてしまったのである。
「く……うッ……」
二歩、三歩とよろけて壁に寄りかかり、ボトボトと血を垂れ流す自らの陰部を掴む。リナラゴスは回復の魔法は使えないものの、手のひらに炎の魔力を集中させて傷口を焼き、止血をする。この辺りのとっさの判断はさすがに元トップチームの魔法使いである。
「汚いものを掴ませおって、貴様は絶対に許さんぞ!!」
怒り心頭のアストリット公爵。一方絶体絶命のリナラゴス。自らの最強の武器を破壊されてしまったのだ。すぐに「逃亡」にスイッチを切り替え走り出す。
だがそれでも今の傷ついた彼の体ではすぐに追いつかれる危険性があった。それを予測してもう一手。風の魔法を発動させて自らの体を一気に加速させて戦闘領域から離脱していった。
「おのれ……」
怒りに心曇らせながらも、アストリットは大きく深呼吸をし、そして通路の後ろの方にいてこの戦いを見守っていたガルノッソを見た。
「貴様は……裏切らないのか?」
「はっ……」
ガルノッソは笑って頭を振る。
「俺に裏切る理由なんかねえよ。そもそもルカに恨みがあンだからな」
「その言葉、忘れるなよ。裏切れば、さっきのエルフよりもひどい目に合うことになるということを覚えておけ」
肩をすくめて「おーこわ」と言い、おどける。相変わらずその去就をはかり知ることはできないが、とりあえずの所は敵にまわることはないと判断した。彼がデーモンになった経緯もアストリットはイェレミアスから聞いてはいる。ルカに対して身勝手ながらも恨みを抱いているというのは確かである。
「ふん、まあいい。どうせ最終的には全員を殺すのだ。ここより上層に逃げられると少し面倒なことになるが、それもいずれは克服できる障壁に過ぎない。ヴァルモウエの大地に生きる人間どもなど、根絶やしにしてくれる。魔王様の妄執を断ちさえすれば、きっとこの世界も元通りになるのだ」




