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八相

「方針は決まったか。勇気ある行動を褒めたたえよう」


 悪魔公爵アストリットは薄ら寒い笑みを浮かべる。


 すぐ近くには小太刀を構えるスケロク。そのすぐ後ろにはシモネッタ。すでに体勢は整えている。


 最後尾には大剣を正眼に構えてガルノッソとリナラゴスを牽制するグラットニィ。ガルノッソ達はすぐに動く気配は見せないようだ。


「……だが、やるってんならやるしかねえな」


 スケロクは小太刀を八相に構える。


 八相の構えは丁度野球のバッターのように剣を体の側面に持って立てる構えである。


 この構えは防御に重点を置いて、柔軟に如何様にも対応できる正眼の構えと比べて応用性は低いものの、複数の敵と対峙した時、自らの剣が視界を遮らないため不意の攻撃にも対応できる。


 だが、スケロクの八相はここからが違う。


 ゆっくりと刃を寝かせ、水平になるまで倒す。


「む……」


 アストリットの顔から笑みが消えた。


 消えたのは笑みだけではない。小太刀が、消えたのだ。


 シモネッタなど、周囲で見ていた者からはその構えが何を意味するのかは全く分からなかったが、対面しているアストリットだけは違った。


 アストリットの視界からだけ、スケロクの小太刀が完全に消えてしまったのである。


 左手は小太刀の柄頭を強く掴み、右手は鍔を乗せるように添えている。


 奇術の類ではない。しかしアストリットからはスケロクの左手に隠れて刃が見えない。見えないからと言って当然小太刀が消失したわけではない。しかし得物の長さが分からないのだ。


 これは即ち、相手に間合いを測らせない構え。敵の一撃を躱し、返す刀で確実に命を刈り取る。藪に伏して必殺の機会をうかがう狼の構え。


「どうしたぁ、場を整えてやってんだからさっさとやれよ」


 ガルノッソの野次が飛ぶが公爵は応えない。しばらく難しい顔をしていたが、やがて笑みが浮かぶ。


「フ、私以外の者が相手であれば有効な手立てであっただろうな」


 構えもとらず無造作に歩み寄る。


「まあ、人間にしては少しは工夫しているな、というところか」


 大きく手を振りかぶる。物音も立てずにエルの体を八つ裂きにした攻撃。どんなタネがあるのかは分からないが、受けることはできない。その巨体に比してリーチは短く、腕も細く見えるものの、一撃必殺の力を秘めている。


 風を切って腕が振り下ろされる。アストリットはスケロクの獲物の長さを把握できてはいないが、一方スケロクの方は敵の間合いをはっきりと掴んでいる。


 その上で十分な安全マージンを取ってアストリットの攻撃を躱し、命を刈り取るのに必要な最低限の踏み込み、実際には後退しながらの斬撃を放つ。ほんの少しでいい。刃先が親指の長さほども斬りこむことが出来れば、十二分に人を死に至らしめるのだ。


 斯くして公爵とスケロクの、互いの必殺が交錯した。


「今だ走れッ!!」


 即座にグラットニィが声を上げる。アストリット公爵がスケロクの攻撃を受けてバランスを崩したのを彼は目視していた。即座にシモネッタ達が通路を駆け抜ける。


 一方アストリットの腕は虚空を掻き、よろよろと後ずさりして通路の壁に寄りかかる。それと同時に喉元から鮮血が噴き出した。スケロクの刃が彼の頸動脈を掻き切ったのだ。


「スケロクさんも!」


「ああ……」


 スケロクの方はしばらく残心を取っていたがシモネッタに手を引かれて走り出した。


 それに続いてグラットニィ達も走る。デーモンが実際にどの程度の生命力を、回復力を持っているのかは個人差が大きいため分からないが、少なくとも頸部を切られて即座に反撃などはしてこないはずである。


 作戦は見事に成功したかに見えた。グラットニィとアーセルが殿(しんがり)を務め、警戒しながらアストリットと距離を取っていく。


「驚いたな……ここまでの使い手がいるとは。これはなにか、こちらも返礼せねばな」


 ほんの数秒であった。スケロクに首を斬られて派手に出血をして、まだほんの数秒しかたっていないのだ。それでもいつの間にかアストリットの出血は止まっており、不気味な言葉を吐く。


「アニキ? 早く行かねえと」


「あ、ああ」


 どうにも嫌な予感が拭えない。グラットニィはもう十分な距離をとれているとは思いながらもアストリットの方に剣を向けながら慎重に通路を進む。それにしびれを切らしているアーセルが彼を急かせているという構図であった。


 アストリットとの距離は五メートルと少し。仮にあの場から何か飛び道具を仕掛けたとしても察知できる。そう考えてグラットニィは公爵の方に向けていた体を反転させ、先行しているはずのアーセルの方に向く。


 向いたはずであった。振り返ればアーセルがいるはず。しかし実際に彼の視界に入ったのはアストリット公爵であったのだ。


「なにッ!?」


 即座に自分が方向感覚を失っていることに気づく。アーセルのいる場所も不明。ならば目の前にいるのは? これは本当にアストリットか? グラットニィがまず最初に疑ったのは自分の認知であった。


 そして目の前の公爵に対応するよりも先に床に大剣を突き刺す。


 まず必要なのは自分の位置の、状態の把握。目視による認知が信用できないならば、グラットニィが頼ったのは「振動」であった。突き刺した剣の柄に耳を当てて振動を探る。


 遠くに小さく聞こえるのはシモネッタ達。ひときわ大きな音はシモネッタだろう。怪我をしているのか、足を若干引き摺っている者もいる。やはり彼女らは自分の遥か前方にいる。これは間違っていない。


 そして近くでは。


 踏み込む音が聞こえる。誰の足音か。ルネはシモネッタ達の集団を追って走っている最中。もう少し先にいる。


 ということは、この踏み込みは、自分を狙っている。


 その可能性に行きついてグラットニィはその場に伏せた。背中を何かが掠めていく。皮膚が裂けて肉が露出する。やはり自分は攻撃を受けていた。


「なかなかいい勘をしているな!」


 初撃を躱されたアストリットの次の攻撃が飛んでくる。貫き手による刺突。


「危ねえアニキッ!!」


 アーセルの言葉とともに目を開いて顔を上げる。躱せるか、ギリギリのタイミング。だがその視界を遮るように何かの姿がぬうっと現れる。


 アーセル・フーシェの能力。半径数メートル以内の影に自由に出入りできるステルス能力だ。ダンジョンの中はヒカリゴケによる薄い明りが展開されており、移動には苦労しない。


 その能力を使って兄貴分であるグラットニィを守るために間に入ったのだ。アストリットの貫き手に対し逆手に持ったダガーで攻撃を逸らそうとする。


 激しい金属音とともにダガーの刃が砕け散った。


「ぐああッ!!」


 逸らしきれなかった攻撃がアーセルの左腕をかすめる。その瞬間爆ぜるように彼の左ひじが破裂した。

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