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変態現る

 すぅすぅとクレッセンシアの寝息が聞こえる。


 他には何も。


 ほんの数時間前までは大山鳴動するが如き命がけのやり取りが行われていたダンジョンの一角であったし、この静かな時間の下でもほんの数メートル隣にはその時のデーモンとドラゴンの死体が転がっているものの、今この時だけは静かな時間が流れている。


 苛烈な性格で知られるグラットニィも大剣を抱きかかえるようにして、通路の壁に背中を預けて寝ている。


 人を喰らうというクレッセンシアも、シモネッタに抱き着いたまま、汚れを知らぬ幼子の様な無垢な表情を浮かべている。


 唯一ウィッチのエルだけが少し離れた場所で歩哨として起きて見張りをしているが、未だ異常はないようだ。いや、無いはずであった。しかしここは一寸先は闇ともなりかねないダンジョンの中。雷鳴の様な悲鳴が空間を切り裂いた。


「キャアアアアァァ!!」


 即座にグラットニィが跳ね起きて剣の柄を握る。他の者も目を覚ます。通路の奥からは鍔付きの三角帽子を飛ばないように手で押さえながらエルが走ってくる。


「にげ、逃げて!! 何か来る!!」


「よしッ! 一旦退くぜ!!」


 グラットニィの判断は早い。そしてフーシェ兄弟も即座にその指示に反応する。敵の様子を確認して、撃退できそうであればこれにあたる、などという判断はせず、まず第一目撃者であるエルの判断を重視したのだ。


 「撃退」は敵の能力を見誤れば仲間の死の危険性があるが、「撤退」はたとえ判断ミスだったとしても精々「走って疲れる」程度である。


 ゲンネストのメンバーに少し遅れてシモネッタ達も荷物を整えて走り出す。シモネッタは走りながらエルにいったい何を見たのかと問いかけた。


「へ、変態! 変態が来た!!」


「変態……?」


 心当たりがある。


 シモネッタには、ダンジョンの中に出没する「変態」に心当たりがあるのだ。


「人型の……全裸でダンジョン内を徘徊してる変態が来たのよ! 早く逃げて!!」


 もう一度言おう。全裸でダンジョン内を徘徊する変態に彼女は心当たりがあるのだ。


「ちょ、ちょっと皆さん。一旦止まった方が……止まって相手を確認した方がよろしくないですか?」


 これはまずい。エルは恐慌状態になっているのではないか。そう考えてシモネッタは彼女の手首を掴んで軽く引っ張る。


「よし、一旦止まれ! ここで迎え撃つ!!」


 それと同時にグラットニィは停止の号令をかけた。長い直線から曲がり角になる場所である。彼と短剣を持ったアーセル・フーシェが最前列そのすぐ後ろにシモネッタ達が入り、最後列はウィッチのエルという並びになった。


 件の『変態』は急いで追いかけてきている、ということはないようで、まだ姿が見えない。もしシモネッタの予想したとおりであれば、それはおそらくヴェルニー達。前衛を張っていてエルと接触したのはスケロクのはずであるが。


「エルさん、すいません、私が最後尾になります」


 エルの手首を掴んだままのシモネッタがそう言って振り返る。袋小路の行き止まりでないのだから前列で戦える自分が殿(しんがり)になった方がいいだろうとの判断であった。


 しかし、異様な感覚があった。


 妙に、軽い。シモネッタに比べれば確かにエルの目方は羽根の如き軽さではあるものの、しかし軽すぎたのだ。


「エルさ……!!」


 言葉を失った。


 エルの、肘から先がなかったのだ。


 ぶらりと垂れさがった前腕から、ぼたぼたと血液が流れている。通路の上には袈裟懸けに引き裂かれた彼女の身体が転がっている。当然ながら、息はもう、ない。


 そして物となったエルの代わりにそびえ立つ人影。


 シモネッタには見覚えがある。


 前回の探索時にユルゲンツラウト子爵を撃破した際にいた魔人(デーモン)。仮面をつけた顔にマントで覆った体。シモネッタの体格に比べれば見劣りするものの、二メートルほどもある体躯。悪魔公爵アストリット。


 前回会った時はまだ上層階に侵入することが出来なかったらしく、仮の身体であるために直接の衝突は避けられたものの、その威容は覚えている。「悪魔」の名を冠する貴族の最高位、公爵。それがこの第五階層に現れたのである。


「ひっ……」


 ぼとりとエルの前腕を取り落とす。恐怖で足がすくむ。モンテ・クアトロと対峙した時でもこれほどの恐怖は感じなかった。間違いない。今度は実体なのだと彼女は確信した。


「小娘。お前には会ったことがあったな」


 かちゃりと金属音がしてアストリットは仮面を外し、それを通路に投げ捨てた。仮面の下の端正な顔立ちは女性にも見える涼やかなものであった。それゆえに恐ろしい。


 物憂げな眼付きで公爵はまだ血に塗れた自身の掌を見る。


「軽く引っ張っただけのつもりだったのに、千切れてしまった……人間の身体というのは脆いものだな。気を付けねば。ああ、忘れていた。お悔やみの言葉を送った方がいいのか? ()()は君の仲間だったのだろう?」


「あ……あ……」


あえて何事もなかったかのように話しかけることで逆に相手に深い恐怖心を植え付ける。シモネッタは恐怖のあまり足がすくんでいたが、それでもこの悪魔から距離をとらねば、と後ずさりした。


 なぜならば彼女は自分の身体にしがみついている一人分の体重を感じていたからだ。


 クレッセンシア。


 彼女も恐怖を余すところなくその身に受け、身を竦ませていた。


 彼女を守らねば。


 その気持ちがシモネッタの脚を動かしていた。


「クレッセンシア!」


 その恐怖に凍った空気を破り去る様にしわがれた声が響く。


「クレッセンシア! エルの身体を喰うんじゃ! 奴の死体を拾ってこい! 喰え!!」


 あまりにも身勝手な声。叫んだのはホルヘ・パルドであった。


「う!?」


「今ならまだ間に合う! エルの死体を喰って能力を手に入れるんじゃ!」


 道理としては分かる。この絶望的状況でクレッセンシアが戦力になれば何か逆転の目があるかもしれないと。


 だが恐怖に支配されたこの状況で殺された仲間の死体を喰えと。しかもその死体は悪魔公爵アストリットの足元にあるというのに。


 万に一つの賭け。それも自ら危険に身を晒すことなくただ命令するだけなのだ。まさに自分の身可愛さ以外に何も考えてない指示である。


「ママ……」


 クレッセンシアは潤んだ瞳でシモネッタを見る。


 彼女も感じている。人が人を喰うという事の意味を。それが人間社会の中で受け入れがたい禁忌であるということを。それゆえにシモネッタの目の前で人を喰うなどということをしたら、それこそ彼女に拒絶されるのではないかと恐怖しているのだ。

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