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ある疑念

 通路の壁を背にうつらうつらと舟を漕いでいたミゲルアンヘルが足音に気付いて顔を上げる。ダンジョンの中は湿度が高く、結露した水や、しみ出した地下水がぽつりぽつりと垂れていることが多く、「音」に満ちている。その中から「足音」だけを判別して眠りから覚めるのはさすがとしか言いようがない。


「終わったか。調子はどうだ」


「聞くまでもないでしょう、最悪よ」


 ミゲルアンヘルの目の前に現れたのは金髪の美女。


 不機嫌そうに羽織っていたマントのフードを上げ、髪をかき上げる。ピンと張った背すじは女性にしては高身長であり、顔立ちは非常に整っていて美しいが、切れ長の目には少し冷たい印象を受ける。


 衣服はぼろを纏ってはいるが、全体的なイメージとしてはまるで公職にでもついているようなお堅い印象すら受ける美女である。一点難を上げるとすれば口を開いた時に見える歯がおしなべて牙のように尖っている事か。


「その様子なら『脳』までしっかり食ったようだな。よし。では、休憩は終わりにするか。おいお前ら、起きろ」


 ミゲルアンヘルに声を掛けられて吟遊詩人の老人ホルヘ・パルドとカマキリ男のディエゴ神父が起き上がる。


「ひっひっひっひ、『喰った』か、クレッセンシア。いい女になったのう」


「黙れスケベじじい」


 つい先ほどまでは小汚い格好に丸まった背中で大した違いが内容に感じられたホルヘ・パルドとクレッセンシアであったが、今は対照的な容姿に見える。


「ん……もう、交代か」


 人が集まってきた気配で元ゲンネストの若き剣士ポールも目を覚ましたようである。


「いや、休憩は終わりだ。どうやら敵の襲撃でガスパルが襲われたらしい」


「えっ!?」


 今だその半身をまどろみの中に置いていたポールであったが、すぐに剣を手に取って立ち上がる。まだ若いとはいえSランクパーティーのメンバーである。スイッチが一瞬で戦闘モードに切り替わった。


「敵はクレッセンシアが追い払ったが、ガスパルはモンスターに食われてしまったらしい。惜しい事をした」


「え……えっ!?」


 ポールは剣を構えたまま動揺の色を濃く見せている。さすがの彼も唐突に「仲間が死んだ」と言われても受け入れられないようである。しかもそれを伝えるミゲルアンヘルが異様に落ち着いている。その態度が余計に事実の受け入れを困難にさせる。


 やがて狼狽えたままの彼の肩にディエゴ神父がポンと手を置いた。


「申し訳ない、ポールさん。残念ながらガスパルはクレッセンシアの奮闘もむなしく天に召されてしまったようです。彼の冥府への道に、太陽神リウロイの加護があらんことを」


 そう言ってから両手を合わせて祈る。ようやくポールもそれが変えようのない事実なのだろうと理解した。


 しかしそれはそれとして気になることがある。


 ポールは背の高い美女を凝視した。


 あの女はいったいなんだ。何者なのだ。先ほどまではあんな女はいなかったはず。もちろん一人、心当たりがないのではないが、しかしあまりにも雰囲気が違いすぎる。


「十分に休憩は取れた。先へ進むとしよう。クレッセンシア、先導を頼む」


「言われなくても分かってるわ」


 やはり間違いない。あの女がクレッセンシアなのだ。しかし先ほどまで、碌な受け答えもできずにミゲルアンヘルのあとをついて回っていた彼女とはまるで別人のようにしか見えない。


「ま、待ってくれ」


 ゲー・ガム・グーのメンバーはすぐに荷物をまとめて出発しようとする。しかしポールがクレッセンシアの手を引いてそれを止めた。


「なに?」


「あっ、その……」


 彼自身何を聞きたかったのかが分からない。しかしいまいち事実関係を嚥下することが出来なかったのだ。


 話としては分かる。歩哨に立っていた二人がモンスターに襲われ、何とか撃退したものの、ガスパルが食われてしまった、と。


 理解は出来るのだが、いろいろと腑に落ちない。


 それほどの騒動があったというのに何故自分は寝たままだったのか。「お前の警戒心が薄いからだろう」と言われてしまえばそれまでかもしれないが、今までそんなこと一度もなかったのだ。たとえ距離が少しあったとしても、仲間が襲われているのに暢気に寝ていたことなど、一度も。


 それにもう一つ。


 お前はいったい何なんだ。


 なぜ先ほどと雰囲気が一変しているのだ。本当に同一人物なのか。


「なんでもないなら、もう行くわよ」


 クレッセンシアは静かに彼の手を振り払う。


「すまんな。たとえ仲間でも能力の開示はそうやすやすとは出来んが……彼女は生命の危機に陥ると知能含め全ての能力が一時的に上昇するのだ」


 ミゲルアンヘルの言葉に、ポールは「ああ」とか「うん」とか適当な言葉を返していた。どうしても「ある考え」が拭えない。


 それほど前ではない。ほんの数時間前。


 まだグラットニィ達と離れ離れになる前。


 少し遠くに居てはっきりとは聞こえなかったが、確かアーセル・フーシェが彼らのことについて何か言及していたような気がする。


 確かこのクレッセンシアの二つ名について、何か重要な事を言っていたような気がしたのだ。


 人食い……


 まさか。


 まさかそんな事があるはずはないとは思う。しかしどうしてもその疑念が拭えないのだ。


 たとえば、このクレッセンシアがガスパルを殺害したとしたら?


 味方だと思っていたやつから殺されたというのならば、音を立てずに始末することもできるだろう。だとすれば、自分が気づかなかったのも仕方あるまい。


 だがそれを直接口にするには彼はまだ青すぎた。


 まだ年若い彼に「自分が敵の襲撃に気付かないなどあり得ない。お前らが裏切ってガスパルを殺したんじゃないのか」などと言えようか。自分のミスを棚に上げてだ。


「じゃあ、行くわよ」


 歩き出す。この話はもう終わりだろう。


 疑念の想いが、ポールの心の奥に深く折り重なり、淀む。


 本当にまさかとは思うが、人食いクレッセンシアが、ガスパルを食い殺したのだとしたら……

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